セント・ピーターズバーグ
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アラバマ
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ロングビーチ
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サンパウロ
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インディアナポリス
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ベル・アイル
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テキサス
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ミルウォーキー
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アイオワ
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トロント
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エドモントン
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ミッドオハイオ
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ソノマ
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ボルチモア
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フォンタナ
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佐藤琢磨が自己最高の2位表彰台を獲得
スコット・ディクソンが2勝を挙げ、ランキング3位

第4戦で3位。第11戦では優勝まであと一歩というところでの2位と活躍をみせた佐藤琢磨 スコット・ディクソンは今シーズン2勝を挙げ、Honda最上位の年間ランキング3位を獲得 ルーキーとは思えない快走をみせ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したシモン・パジェノー
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2012年のインディカー・シリーズは、参戦3年目の佐藤琢磨(Rahal Letterman Lanigan Racing)が2度の表彰台獲得という快挙を達成しました。佐藤は第4戦サンパウロで3位表彰台を獲得したのに続き、第11戦エドモントンでは日本人のインディカー・ドライバーとして歴代最上位タイで、自己最高となる2位フィニッシュを果たし、最後までシーズンを盛り上げました。また、Honda勢はスコット・ディクソン(Chip Ganassi Racing)が2勝を挙げてシーズン3位となるなど、計4勝を飾りました。

新型エンジンが導入され、Hondaを含む3社によるエンジン開発競争が始まった12年のインディカー・シリーズは、開幕戦で03、08年チャンピオンのディクソンが2位フィニッシュと、新レギュレーションの中でも健在ぶりをアピール。ルーキーのシモン・パジェノー(Schmidt Hamilton Motorsports)も6位でゴールしました。

第4戦サンパウロでは佐藤が快走をみせます。25番グリッドからスタートすると、ピットストップ作戦が奏功し、残り15周で5番手へ。そのあと、2台をまとめてパスし、3位のポジションを保ちながらゴールします。佐藤にとって、これがインディカー・シリーズ参戦後初の表彰台登壇となりました。

第5戦は96回目を迎えるインディ500。伝統レースの覇者となったのは、29番手からの猛烈な追い上げをみせたダリオ・フランキッティ(Chip Ganassi Racing)。さらにチームメートのディクソンが2位に入り、Hondaに今季初勝利と1-2フィニッシュが同時にもたらされました。続く第6戦デトロイトでは、ポールポジションからスタートしたディクソンが、2位以下を大きく突き放して独走し、今季初勝利を飾ります。2位にフランキッティ、3位にパジェノーが続き、Hondaは2連勝に加え、1-2-3フィニッシュで表彰台独占を実現しました。

第7戦テキサスは目まぐるしいトップ争いが繰り広げられ、予選19番手から猛追したジャスティン・ウィルソン(Dale Coyne Racing)が制し、今季初勝利。2位には予選3番手のグレアム・レイホール(Chip Ganassi Racing)が入り、Hondaが1-2を達成。Honda勢は第5戦のインディ500から3連勝となります。

第11戦エドモントンでは、佐藤が3番グリッドからスタートすると、常にトップ争いを演じて2位表彰台を獲得。トップとの差はわずかに0.8367秒と、オーバーテイクまであとわずかというところでのチェッカーでした。これで第4戦の自己最高位記録をさらに更新しました。

第12戦Hondaインディ200では、ディクソンが57周目にトップに躍り出ると、一気に差を広げて今季2勝目。ミッドオハイオでの2年連続、通算4度目の勝利を達成しました。また、パジェノーも3位に入り、Honda勢2人が表彰台に立ちました。

500マイルで争われた最終戦は、12台がトップを入れ替わりながら走るという、熾烈なレース展開となり、フランキッティが2位チェッカー。チームメートのディクソンも3位に入りました。また、トップ争いに加わった佐藤は、果敢な走りをみせ、7位入賞を果たしました。
ディクソンは10年、11年に続き年間ランキング3位を獲得し、今季4度の表彰台に上ったパジェノーは、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。

