インディカー百科事典

日本人ドライバー優勝の夢

【連載 第2回/2010.07.15】 特別寄稿 天野雅彦

苦境に迷い込み、好転への小さなきっかけを求め続ける武藤英紀と

結果は出せていないが、随所で輝きを放つルーキーの佐藤琢磨

ブレークスルーに時間がかかっている武藤英紀。ほんの小さなきっかけで浮上する可能性がある。
インディ500では予想外の暑さでセッティングが外れ、武藤はリタイアを喫した。
ルーキーの佐藤琢磨にとっては、特にオーバルコースでの戦いは勉強の時間が続いている。
佐藤は予選で好調な走りを見せる。しかし決勝では不運が重なり、結果につながっていない。
第6〜9戦リザルト

 2010年のIRLインディカー・シリーズは中盤戦を迎えている。フルシーズン・エントリーをしたふたりの日本人ドライバーたち、武藤英紀と佐藤琢磨は、シーズン序盤に上昇気流を掴みかけていた。しかし一進一退、なかなか思うように好成績を残すことができずにいる。

 武藤はインディ500の予選でポールポジションが争える9番手までに食い込み、トップ・コンテンダーとしての実力を示した。彼は名門チームであるニューマン・ハース・レーシングの実力、そして自らのパフォーマンスに強い手応えを感じていた。

 スケジュールが短縮されたとはいえ、今年もインディ500は2週間以上に渡る長い期間を使って争われた。世界一のレースへの出場も今年が3回目となる武藤は、イベントの長さにも違和感を覚えることなく、決勝に向けて徐々に気持ちを高めていくことに努めていた。彼はアメリカ人クルーたちが抱くインディ500に対する想いの強さもモチベーションに変え、決勝日に自らをピークへ持っていくことを目指していた。

 決勝で優勝を争い、少なくとも上位フィニッシュを果たす。ファンも武藤自身も、そうしたレースになることを思い描いていた。ところがスタート直後に、武藤は自らが望んでいたようにはレースを戦えないと知った。予選やプラクティスでの切れ味鋭いハンドリングが彼のマシンから失われていたのだ。

 

コンディションの変化に足を取られた武藤

 

 インディアナポリス・モーター・スピードウェイでは、1周の平均時速が350キロを越す。これほどの高速コースでは、ほんの小さなトラブルやセッティングのミスが大きなトラブルへと姿を変える。地上を走れる極限まで高められたスピードによって、通常のロードコースなどでのスピード域ではトラブルのなかった部分が、大きな問題を発生させる。ダウンフォースを大胆に削ぎ落としたマシン、9度とバンク角の小さいコーナー、そして他車の作り出す乱気流。インディカー・ドライバーたちは極めてセンシティブな世界で、マシンにギリギリのバランスを保たせて走っているのだ。第4戦カンザスでトップ・グループを走った武藤は、インディ500でも上位で戦えることを当然のことと想定していたが、決勝を迎えた彼らのマシンは安定感を欠いており、備えていたスピードが跡形もなく消えていた。

 「予選でも暑いコンディションでハンドリングが悪くなった時がありました。決勝日は今年のインディで一番暑い日となったので、その影響を大きく受けてしまったのだと思います」と武藤はリタイアを余儀なくされた事情を語った。「ピット・ストップでセッティング調整を重ねたんですが、ハンドリングは良くなりませんでした」。大きな自信を持って臨んだビッグ・イベントだっただけに、ハンドリング不調によるレース前半でのリタイアという結果に武藤は衝撃を受けていた。

 彼らの苦悩は、シリーズ中で最も急な24度のバンクが特徴の第7戦テキサスでも解消されなかった。武藤はこのコースで予選7位に食い込んだが、摂氏30度以上というコンディションで争われた決勝ではオーバーステアに悩まされた。

 テキサスで得られた成果は、安定しないマシンを必死にコントロールし続けて戦う武藤に、クルーたちがピット作業の速さで応え、ポジション・アップを重ねたことによるものだった。苦闘する中でチームに一体感が生まれた。「マシンにスピードはある」。武藤はテキサスで改めてそう感じたという。しかし、スピードと安定感を共存させられる範囲はとても小さく、その確保がいまだ果たせていない。

