青山博一チャンネル〜Go! Go! Hiroshi〜

Go! Hiroshi202011/03/25

カタール
ロサイル・インターナショナル・サーキット

ロサイル・インターナショナル・サーキットとは

カタールの首都ドーハ近郊の砂漠の中に設けられたサーキットで、2008年からは日没から深夜にかけて照明下の決勝レースが行われています。路面には周囲の砂漠からの砂が浮いて低グリップとなるのに加え、日没後のためセッション中に徐々に気温が低下していく、シーズン中でも独特なコンディションの下でレースが開催されます。

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大震災、そして開幕戦・ガンバロウ日本!!

2011年の開幕戦は、中東カタールのロサイル・インターナショナル・サーキットで行われた。シーズンで一度きりのナイトレースだが、今年は3月11日に日本で発生した東北地方太平洋沖地震で命を落とした被害者への哀悼と、多くの被災者への援助・連帯で、チームやメーカー、国籍の枠を越えて全パドック関係者が結束するレースウイークになった。各チームと選手は、ピットボックスやマシンに日本を応援するさまざまなメッセージやステッカーを貼って彼らの思いを表した。中でもMotoGPクラスに参戦するただ一人の日本人選手である青山博一は、「HELP JAPAN!!」と大書された日章旗をピットボックスに掲げ、レザースーツの腕に喪章を巻いて走行に臨んだ。

青山博一

日本でマグニチュード9.0の大地震が発生した瞬間、青山はスペイン・バルセロナ空港にいた。開幕戦に先立ち、ロサイル・サーキットで行われる2日間の最終プレシーズンテストへの参加で、カタールのドーハへ向かうためだ。搭乗ゲートのテレビは、日本の街並みが恐ろしい勢いで津波に呑み込まれてゆく姿を映し出していた。

「映像を見ただけで、大変なことが発生しているとわかりました。そして、まさにその瞬間に自分は海外にいて、ただその映像を眺めることしかできないでいることがとてももどかしく、自分という一個の人間の小ささと悔しさを感じました。今、僕たち選手にできることは全力を尽くして少しでもいいリザルトを得て、いいニュースを日本に届けること。そう胸に刻んでカタールへ向かいました」

カタールテストの初日、青山は喪章を腕に巻いてコースインした。この日のタイムは、並み居る強豪ワークス勢を押しのけて3番手タイム。気迫に満ちたその走りは、ナイトテストの経過を日本で見ていた人たちにも、大いに勇気と感動を与えたはずだ。

「2月のセパンテスト2回をいい感じで走ってきて、さあこれからというときに震災が発生したので、集中するのが難しいのも事実ですが、プロとして改めてしっかりと気持ちを作り直し、精一杯走りたいと思います」

翌日も充実したメニューを消化して2日間のテストを終え、17日からいよいよ2011年シーズンのレースがスタートした。全セッションが夜間走行、日曜の決勝もナイトレース、という開幕戦は、平素のタイムスケジュールと異なり木曜から走行が開始される。

「セパン2回、そしてカタールのテストはいずれもいいフィーリングで走れて、マシンのベースセットアップもいい方向で積み上げてきました。今シーズンは僕も含めて多くの選手がチームやバイクが変わっているので、どのライダーのパフォーマンスにも未知数の部分が多く、興味深いシーズンになるでしょうね。その状態の中で、少しでも自分が上に上がっていけるようにしたいと考えています。

なにより今は被災された方にお見舞い申し上げるとともに、今週末のレースで少しでも自分の気持ちを結果に表していけるようにがんばりたいと思います。レースウイークには、レーサーの脇坂(寿一)さんの提唱した義援金サイト『SAVE JAPAN』のパネルも標示できるよう、チームと相談します」

青山博一

木曜、金曜のフリー走行を経て土曜の19時55分から行われた予選は12番手。セッション中は安定してTOP10内につけていたものの、終盤10分のタイムアタックに向けてコースインした際、他の選手に引っかかってしまい、ラップタイムの更新は叶わず4列目から決勝レースを迎えることになった。

