青山博一チャンネル〜Go! Go! Hiroshi〜

Go! Hiroshi272011/07/26

ドイツ
ザクセンリンク

ザクセンリンクとは

ドイツのドレスデン郊外に位置し、過去には東ドイツGPが開催された歴史あるサーキットです。アップダウンに富み、タイトなコーナーが続くショートサーキットでしたが、この10数年の間に2度の改修を受けて、一周3.671kmまで延長されました。青山は昨年、ケガのため同大会を欠場したため、今年がMotoGPでの初走行となります。

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ふたりの恩師

前回は、偶然出会った市井の人物の行為に感銘を受け、尊敬の念を抱いた話題に触れた。レースの世界に関しては、青山博一が最も影響を受け、尊敬をしているという人物は2名いる。熱心なファンなら容易に想像がつくだろう。そう、アルベルト・プーチと本田重樹さん(下写真・左)の両名だ。

本田重樹、青山博一

本田重樹さんの運営するHARC-PRO.レーシングチームは、青山が全日本選手権時代に所属していたチームだ。1999年に全日本125ccクラスにデビュー。翌2000から250ccにステップアップし、2003年に同クラスチャンピオンを獲得した。

「バイクの基本的な仕上げ方やセットアップの方法、『レースとはなんぞや』ということを教えてもらったのが、本田重樹さんです。全日本でチャンピオンを取ったことにより、Honda Racing スカラーシップの第1期生として世界に押し出してもらうことにもなりました。本当にいろんな意味で、レースの基本や基準になることを教えてもらいました。現在の僕があるのは、その時代があったからこそ、です」

Honda Racing スカラーシップの第1期生として、世界グランプリへの切符を手にした青山はTeam Telefonica Movistar Honda 250に所属する。そして、このときに同チームで監督を務めていた人物がアルベルト・プーチ(下写真・中央)だ。チームメートは、ダニ・ペドロサ。この出会いがきっかけで、以後の青山はペドロサと友情を深めてゆく。

青山博一、アルベルト・プーチ、ダニ・ペドロサ

「アルベルトは、外国人としては少し特殊な人かもしれません。彼は親日家で、日本が好きなんです。だから、というわけでもないのでしょうが、日本人の大和魂に近いメンタリティを持っているところがあって、約束は必ず守るし、言ったことは絶対にちゃんとやる。時間も絶対に守りますからね(笑)。外国の人は、悪気はなくてもそういうところのいいかげんな人たちは少なからずいますが、アルベルトに関しては、そんなことは絶対にない。日本人よりも日本人的、といってもいいかもしれません」

 昨年、青山が文部科学省からスポーツ功労者顕彰を受けた際には、師のプーチも同時に顕彰されたが、その際にプーチは、

「青山が達成した業績は、彼の不断の努力と才能の賜物です。にもかかわらず、私にも顕彰いただけるということに対して、若干の戸惑いも感じています」

と、謙虚に感謝の意を表明した。そんなところにも、青山の評する「日本人よりも日本人らしい」性格がよくあらわれている。

「アルベルトに教えてもらったのは、トレーニングやレースに対する気持ちの作り方や向きあい方、ということになるでしょうか。日本で走るのとグランプリの世界で走るのは、同じレースでも違う面が少なくないと思うのですが、GP界で戦っていくために必要なことはアルベルトが基本から教えてくれました。そういう面での感謝と尊敬を、すごく感じています」と青山は話す。「尊敬する人は、他にももちろん、たくさんいますけれども、レースに関係する人物で即座に思いうかぶのは、本田さんとアルベルトですね。僕のレース人生にすごく影響したのは、このふたりだと思います」

青山博一

さて、第9戦のドイツGP。青山は、前々戦で骨折した胸椎が完治しない状態でウイークを迎えた。ザクセンリンクは細かいレイアウトと高低差の激しいコースだが、ブレーキングや切り返しの続く前半セクションは特に背中への負担が厳しい。しかし、青山は苦痛をほとんど面に出さず、フリー走行から決勝レースまでを戦いきった。その姿はまさに、本田重樹さんとアルベルト・プーチというふたりの師による薫陶の賜物、というべきだろう。

青山博一

次のアメリカGP、ラグナセカスピードウェイも、ダイナミックな高低差が特徴のコースだ。昨年の青山は負傷中で欠場していたために、今年が初体験。しかも、現在の負傷が癒えない状態では苦しいレースも予想される。「ラグナセカも難しいコースだと聞いているので、気を引きしめて戦いたいと思います」そう言って、青山はアメリカ大陸へ向かった。持ち前の強い精神力で戦い抜く青山の、第10戦の走りに期待しよう。

プロフィール

青山博一
Hiroshi Aoyama

5歳からポケバイに乗り始め、15歳でミニバイク関東選手権を制覇。2000年から全日本選手権250ccクラスに参戦して、03年に全日本タイトルを獲得しました。翌04年からHondaのライダー育成制度「Honda Racingスカラーシップ」の第1期生として世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始。昨年、日本人として8年ぶりとなる250cc世界チャンピオンに輝きました。2010年は世界最高峰レースMotoGPにステップアップして、次なる頂点を目指して戦っています。