 オーバル4連戦の最後は、武藤が2年連続で表彰台に上っている第8戦アイオワ。シーズンの流れを一気に良い方向へと戻すチャンスだったが、武藤は予選24位、決勝20位という結果に終わった。直前に行なったテストでクラッシュ。決勝では今年2度目のハンドリングを原因とするリタイアを喫した。

 ニューマン・ハース・レーシングと武藤は、オーバル・セッティングで行き詰っている。カンザスと、インディの予選までは良かったマシンが、インディの決勝から戦闘力を完全に失ってしまった。第9戦からはロードレース5連戦となるため、その間にオーバル・コースでのデータの研究、新セッティングの確立を実現しなくてはならない。

 そんな武藤たちにとってのプラス要因は、シーズン終盤のオーバル4戦がいずれも1.5マイル・オーバルである点だ。予選4位からレースでもトップ・グループを走り続けたカンザスでの活躍の再現は、十分に可能なはずなのだ。カンザスでの速さ、フィーリングを取り戻してシカゴランド、ケンタッキーの連戦で自信を回復させ、勢いに乗っての武藤がインディ・ジャパンへ凱旋して来ることを期待したい。

 

波乱のインディ500初参戦

 

 佐藤は初めてのインディ500でドラマチックな日々を送った。シリーズ最速コースで慎重に、しかし確実にスピード・アップを遂げていった彼だったが、迎えた予選日朝のプラクティスでクラッシュを喫してしまった。ターン2でバランスを失ったマシンはリヤから壁に激突、佐藤の予選出場が危ぶまれたほどだった。しかし翌日に予選を走ることを許され、無事に決勝進出を果たした。インディ500の決勝を走れるのは33台と決まっているが、佐藤のグリッドは31番と決まった。最後列グリッドだ。まさにギリギリでの予選通過だった。

 11列目グリッドからのスタート。初出場の佐藤は、これをプラス思考で捉えていた。アクシデントで予選敗退の危機に瀕したことにより、佐藤は逆に冷静になって決勝に臨むことができたようだ。レースは500マイル、およそ800キロと長いのだ。マシンやコース・コンディションの変化を学び取りながら戦っていけば、トップ・グループへと進出することも不可能ではない。スタートを切った佐藤は、暑くなった決勝用に施したマシン・セッティングの実力を評価し、何をどう変えればマシンを速くできるかを探り、コース・コンディションがどう変化していくのかを見極めることに集中して走った。

 佐藤はラップを重ね、ピット・ストップをこなしながらペースを上げ、ポジションも着々と上げていった。トップ10入りは十分に可能で、トップ5すら期待できる走りを展開していた。しかしピットでのトラブルと、それによって課されたペナルティによって大幅にポジション・ダウン。結果は20位となった。しかし佐藤は超高速、低ダウンフォースのインディ500でもポテンシャルの高さを証明した。

 インディの次はハイバンクのテキサス、その次はロードコース用ウイングで走るショート・オーバルのアイオワ。オーバル4連戦といっても、それぞれに性格が異なる。佐藤にとってはどのレースもまったく新しい挑戦だった。KVレーシング・テクノロジーのエンジニアたちは、経験量の少ない佐藤に合ったマシンを提供し、テキサスでは予選11位、アイオワでは予選7位という素晴らしい結果を残した。

 しかし佐藤は良い流れに乗れないでいる。テキサスではサスペンションが突然壊れ、ターン2の壁に単独でクラッシュした。

 アイオワでの佐藤は予選7位の好位置から3位までポジションを上げる目覚しい走りを見せた。ところが177周目、急接近したバック・マーカーが予想外のライン変更を行なったために乱気流を浴び、マシンのコントロールを失ってクラッシュ。またしても結果を手にできなかった。ただしオーバル初年度にして、彼は優勝争いへと絡んで行く勢いを見せた。この走りによって佐藤自身もチームも大きな自信を掴んだ。「同じ失敗はしません!」とアイオワでのレースをリタイアで終えながらも、佐藤は力強く宣言した。そこには、インディカーで戦っていくことへの大きな自信を掴めたことが伺えた。「これで特徴の大きく異なる4つのオーバルを経験できました。残るオーバルはシーズン終盤に4戦並んでいますが、その時に戦うための準備はできたと思います」と佐藤は目を輝かせた。