2012 ポイントスタンディング

ドライバー

順位 ドライバー エンジン 総合 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
1R.ハンターレイシボレー468351828402226125250522712125032
2W.パワーシボレー465275050532032241812153543433112
3スコット・ディクソンHonda435424212134453141932102050173235
4H.カストロネベスシボレー431503617322913262830285014282030
5シモン・パジェノーHonda387283042181835281730181235263515
6R.ブリスコーシボレー370301627104514351612122426504013
7ダリオ・フランキッティHonda363172015305440161311142813351740
8J.ヒンチクリフシボレー358322835284112323513121830101517
9T.カナーンシボレー351101232174228194035321228201212
10グレアム・レイホールHonda333183212142112402222123219301928
11J.R.ヒルデブランドシボレー294121530262016301212261222241819
12R.バリチェロシボレー28913242220231062026191715323012
13O.セルビアシボレー287141714193530123212301210122612
14佐藤琢磨Honda281121224351712121218224017101226
15M.アンドレッティシボレー278161910162519131540141624101625
16ジャスティン・ウィルソンHonda278201220123012501220122212191312
17アレックス・タグリアーニHonda2721510122220232614203220222412
18E.カーペンターシボレー261121216121518182424121212121052
19チャーリー・キンボールHonda2602210122428241213194012121220
20E.J.ヴィソシボレー244241218221812123012121412142210
21マイク・コンウェイHonda2331226121213221414123519121614
22ジェームズ・ジェイクスHonda232101419151912201217241012181218
23ジョセフ・ニューガーデンHonda2001913101218151710121713181214
24S.デ・シルベストロロータス18212121212131751216121212131210
25S.ブルデーシボレー1731222131215121615321212
26K.レッグシボレー13712121210151512151222
27S.サーベドラシボレー41141512
28ウェイド・カニンガムHonda291316
29A.ベアトリスシボレー281216
30タウンゼント・ベルHonda2626
31ミシェル・ジョルダインHonda1616
32ジョルジオ・パンターノHonda1616
33J.アレジロータス1313
34ブライアン・クラウソンHonda1313
35ブルーノ・ジュンケイラHonda1212

マニュファクチャラー(エンジン)

順位 マニュファクチャラー 総合 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
1シボレー 123 999966699996 9 9 9
2Honda 102666699966669 6 6 6
3ロータス 60 444444444444 4 4 4

特集

INDYCAR SERIES 2012 サーキットレポート
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佐藤琢磨インタビュー SEASON 2012
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マシン&選手紹介

チップ・ガナッシ・レーシング

インディカー・ドライバーだったチップ・ガナッシは、1989年にパトリック・レーシングの経営に加わり、翌1990年からチップ・ガナッシ・レーシングとしての活動を始めました。そして現在、彼らはインディカー最強チームとして君臨しています。 96年のジミー・バッサーを皮切りに、アレックス・ザナルディが97年と98年に、さらにはファン・モントーヤが99年にシリーズチャンピオンに輝きました。これまでにインディ500では3勝を挙げています。2000年にモントーヤと飾ったのが初勝利で、08年にはスコット・ディクソンと、2010年にはダリオ・フランキッティと優勝しています。 今年もチップ・ガナッシ・レーシングで走るディクソンは、03年と08年にチャンピオンとなり、09年からチーム入りしたフランキッティは、その09年から3年連続でチャンピオンの座を獲得しています。チームとしては、96年以降と同じく4年連続の王座獲得を達成しました。11年にはサテライトチームもスタート。若手の育成を行うと同時に、収集データ量の増加によるチームのエンジニアリング部門強化も果たし、さらなる栄光の時代を築き上げる意気込みです。12年はスコット・ディクソンの年間ランキング3位がチーム最高位でした。

