History

GP復帰と技術の追求(1979年~1981年)

Hondaは1967年シーズンをもって、世界選手権ロードレース(以下WGP)から一時的に撤退しました。その活動を再開したのは、10年以上が経った1979年のことでした。

Hondaは活動再開に向けて500ccクラス用に4ストロークマシンNR500を開発しました。当時の500ccクラスは2ストロークマシンが主流。しかし、Hondaは敢えて、4ストロークマシンで挑戦することにしました。しかし、最初の課題はパワーです。4ストロークエンジンが2ストロークエンジンにパワーの面で対抗するには、単純に考えれば、2ストロークエンジンの倍の回転数を必要とします。また、4ストロークエンジンの構造は複雑になりがちなため、エンジンのサイズが大きく、重くもなります。そのビハインドの解決、すなわち小サイズ化も、WGPで勝利するために取り組むべき課題の一つでした。

NR500NR500

Hondaのエンジニアがまず注目したのが、V型8気筒エンジンです。1気筒あたり32.5ccのV型8気筒・32バルブエンジンであれば、ライバルと同程度の出力を実現できると考えたのです。しかし、WGPのレギュレーションでは、シリンダーの数が4つ以内と定められていたため、単純にそのエンジンの開発を進めるわけにはいきません。そこで、V型8気筒の基本構造を基に、2気筒ずつを繋げるというアイデアで楕円ピストンを生み出しました。こうして開発した前代未聞のV型4気筒エンジンをNR500に搭載することになったのです。

これまでにないエンジンの開発は、当然ながら試行錯誤の連続。それでも、目標に至らずも近いスペックを備えたエンジンが完成しました。そしてそれをアルミモノコックフレームに搭載し、前輪16インチタイヤ、ドライブスプロケット同軸マウントのスイングアーム、組立式コムスターホイールなど、Hondaのオリジナル技術の集大成といえるものでした。NR500はHondaのチャレンジングスピリットに満ちたマシンとなり、WGPの舞台に登場しました。

こうして、1979年8月のイギリスGPから登場したNR500ですが、1979年は技術の充分な熟成と確認ができていなかったことで、スタート直後にリタイア。その後はWGPを実験の場として、アップデートを続けていきました。そうしてNR500のスペックは着実に高まっていきましたが、1980年シーズンは3レースに出場して15位と12位で2レースを完走、1981年シーズンは6レースに出場し、13位で1レースを完走という結果でした。

NR500が投入された3年間は、結果を出すことはできませんでした。しかし、そこでHondaが得た技術と経験はどんなものにも代えがたく、それは1982年から投入されたNS500の活躍に、大きく貢献しました。

年表

  • 1967年 500cc、350cc、250ccに参戦
  • 1967年 WGPから一時撤退を発表
  • 1977年11月 "WGP復帰宣言"
  • 1978年4月 "朝霞研究所内にNRブロック設置"
  • 1979年4月 0Xエンジン完成
  • 1967年6月 NR500を発表
  • 1967年8月 イギリスGPに出走(WGPに復帰)
  • 1980年 WGPに3戦出走、完走2回
  • 1981年 WGPに6戦出走、完走1回
  • 1981年6月 鈴鹿200kmでNR500が優勝