252011/06/30
オランダ
アッセン・サーキット
アッセン・サーキットとは
1949年にスタートした世界選手権を開催し続けてきた伝統あるサーキットです。度重なる改修を受け、近年では2006年の大改修でコンパクトに生まれ変わっています。天候が不安定なことでも有名で、「ダッチウエザー」と名付けられるほど。今年も、刻々と変化するコンディションがライダーやチームを悩ませました。
第7戦オランダGPで、青山博一はRepsol Honda Teamの選手として参戦した。負傷欠場中のダニ・ペドロサの代役として、彼のマシンに乗ることになったためだ。ワークスマシンに乗るというめったにないチャンスを与えられた青山だが、そもそものきっかけは、友人でもあるペドロサのケガが原因だけに、心中はかなり複雑だったようだ。
「今回、僕が走るということは、ダニが戻ってきていないということだから、あまりうれしいことではないんですよね」
厳しい表情で、そう切り出した。ペドロサは、2004年に青山がHonda Racingスカラーシップ第1期生としてWGP250ccクラスに参戦を開始したときのチームメートだ。それ以来、2人はパドック内外を問わず親交を深めてきた。
「それだけに、今回のレースでダニが走れないのは残念です。でも、それによって僕が走れることになったのは、確かにある意味、大きなチャンスです。今回の代役参戦を了承し、可能にしてくれたHRCの方々と僕のチームには本当に感謝しています。今回限りだけれど、そこから何かを得たいと思っています」
ワークスマシンに乗るのも初めての体験だが、青山は昨年のオランダGPは負傷欠場していたために、今回がMotoGPでのアッセン初走行だ。何もかもが初めて尽くしということもあって、具体的な目標も手探りからスタートすることになる。
「去年はここを走っていないので、タイム面での基準もないし、ましてやチームも変わるので、今のところは具体的な数字としてどれくらいいきたい、というものは特にないです。バイクとチームが違う環境で、どの程度で走り出せるのか、僕自身も気になるところです。順位は、木曜から金曜と走っていくうちにでだんだん見えてくると思うので、まずは明日、木曜の初日ですね。ここは好きなコースだから、明日走るのが楽しみです」
オランダGPは、伝統的に土曜が決勝レースとなるために、フリー走行も一日早い木曜から開始。この日の午前中は雨のセッション。午後の走行は、Moto2の午前フリー走行中にコース上に漏れ出たオイル清掃が終わりきらずに、全クラスの走行がキャンセルとなった。そのために、翌金曜午前のセッションで前日の逸失時間を埋め合わせることになり、MotoGPクラスのフリー走行2回目には90分の走行時間が与えられることになった。
しかし、その走行で開始早々にアクシデントが発生した。この日も朝から雨がぱらつき、気温も低かったために路面コンディションは決して良好とはいえなかった。コース特性ともあいまって、リアタイヤ左側はどうしても温まりにくくなるが、フリー走行開始早々の9時55分にケーシー・ストーナーが9コーナーで転倒。直後の9時57分に同じく9コーナーで、今度はアンドレア・ドヴィツィオーゾが転倒。2人の転倒を見た青山は慎重なライディングを心がけたが、それでも転倒してしまった。9時58分、15コーナーでハイサイド気味にマシンから振り飛ばされ、コースサイドを大きく転がっていった。
「2人の転倒が見えていたので、注意をしなきゃと思って気をつけていたのに、転倒してしまった。ケーシーたちが転んでいるのをみて、自分は転んじゃいけないと思って(9コーナーで)こらえたんですね。そこでふんばってしまったから、次の左の高速15コーナーで、いちばん転んじゃいけないところで転んでしまいました。あれだけ気をつけてても転ぶんだから……」
ハイサイドで背中から落ちる青山の姿は、周囲をヒヤリとさせた。昨年、シルバーストーンで転倒した際に背骨を痛めているだけに、そのときの光景がみなの脳裏をよぎった。
幸い、青山はコースマーシャルに支えられながら立ち上がり、その後もピットに戻ってきて走行を継続した。
「考えようによっては、背中全体で落ちたからよかったのかもしれません。手や足から落ちていれば、確実に折れていたと思います。その意味ではラッキーだったかもしれませんね」
午後の予選は、痛み止めの注射を打って臨むことになった。そのような体調では十分なパフォーマンスを発揮することもできず、4列目12番手から決勝レースを迎えることになった。
決勝日の土曜、午前のウオームアップ走行は途中で雨に見舞われた。どの選手もマシンの最終調整を詰めきることができない状態で、午後3時の決勝レースを迎えることになった。
前日の予選は痛み止めを打って走行した青山だが、決勝日は午前のウオームアップ走行から午後の決勝レースまで、痛み止めを一切使用せずに最後まで走りきった。結果は8位。
「長いレースになりました。昨日の転倒で身体にかなりダメージを受けて、走れるかどうか悩むくらいの状態でした。でも、ワークス体制で走れる機会はそうそうあることではないので、走ることにしたのですが……かなりつらかったです」
痛みの影響で頭痛もおぼえるほど、といえば、どれくらい苛酷だったか想像できるだろうか。
「今回の自分の環境を考えると、この結果はいいとは言えないけれど……、今週は特に天気が悪くて大きいクラッシュもあったなかで、8位フィニッシュできたのだから、ひとまずはポジティブな結果ではないかと思います」
そう語る口調から、完全燃焼ではないのは当然としても、最後まで走りきれたことにある程度の安心感を得られた様子もうかがえる。
「このアッセンはただでさえ難しいサーキットで、もともと器用ではない僕がパッとバイクとチームを変えて乗り替えるのは難しかったけれど、いい経験になりました。次のムジェロはダニが復帰してきて自分はグレッシーニに戻ることになりますが、この経験を今後の走りに生かしていきたいと思います。次回、ワークスマシンに乗るときは、代役としてではなく、レギュラーライダーとして参戦できるようにがんばりたい。今回のチャンスをくれたチームとHRCには、とても感謝をしています」
そして、少し考えるような表情を見せた後、落ち着いた口調ながら意を決した様子で力強く言葉を吐いた。
「とにかく今回は、いい経験になりました! そして、これを経験だけで終わらせてはいけないと思います!!」
青山博一
Hiroshi Aoyama
5歳からポケバイに乗り始め、15歳でミニバイク関東選手権を制覇。2000年から全日本選手権250ccクラスに参戦して、03年に全日本タイトルを獲得しました。翌04年からHondaのライダー育成制度「Honda Racingスカラーシップ」の第1期生として世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始。昨年、日本人として8年ぶりとなる250cc世界チャンピオンに輝きました。2010年は世界最高峰レースMotoGPにステップアップして、次なる頂点を目指して戦っています。