#9

スコット・ディクソンScott Dixon

1980年生まれ。ニュージーランド出身。インディカーで通算27勝。両親がダートレーサーのディクソンは、ニュージーランドとオーストラリアで才能を開花させ、1999年のインディライツでアメリカデビューを果たしました。挑戦2年目の2000年にインディライツでチャンピオンとなり、01年にはインディカーへのステップアップを果たしました。そして、同年にペンシルベニア州ナザレスの1マイルオーバルで、当時の最年少優勝記録である20歳9カ月14日で初優勝。ディクソンの才能が認められるようになった02年、チップ・ガナッシ・レーシングからインディカー・シリーズへ出場するようになり、03年には初めてシリーズチャンピオンの座に就きました。08年に激戦の末、2度目の王座獲得を達成。この3シーズンはチームメートがチャンピオンの座を守り続けていますが、ディクソンも09年がシリーズランキング2位、10年と11年は3位と好成績を残しました。12年シーズンは2勝を挙げ、Honda勢最上位の年間ランキング3位を獲得しました。

#10

ダリオ・フランキッティDario Franchitti

1973年生まれ。スコットランド出身。インディカーで通算20勝。イギリスF3で才能を見出され、DTMとITCに参戦。その流れで1997年、4メーカー激突のインディカー・シリーズへの参戦を開始しました。翌98年にはチーム・グリーンへ移籍してHondaドライバーとなり、99年にはファン・モントーヤと激しいチャンピオン争いで同点となり、勝利数の多さでフランキッティは惜しくもシリーズ2位となりました。2007年にはアンドレッティ・グリーン・レーシングでインディ500を制覇し、そのままシリーズチャンピオンとなって、08年にはストックカーレースへの挑戦のためにインディカーを1年離れました。09年からチップ・ガナッシ・レーシングでインディカー・シリーズへの参戦を再開すると、すぐさまシリーズチャンピオンとなり、以来3年連続で王座を守り続けました。12年シーズンは第5戦インディアナポリスで優勝し、ランキング7位となりました。

#38

グレアム・レイホールGraham Rahal

1989年生まれ。アメリカ、オハイオ州出身。インディカーでこれまで1勝。父はインディカーで3度チャンピオンとなり、インディ500でも1勝しているボビー・レイホール。グレアムのインディカーデビューは2007年で、08年にセント・ピーターズバーグでキャリア初優勝を飾りました。19歳での勝利は、今でもインディカーでの史上最年少勝利レコードであり続けています。2010年にはレギュラーシートを失いましたが、11年にはチップ・ガナッシ・レーシングのサテライトチームにドライバーとして抜てきされ、ブラジルのサンパウロで行われたストリートレースで、シーズンベストリザルトとなる2位フィニッシュ。予選ではボルチモアのストリートコースとケンタッキーの1.5マイルオーバルで2番手を記録し、シリーズランキングも9位という成績を残しました。トップコンテンダーへの成長が期待された2012年は、2位表彰台獲得を筆頭に上位入賞を繰り返し、シーズン総合10位となりました。

#83

チャーリー・キンボールCharlie Kimball

1985年生まれ。イギリス生まれ。国籍はアメリカ。その母国で入門フォーミュラを戦ったあと、キンボールはイギリスF3に挑戦して5勝、ユーロF3に進んで1勝といった成績を残しました。その後、2009年にインディカーの登竜門であるインディライツに参戦するためアメリカに戻り、2シーズンを戦って優勝は飾れませんでしたが、2010年には5度表彰台に上ってランキング4位に食い込み、11年に強豪チップ・ガナッシ・レーシングからインディカー・シリーズへデビューするチャンスをつかみました。ルーキーイヤーの成績は2度のトップ10フィニッシュ。年間ランキングは19位でした。再びチップ・ガナッシ・レーシングで走った12年シーズンでは、第10戦トロントで自己ベストである2位フィニッシュを決めました。

