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V4エンジン、その35年にわたる技術の変遷と、挑戦の物語

"スポーツのV4"を極めること

RS1000RW 1982 デイトナ200マイルレース(F・スペンサー)

NR500で得たノウハウを結集、新V4スポーツモデルの誕生

Hondaが創るべきもの。それは、絶えず独創的でなくてはならない。WGP参戦復帰と同時期に、Hondaはあえて全盛を極めていた伝統の直4とは異なる、新たなエンジン形態を持つ市販スポーツモデルの開発を始める。他社とは明らかに違うもの、世の中にない高性能なもの--その背景に置かれたのは、NR500のV4エンジンだった。市場投入の前に、まずは「デイトナ200マイルレースに出場して勝利し、Honda V4エンジンの優位性をアピールすること」を目的とし、市販予定車のエンジンをベースにプロトタイプマシンRS1000RWを開発。ピストンこそ真円だが、NR500で得たノウハウをフルに注いだ90°V型4気筒エンジンは、テスト段階でいきなり150PS以上の強烈なポテンシャルを発揮する。実戦では、前例のないパワーとスピードにタイヤ交換を余儀なくされるもRS1000RWは2位を獲得。またTT-F1規定のレースなどにも出場し、V4の優れたスポーツ性を証明すると、満を持して市販車を世に送り出した。当時世界初の水冷4ストロークDOHC4バルブ・90°V型4気筒750ccエンジン搭載のVF750セイバー/マグナのデビューである。

レースポテンシャルを秘めた市販V4エンジン

1982年、VF750セイバー/マグナに次いでVF750Fを発売。エンジン型式や出力数値はセイバーやマグナと同じだが、強烈なエンジンブレーキによるリアタイヤのホッピングを抑えるデバイスとして、NR500で開発された「バックトルク・リミッター」を採用。車体面では市販車初の角型断面パイプのダブルクレードルフレームを用いるなど、その優れたパフォーマンスはデイトナ200マイルを始めとする数々のレースでの勝利によって実証された。Hondaはその後も "Vシリーズ"のフルラインアップ化を目指し、VF1000Rなどのニューモデルを短期間で次々と開発・市場投入していく。同時に、1982年に設立された「HRC」を主体とし、VF750Fをベースにしたレーシングマシンの開発を進める。1983年にはRS850Rを開発。翌年にはRS750Rを開発し、ル・マン24時間耐久などのビッグレースをことごとく制した。性能だけでなく、90°V型エンジンレイアウトによる一次振動の解消、2気筒並みのスリムなエンジン幅、クランクケース一体型のシリンダー構成など、基本設計でも革新的かつ合理的な理論が盛り込まれたこのパワーユニットは、以降に続くHonda V4エンジンの基礎となった。

1982 RS1000RW

1982 RS1000RW

1983 RS850R

1983 RS850R

1984 RS750R ボルドール & ルマン24時間耐久レース(G・コードレイ)

1984 RS750R ボルドール & ルマン24時間耐久レース(G・コードレイ)


1984 VF750F デイトナ200マイルレース

1984 VF750F デイトナ200マイルレース

1984 VF750F デイトナ200マイルレース(F・スペンサー〈19番〉/M・ボールドウイン〈43番〉)

1984 VF750F デイトナ200マイルレース(F・スペンサー〈19番〉/M・ボールドウイン〈43番〉)

1982 VF750F エンジン(市販車)

1982 VF750F エンジン(市販車)

1982 VF750F(市販車)

1982 VF750F(市販車)

1984 VF1000R(市販車)

1984 VF1000R(市販車)