日曜日。決勝レースに先立ち、MotoGPクラスを戦う各選手のマシンがグリッド並んだ午後21時51分。スターティングライン上で、1分間の黙祷が行われた。選手やチームスタッフはもちろん、グランドスタンドに詰めかけた観客たちも静ひつな月明かりの下で、未曾有の大災害で命を落とした人々へ哀悼の意を表した。青山も深く頭を垂れながら「被災地でがんばる人々のことを考え、彼らに負けないくらい自分もがんばって走ろう、と思いました」と、決勝レースへかける思いを新たにした。

青山博一

22時にスタートしたレースは、オープニングラップに目の前で2台が転倒。そのたびにブレーキングで接触や衝突回避を余儀なくされ、低位からの走り出しを迫られた。その後、前をゆく選手を少しずつ追い上げて10位でフィニッシュ。ピットに戻ってきた青山は、「今日のレースは、もう少し上の順位で終われていたかもしれません」と、やや悔しそうな雰囲気をにじませながらも、「1周目の出来事のあとは、バルベラ選手(ドゥカティ)を追い抜くのに手こずってしまいましたが、全体としてはいいペースで走れたと思います。決して満足できる内容ではないけれども、多少の問題を抱えながらでも、次戦以降につながるいい内容のレースができたと思います。特に今回のウイークは精神的に決して簡単ではなかったけれども、パドックでもグランドスタンドでも日本の国旗を振ってくれる人たちがいたので、それがエクストラパワーになりました」と振り返った。

青山博一

チーフメカニックのアントニオ・ヒメネスも、今回の青山の走りを高く評価する。

「日本で起こった大震災のことを考えれば、難しい状況の中でヒロはプロフェッショナルとして精神を集中し、とてもよくがんばってくれた。チームともども、ヒロには心からねぎらいの言葉を贈りたいと思います。日本のファンのみなさんは、特に今回のレースでは、唯一の日本人選手である彼に、高いリザルトを期待されていたことでしょう。にもかかわらず、結果的にそれが叶わなかったのは、一面では私の責任でもあります」

そう言って自らを戒める一方で、第2戦以降への確実な手応えもつかんだ、と話す。

「今の課題は、予選順位をもうすこし上げること。今回よりも1〜2列前からスタートすることができれば、レースでも思い通りのラップタイムを刻めて、トップ争いも視野に入れることができるようになるでしょう。今回のレースでは旋回性で少し苦戦した部分を完全に解決するところまでは至りませんでしたが、次戦では改善していけると考えています。ヘレスはヒロの得意コースなので、きっとよい解決法を見つけることができるでしょう。プレシーズンテストから開幕戦を経て、我々の相互理解はさらに一歩進んでいるので、将来的なパフォーマンスはどんどんよくなっていくとを確信していますよ」

青山博一

当初の予定では、開幕戦終了後、青山は東京モータサイクルショーへ出席するために帰国することになっていた。しかし、震災の影響でイベントは中止が決定。その結果、青山もバルセロナへ戻り、いつものようにトレーニングを継続して次戦のヘレスに備える。

こうして、2011年シーズンが第一歩を踏み出した。大震災からの復興を目指す戦いも、これからが本番だ。青山の今後の活躍は、日本の人々に大きな希望を与えることになるだろう。

プロフィール

青山博一
Hiroshi Aoyama

5歳からポケバイに乗り始め、15歳でミニバイク関東選手権を制覇。2000年から全日本選手権250ccクラスに参戦して、03年に全日本タイトルを獲得しました。翌04年からHondaのライダー育成制度「Honda Racingスカラーシップ」の第1期生として世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始。昨年、日本人として8年ぶりとなる250cc世界チャンピオンに輝きました。2010年は世界最高峰レースMotoGPにステップアップして、次なる頂点を目指して戦っています。