 

反省点は終盤戦へとつなげていく

 

 第9戦からインディカー・シリーズは5戦連続でロードレースを開催する。その最初のレースはワトキンス・グレン・インターナショナルが舞台。ニューヨーク州の高速ロードコース、武藤は予選14番手から12位でゴールし、佐藤は予選5番手と素晴らしい成績だったが、レースでは15位へと順位を下げてのゴールとなった。

 武藤はロードコースでもマシン・セッティングに苦悩することとなってしまった。ソフトとハード、2種類のタイヤを使わなくてはならないルールがある中、装着タイヤの違いによってマシンのパフォーマンスが大きく変わって来ていたからだ。片方のタイヤに合わせると、もう一方のタイヤでの走りが伸びないという状況だったのだ。

 続く第10戦はカナダのトロントの市街地コース、第11戦はカナダのエドモントンにある空港を利用したコース、そして第12戦、13戦はアメリカに戻り、テクニカルなロードコース・サーキットで2レースが行なわれる。苦しい戦いが続いている武藤だが、オーバルでもロードコースでも、スピードを発揮するために必要なのはほんの小さなキッカケだけであるように見える。それさえ見つけることができれば、武藤とニューマン・ハース・レーシングはトップ・グループへと食い込むことができるはずだ。

 一方の佐藤はワトキンス・グレンの予選で自己ベストとなる5番手となった。今年5戦目となるロードレースで、予選のファイナル・ステージ進出を果たしたのである。しかし、レースでは1回目のピット・ストップ以降にマシンのハンドリングがコース・コンディションとマッチせず、15位完走という結果となった。「今回何が悪かったのか、データを研究して次のレースに繋げます」と佐藤は語った。

 ルーキーの佐藤はコースを知らない上、予選では事前に一切走らせたことのないタイヤで戦うことを余儀なくされる。そして決勝では、変わりゆくコンディションなど、まだまだ未知の部分ばかりである。そうした状況を考慮するなら、佐藤のここまでのパフォーマンスは決して悪いものではなく、各所に輝きを見せてのものとなっている。シーズン後半戦、佐藤はまずロードコースで実力を発揮し、終盤のオーバル4連戦ではレベル・アップした戦いぶりを見せてくれるものと期待できる。

 ツインリンクもてぎでの第16戦インディ・ジャパンへ、インディカー・ドライバーとなっての初凱旋を果たす佐藤だが、予選から上位へと顔を出す戦いぶりを見せてくれることが期待できる。手探りの状態だった第5戦カンザスでのオーバル・デビューの時点から、佐藤のオーバルへの順応度は高かった。また、チームのマシン・セッティングも、オーバル全般で上々のものが確保されて来ている。その後の3レースでオーバルへの習熟度をさらに進めた佐藤は、速いマシンのイメージを自らの中に完成させているようだ。また、アイオワでの3位走行中のアクシデントという苦い経験から、オーバル・レースで必要なマネジメントについての理解度を深めてもいる。F1時代にも母国グランプリで好成績を獲得する好パフォーマンスを見せていた佐藤だけに、凱旋前にさらに2戦の、それもツインリンクもてぎと同じ1.5マイル・オーバルでのレースを2戦走ることにより、インディ・ジャパンにはさらに実力を高めて乗り込むことになるはずだ。

〜第3回へ続く〜

 

◆筆者プロフィール

天野雅彦(あまの・まさひこ)

1990年からアメリカン・モータースポーツ界への取材を開始し、日本人ジャーナリストとしては草分け的存在である。IRLインディカー・シリーズを全戦取材し『週刊オートスポーツ』や『東京中日スポーツ』などに寄稿している。比類ない知識の厚さと情報の速さは、長年の取材経験のたまものである。