シモン・パジェノー

サム・シュミットはインディカーで1勝している元ドライバーで、テスト中のアクシデントによる負傷からドライバーとしての活動はストップせざるを得ませんでしたが、2001年にチームを発足させ、以来、インディライツで驚異的な強さを誇っています。04、06、07、10、11年に彼らはシリーズチャンピオンを輩出しています。 インディカーへの挑戦はインディ500を中心に行ってきた彼らでしたが、11年にファスト・レーシングを買収して活動を本格化させました。そして、その年のインディ500でポールポジション獲得を、アレックス・タグリアーニのドライビングにより達成。タグリアーニはその後、テキサスでもポールポジションを奪取しました。12年シーズン、インディカーのオペレーションには現役ドライバーで、サム・シュミット・モータースポーツの最初のインディカー・ドライバーだったデイビー・ハミルトンが加わり、チームが現在の名前になりました。シーズンを通して戦うドライバーには、フランス出身のシモン・パジェノーを起用、インディカーにおけるチームとしての初勝利はなりませんでしたが、それを補って余りある活躍をみせました。

#77

シモン・パジェノーSimon Pagenaud

1984年生まれ。フランス出身のルーキー。ヨーロッパの入門フォーミュラで走ったあとの2006年、フォーミュラ・アトランティック・シリーズで戦うべくアメリカへと渡ったパジェノーは、初年度にしてチャンピオンの座を射止めました。そして、翌年には早くもチャンプカー・ワールド・シリーズへのステップアップを果たしました。08年はインディカーで走ることができませんでしたが、スポーツカーの世界で活躍。アキュラのスポーツカー・プロジェクトではジル・ド・フェランとコンビを組むドライバーとして抜てきされ、10年にはハイクロフト・レーシングでデイビッド・ブラバムとともにアメリカン・ル・マン・シリーズでチャンピオンの座をつかみました。11年にはドレイヤー&レインボールド・レーシングとHVMレーシングから、レギュラー・ドライバーの代役を務める形で、インディカー・シリーズへの出場を3戦で果たし、ベストリザルトは8位でしたが、その才能と順応性の高さを見せました。12シーズンは4度の表彰台で年間ランキング5位。期待以上の活躍でルーキー・オブ・ザ・イヤーも獲得し、今後が最も楽しみな選手の一人です。

レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング

その名が示す通り、複数のオーナーによって経営されているチームです。その中心は1986年インディ500ウイナーで、86、87、92年にインディカーのシリーズチャンピオンに輝いているボビー・レイホールです。2人目のオーナーであるデイビッド・レターマンは、アメリカで絶大なる人気を誇るテレビ番組“レイト・ショー”のホスト。インディアナ出身でインディカー・レースに大きな情熱を持っています。そして3人目のオーナーは、建設機材のメーカーなどで成功を収めている実業家のマイク・ラニガン。彼は長年、レースの世界に関わってきましたが、2011年からレイホールのチームへと加入しました。 1994年にHondaがインディカー・シリーズへの挑戦を開始した時、パートナーを務めたのが同チームの前身であるレイホール・ホーガン・レーシングで、Honda Indy V8にとっての最初の表彰台フィニッシュを94年のトロントで記録したドライバーは、レイホール自身でした。そのあと、一時Hondaとの共闘関係は途切れましたが、2003年にHondaエンジンで再び戦うようになり、Hondaにとっての初めてのインディ500優勝を、05年にレイホール・レターマン・レーシングとドライバーのバディ・ライスが達成しました。レイホール率いるチームは、08年まで続けていたインディカー・シリーズのフル参戦をストップし、09年からはインディ500などへのスポット参戦を行うのみでしたが、新型シャシーが導入され、3メーカーによるエンジン競争も再開される12年は大きなチャンスととらえ、フルシーズン・エントリーを再開することになりました。インディアナポリスに新たなワークショップを開設した彼らは、佐藤琢磨をリーディング・ドライバーに起用し、戦いました。

