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V4エンジン、その35年にわたる技術の変遷と、挑戦の物語

独創技術の結晶

NR500(0X) 1979 イギリスGP(片山敬済)

NR500 完成、シルバーストーンでの苦いデビュー

0Xエンジンがベンチで回り出した頃、参戦復帰を宣言した1979年のシーズンはすでに始まっていた。テスト段階で多発する数々のトラブルに苦しみながらも、マシンの開発は急ピッチで進められた。そして7月、プロジェクトの名を冠したNR500がついに完成。レーシングマシンとしての煮詰めは万全とは言い難かったが、それでもNR500は8月のシルバーストーン・サーキットにその勇姿を現す。最高出力115PS以上の高回転型V4エンジンを中心に、アルミ製セミモノコックの通称"エビ殻"フレーム、倒立型フロントフォーク、同軸スイングアーム、サイドラジエーターなど、それまで見たこともない新技術が満載されていた。ところがその記念すべきデビュー戦で、NR500はいきなり苦戦する。2台出走し、なんとか予選を通過したものの、決勝レースでは2台とも開始わずかでリタイアを喫したのである。予期せぬトラブル、ライバルたちとの明らかな差。実戦の厳しさは予想を遥かに上回っていた。しかし、不十分な熟成だったとはいえ、負けた事実に変わりはない。NR500は開発スピードを上げ、さらに進化していった。

積み重ねられた努力が具現化したもの

エンジンはまず、ギアトレイン系などの熟成とともに、Vバンクを90°に設定。最高出力は130PS以上まで高められた。また、エンジンブレーキの効き過ぎに対応する「バックトルク・リミッター」というデバイスを開発。具体的な成績を残すことに主眼を置き、デビュー時の革新的な脚回りは徐々にコンベンショナルな仕様へと改良された。こうした熟成のもと、1981年の鈴鹿200kmレースでついに初勝利を飾る。しかし一方で、WGPでは依然として苦戦が続いていた。開発から4年目の1982年、Hondaはついに主力マシンを2ストロークエンジンのNS500に移行することを決断。以降、NR500の出場機会は減っていくも、そのエンジンは研究所のベンチで回り続けた。「可能性がある限り、追求してこそ価値がある」。開発は静かに継続していたのである。1987年、NR750としてル・マン24時間耐久で復活すると、その翌年には市販NRの開発がスタート。そして1992年、プロジェクトの集大成、市販車のNRが誕生する。それは、NRで始まったV4エンジンが、数々のテクノロジーと熱いスピリットを育み、再びNRとしてひとつの夢を具現化した瞬間だった。

1980 イギリスGP(片山敬済)

1980 イギリスGP(片山敬済)

1980 片山敬済選手と福井威夫監督(当時)

1980 片山敬済選手と福井威夫監督(当時)


1981 NR500(2X) 全日本ロードレース選手権出場車

1981 NR500(2X) 全日本ロードレース選手権出場車

1983 NR500 東京モーターショー出展車

1983 NR500 東京モーターショー出展車

1987 NR750 ルマン24時間耐久レース(M・キャンベル/G・ロイ/根本健組)

1987 NR750 ルマン24時間耐久レース(M・キャンベル/G・ロイ/根本健組)


1987 NR750 ルマン24時間耐久レース(M・キャンベル/G・ロイ/根本健組)

1987 NR750 エンジン

1987 NR750 エンジン

1992 NR エンジン(市販車)

1992 NR エンジン(市販車)

1992 NR(市販車)

1992 NR(市販車)