シモン・パジェノー

サム・シュミットはインディカーで1勝している元ドライバーで、テスト中のアクシデントによる負傷からドライバーとしての活動はストップせざるを得ませんでしたが、2001年にチームを発足させ、以来、インディライツで驚異的な強さを誇っています。04、06、07、10、11年に彼らはシリーズ・チャンピオンを輩出しています。
インディカーへの挑戦はインディ500を中心に行ってきた彼らでしたが、11年にファスト・レーシングを買収して活動を本格化させました。そして、その年のインディ500でポールポジション獲得を、アレックス・タグリアーニのドライビングにより達成。タグリアーニはその後、テキサスでもポールポジションを奪取しました。12年シーズン、インディカーのオペレーションには現役ドライバーで、サム・シュミット・モータースポーツの最初のインディカー・ドライバーだったデイビー・ハミルトンが加わり、チームが現在の名前になりました。シーズンを通して戦うドライバーには、フランス出身のシモン・パジェノーを起用、インディカーにおけるチームとしての初勝利を目指します。

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シモン・パジェノーSimon Pagenaud

1984年生まれ。フランス出身のルーキー。ヨーロッパの入門フォーミュラで走ったあとの2006年、フォーミュラ・アトランティック・シリーズで戦うべくアメリカへと渡ったパジェノーは、初年度にしてチャンピオンの座を射止めました。そして、翌年には早くもチャンプカー・ワールド・シリーズへのステップアップを果たしました。08年はインディカーで走ることができませんでしたが、スポーツカーの世界で活躍。アキュラのスポーツカー・プロジェクトではジル・ド・フェランとコンビを組むドライバーとして抜てきされ、10年にはハイクロフト・レーシングでデイビッド・ブラバムとともにアメリカン・ル・マン・シリーズでチャンピオンの座をつかみました。11年にはドレイヤー&レインボールド・レーシングとHVMレーシングから、レギュラー・ドライバーの代役を務める形で、インディカー・シリーズへの出場を3戦で果たし、ベストリザルトは8位でしたが、その才能と順応性の高さを見せました。12年、パジェノーはフルシーズン・エントリーを行うためのシートを獲得。ルーキーイヤーから大暴れが期待できるドライバーとして注目を集めています。