青山博一チャンネル〜Go! Go! Hiroshi〜

Go! Hiroshi312011/09/12

サンマリノ
ミサノ・サーキット

ミサノ・サーキットとは

青山が所属するチームの拠点のほど近くに位置する、“チームのホームサーキット”です。前半は低中速コーナーが続き、後半は高速コーナーが続くバラエティに富んだレイアウト。海風の影響で絶えず変化する路面コンディションも特徴です。

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永遠の目標、加藤大治郎さん

第13戦サンマリノGPは、青山の所属するTeam San Carlo Honda Gresiniにとって、正真正銘文字通りのホームグランプリだ。レースが行われるミサノ・サーキットからチームのワークショップまでは目と鼻の先。自動車で走ればほんの数分程度の距離だ。

青山博一

「今回のレースはチームにとっての本当のホームグランプリです。メカニックやスタッフのほとんどがイタリア人で構成されているので、いつも以上にモチベーションが高いし、士気も高くなっています。僕は日本人だけど、チームのためにもいい結果を残せたらいいなと思います」

と、青山も日曜のレースに向けて気合いの入った意気込みを語る。

Team San Carlo Honda Gresiniは、イタリアのスナック企業San Carloをメインスポンサーとするチームで、その母体となっているのは、ファウスト・グレッシーニ率いるGresini Racingだ。San Carloは今年で創業75周年を迎える。その節目を祝して、今回のサンマリノGPでは青山たちの駆るマシンに「75」という数字を配したスペシャルデザインが採用された。

ファウスト・グレシーニ(右)

また、Gresini Racingといえば、日本人選手の加藤大治郎が所属していたことでも知られている。2000年に250ccクラスのフル参戦デビューを果たした加藤は、その初年度からチャンピオン争いを繰り広げ、翌01年には年間11勝を挙げてタイトルを獲得。02年には最高峰へステップアップしたが、03年の日本GPで決勝レース中の事故により逝去した。あまりに早すぎるその死を世界中が悼み、生前のすばらしい功績を讃えられた加藤は日本人選手として唯一、MotoGPの殿堂入りも果たした。ミサノ・サーキット前を走る道路から正面エントランスに続く数百メートルの少路は、加藤をしのんで“Viale Daijiro Kato”(加藤大治郎通り)と名づけられている。

加藤に関連したイベントでは、サンマリノGPのウイークエンドが始まる直前にサーキットにほど近いカットリカの街で“Dedikato”という行事が行われることも恒例になっている。これは、イタリア語の「dedicato」(献納)という言葉との語呂合わせになっており、イタリア人選手や関係者たちも数多く参加する。特にこの数年はレースの前夜祭という意味合いも強くなり、多くのファンが見守る中、イタリアらしく深夜まで陽気に盛り上がる。青山は体調に若干の不安を抱えていたため、残念ながら参加を見送ったが、Moto2クラスで同チームに所属する高橋裕紀が参加。他の選手たちと同様に深夜までステージ上に残りファンたちとともにイベントを満喫した。

Dedikato

ことほど左様に、加藤大治郎という選手はイタリア人の関係者やファンにとって身近な存在であり続けている。もちろん日本人選手にとっては、加藤は生涯越えることのできない永遠の目標だ。グランプリ参戦当初の青山が「大治郎さんに少しでも近づくために」と加藤よりも数字がひとつ少ない73番のゼッケンを使用していたことは有名だ。

Dedikato

「大治郎さんのレベルに行くには、まだまだ時間がかかりそうです」と青山。

「(加藤は)メンタルも強いし、走りも速い。強さとスピードの両方を備えていた選手で、そういう選手は過去から現在を見渡してもほとんどいないと思います。大治郎さんは僕よりも少し上の世代で、僕が全日本に上がる頃に世界へ行ってしまったので、長い間接していたわけではありません。でも、Hondaのトレーニング合宿で一緒に行動させてもらったときがありました。そのときは、物静かだけど、内側に強いモノを秘めている人、という印象を受けました。メンタル面も強く、フィジカル面でも飛び抜けた強さがあって、レースを観るといつもブッちぎり。本当にすごい人だな、という思いは今でも変わりません。果たしてどれくらい近づけたか、と自分と比べるのも失礼なくらい、大治郎さんは(ライダーの目標として)完ぺきに近い選手だと思います」

加藤を目標とする、ということは、青山たち日本人選手にとってライダーとしての理想像を追い求めることと、おそらく同義なのだろう。どこまでも続くさらなる高みを目指し、青山博一はシーズンの残り5戦も全力疾走を続ける。

青山博一

プロフィール

青山博一
Hiroshi Aoyama

5歳からポケバイに乗り始め、15歳でミニバイク関東選手権を制覇。2000年から全日本選手権250ccクラスに参戦して、03年に全日本タイトルを獲得しました。翌04年からHondaのライダー育成制度「Honda Racingスカラーシップ」の第1期生として世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始。昨年、日本人として8年ぶりとなる250cc世界チャンピオンに輝きました。2010年は世界最高峰レースMotoGPにステップアップして、次なる頂点を目指して戦っています。