#15

佐藤琢磨Takuma Sato

1977年生まれ。東京都出身。大学生になってから鈴鹿サーキットレーシングスクール フォーミュラ(SRS-F)に入り、カートでのレース出場も開始。全日本F3を走ったあとに渡英し、激戦のイギリスF3で参戦2年目の2001年にシリーズチャンピオンへと昇り詰めました。02年にジョーダン・グランプリからF1世界選手権に出場を開始した佐藤は、テストドライバーとしての1年を挟んで、B・A・R Honda、スーパーアグリF1チームでF1グランプリに08年途中まで戦い続けました。04年にはアメリカGPで日本人ドライバーとして歴代最上位タイの3位フィニッシュを達成、表彰台に上っています。佐藤はインディカーへの挑戦を2010年にスタートさせました。KVレーシング・テクノロジーで2シーズンを戦い、11年にはアイオワ・スピードウェイで日本人として初めてのポールポジションを獲得。エドモントンのテンポラリー・ロードコースでは2度目のポールポジションを記録しています。キャリア最高位はこの年のミッドオハイオ・スポーツカー・コースでの4位。チーム移籍後、3シーズン目となった12年は、惜しくも初優勝は逃しましたが、2位と3位を獲得し、その実力を十分に示した年となりました。

デイル・コイン・レーシング

デイル・コインが自らのために発足させたチームは、インディカーとしては珍しく、シカゴ郊外にワークショップを構え続けています。1986年にチームはスタートし、91年でコインがドライバーとしての活動に終止符を打ったあとも、アメリカのトップ・オープンホイールへの挑戦を続けています。 2009年、伝統あるロードコースのワトキンス・グレン・インターナショナルで、念願の初勝利を挙げました。設立から実に24年が経っていました。小規模ながらトップ・オープンホイールへの挑戦を続けたデイル・コイン・レーシングは、アメリカ人ドライバーだけでなく、多くのヨーロッパ出身ドライバーたちにインディカー・レースに挑戦するチャンスを与えてきました。

#18

ジャスティン・ウィルソンJustin Wilson

1978年生まれ。イギリス出身。インディカーで通算6勝。イギリスのフォーミュラカーで順調にステップアップしたウィルソンは、2001年に国際F3000でシリーズチャンピオンとなり、03年にミナルディF1チームからF1世界選手権にデビューを果たしました。同年のシーズン途中にジャガーF1へと移籍し、トータルで16レースに出場しました。04年からはアメリカへと活動の拠点を移し、インディカー・シリーズに参戦。05年に初勝利と2勝目をマークしたウィルソンは、06、07、08、09年にも1勝ずつを記録しています。特にロードレースで優れた成績を残してきたウィルソン。12年シーズンはデイル・コイン・レーシングに復帰し、第7戦テキサスで優勝を飾りました。

#19

ジェームズ・ジェイクスJames Jakes

1987年生まれ。イギリス出身。イギリス・フォーミュラルノー、フォーミュラルノー・ユーロシリーズ、イギリスF3、F3ユーロシリーズと進んだジェイクス。彼は2007年にはフランスのポーで行われたストリートレースで優勝するなど活躍し、GP2アジア、GP3でさらに経験を重ねてきました。2011年にジェイクスはアメリカでのレース活動をスタート。デイル・コイン・レーシングからインディカー・シリーズにルーキーとして参戦しました。ベスト・フィニッシュはツインリンクもてぎでの「インディジャパン・ザ・ファイナル」における13位。シーズンが進むにつれて着々とマシン、そしてインディカー・レースへの習熟度を増していきました。

A.J.フォイト・エンタープライズ

インディ500で4回の優勝を史上初めて達成し、インディカーでの勝利数は歴代最多の67勝を誇る伝説のドライバー、A.J.フォイトがチーム・オーナー。フォイトが1994年に引退したあとも、96年にはスコット・シャープを、98年にはケニー・ブラックをインディカーのシリーズチャンピオンに就け、99年にはブラックとインディ500優勝も成し遂げています。 インディカーでの勝利は、2002年のアイルトン・ダーレによるものを最後に遠ざかっていますが、2世代目のラリー・フォイトがチームの陣頭指揮をとっての体制が力をつけてきており、2012年シーズンに向けて実力のある若手、マイク・コンウェイを起用して、実績あるベテランエンジニアとコンビを組ませました。

#14

マイク・コンウェイMike Conway

1983年生まれ。イギリス出身。インディカーではこれまで1勝。2006年のイギリスF3で圧倒的成績とともにシリーズタイトルを獲得したコンウェイは、07年にはGP2に参戦しながら、Honda F1のテストドライバーを務めました。アメリカでの活動は09年から。ドレイヤー&レインボールド・レーシングで2シーズンを走ったあと、11年にアンドレッティ・オートスポートに起用されると、シーズン序盤のロングビーチ・グランプリでキャリア初優勝を飾りました。そして12年シーズン、コンウェイはA.J.フォイト・エンタープライズへと移籍しました。この歴史あるチームに加わった12年は、カナダのトロントで行われた第10戦で3位表彰台に立ちました。

サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシング

女性ドライバーとしてインディカーで初めてポールポジションを獲得したサラ・フィッシャーが、人生の伴侶であるアンディ・オガーラと2008年に興したのがサラ・フィッシャー・レーシングです。そのスタートは彼女を走らせるためのチームとしてでしたが、10年にフィッシャーはコクピットを離れ、オーナー業に専念するようになりました。今年からウィリス・ハートマンがチーム経営に参画し、サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングに名称が変更されています。 まだキャリアはとても短いチームですが、2011年のケンタッキー・スピードウェイにおいて、エド・カーペンターがチームの初優勝を達成しています。12年シーズン、彼女たちはアメリカ出身の若手にチャンスを与え、ともにインディカー・シリーズで戦っていくこととなりました。11年にインディライツ・チャンピオンを獲得したジョセフ・ニューガーデンにマシンを委ね、新しいチャレンジを行っていきます。

#67

ジョセフ・ニューガーデンJosef Newgarden

1990年生まれ。アメリカ、テネシー州出身のルーキー。 中学時代に始めたレーシング・カートで好成績を挙げたニューガーデンは、スキップ・バーバー・レーシング・スクールで腕を磨き、2009年にはイギリスに渡って、ヨーロッパでのステップアップを目指しました。フォーミュラ・フォードをはじめとする数シリーズで戦ったあと、2010年にスタートしたGP3シリーズへとフルエントリー。ヨーロッパ中を転戦し、ランキング18位となりました。11年、ニューガーデンは母国アメリカに戻ってインディカーへの登竜門であるインディライツに参戦。デビュー戦のセント・ピーターズバーグで優勝し、ルーキーイヤーながらその後さらに4勝、2位フィニッシュ4度、ポールポジション3度という圧倒的な成績でシリーズチャンピオンに輝きました。

チーム名 カー・ナンバー ドライバー 出身地 2012年の戦績
チップ・ガナッシ・レーシング
(Chip Ganassi Racing)
10 ダリオ・フランキッティ
(Dario Franchitti)
スコットランド インディカー・ シリーズ 3位
9 スコット・ディクソン
(Scott Dixon)
ニュージーランド インディカー・ シリーズ 7位
38 グレアム・レイホール
(Graham Rahal)
アメリカ インディカー・ シリーズ 10位
83 チャーリー・キンボール
(Charlie Kimball)
イギリス インディカー・ シリーズ 19位
シュミット・ハミルトン・モータースポーツ
(Schmidt/Hamilton Motorsports)
77 シモン・パジェノー
(Simon Pagenaud)
フランス インディカー・ シリーズ 5位
レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング
(Rahal Letterman Lanigan Racing)
15 佐藤 琢磨
(Takuma Sato)
東京都 インディカー・ シリーズ 14位
デイル・コイン・レーシング
(Dale Coyne Racing )
18 ジャスティン・ウィルソン
(Justin Wilson)
イギリス インディカー・ シリーズ 16位
19 ジェームズ・ジェイクス
(James Jakes)
イギリス インディカー・ シリーズ 22位
A.J.フォイト・エンタープライズ
(A.J. Foyt Enterprises)
14 マイク・コンウェイ
(Mike Conway)
イギリス インディカー・ シリーズ 21位
サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシング
(Sarah Fisher Hartman Racing)
67 ジョセフ・ニューガーデン
(Josef Newgarden)
アメリカ インディカー・ シリーズ 23位