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 Hondaは、2001年の開幕戦/鈴鹿において記念すべきグランプリ500勝を達成し、2001年シーズン中にその記録を525勝まで伸ばした。2002年からは、新たなるマシンレギュレーションのもとに「MotoGPクラス」が施行され、グランプリの歴史は新たなページを開くことになる。

 Hondaのグランプリ500勝に至る道程と記念すべき勝利にスポットライトを当ててきた本稿では、その最終章として全クラスを通じた様々な「初」を、その達成順に網羅してみたい。そのひとつひとつがHondaのグランプリ活動の確かな足跡であり、またそれぞれのライダーにとっても大きなマイルストーンであったことは確かだ。

 グランプリに挑戦する以前、Hondaとして初めて(もちろん日本のメーカーとしても初めて)海外のレースに参戦したのは、1954年のこと。
 そのレースは「ブラジル・サンパウロ市市制400年記念国際モーターサイクルレース(インテルラゴスサーキット)」というインターナショナル格式のレースで、Hondaはライダーの大村美樹雄を市販車改造のR125に乗せ、13位の成績を得た。
 このレースへの参戦こそが、その後のHondaの世界挑戦の原点であることに間違いはない。このレース参戦の直後、本田宗一郎社長はマン島TT挑戦を内外に発表。世界レベルのレースへの挑戦を本格的に開始することになる。
 記念すべきHondaのロードレース世界選手権初挑戦は、1959年6月3日水曜日。その年のシリーズ第1戦マン島TTレース(イギリス)。出場クラスは125ccクラスだった。
 ライダーは谷口尚巳(6位、マシンはRC142)。鈴木義一(7位)。田中禎助(8位)。鈴木淳三(11位)そして個人出場のかたちをとったビル・ハントは2周目に転倒リタイアとなっている。
 このレースにおいて、谷口は日本人として初めてロードレース世界選手権に入賞し、選手権ポイントを獲得。またHondaは全員完走をもってチーム賞を授与されている。
 ロードレース世界選手権におけるHondaの初表彰台(3位以内入賞)は、1960年7月24日。その年のシリーズ第5戦西ドイツGP(ゾリチュード)250ccクラスにおける、田中健二郎の3位。マシンはRC161。
 この年Hondaは、続く第6戦アルスターTT(トム・フィリス)、第7戦イタリアGP(ジム・レッドマン)において2位入賞をはたすが、ついに優勝を手にすることは出来なかった。
 この1960年度の250ccクラスにおけるメーカーランキングは2位。4位に2回入賞するにとどまった125ccクラスのメーカーランキングは3位だった。
 ロードレース世界選手権におけるHondaの記念すべき初優勝は、1961年4月23日。その年のシリーズ第1戦スペインGP(モンチュイッヒ)。ライダーはトム・フィリス。マシンはRC143。この優勝は、Honda初のグランプリにおける勝利であるとともに、125ccクラス初優勝、オーストラリア人ライダーによる初優勝であり、さらには日本製マシンによる初優勝という側面も含んでいる。詳しくは本稿「Vol.1「記念すべき初優勝」〜天気晴朗なれど波高し…転がり込んだ初優勝〜を参照。
 ロードレース世界選手権における250ccクラスにおける初優勝は、1961年5月14日。その年のシリーズ第2戦西ドイツGP(ホッケンハイム)。ライダーは高橋国光。マシンはRC162。この優勝は、250ccクラス初であるとともに、日本人ライダーとして初のロードレース世界選手権における勝利として歴史に刻まれるものとなった。詳しくは本稿「Vol.2「ひるがえる日章旗」〜そしてKunimitsuの名は刻まれた〜を参照。
 好調な滑り出しを見せた1961年シーズンの第3戦フランスGP/5月21日(クレルモンフェラン)250ccクラスにおいて達成。優勝トム・フィリス、2位マイク・ヘイルウッド、3位高橋国光。マシンはともにRC162。この年Hondaの250ccクラスは好調の波に乗り、その後8戦連続で表彰台を独占。さらに翌62年の第3戦まで表彰台独占を継続し、合計12戦連続で表彰台を独占するという快挙を成し遂げることになる。 
 同じく1961年の第3戦フランスGPにおいて、トム・フィリスが125、250ccの両クラスにおいて優勝。マシンは125ccクラスが2RC143、250ccクラスがRC162。
 1961年の第4戦マン島TTレースにおいて、マイク・ヘイルウッドが125、250ccの両クラスにおいて優勝。これがイギリス人ライダーによる初の優勝となった。詳しくは本稿「Vol.3「悲願、マン島TT優勝」〜世界最高峰の頂きを目指して〜を参照。
 1961年の第6戦ベルギーGP/7月2日(スパ・フランコルシャン)において、ルイジ・タベリが125ccクラスにおいて優勝。これがスイス人ライダーによる初の優勝となった。
 この第6戦ベルギーGP/7月2日(スパ・フランコルシャン)の250ccクラスにおいて優勝したジム・レッドマンがローデシア人ライダーの優勝となった。
 125、250cc両クラスで好調を見せた1961年は、両クラスにおけるメーカータイトル、また125ccクラスはトム・フィリス、250ccクラスはマイク・ヘイルウッドがライダータイトルを獲得し、これら4つのタイトルが、Hondaにとって初めてのロードレース世界選手権タイトルとなった。
 ロードレース世界選手権における350ccクラスにおける初優勝は、1962年6月30日。その年のシリーズ第4戦ダッチTT(アッセン)。ライダーはジム・レッドマン。マシンはRC171。 
 レッドマンが350ccクラス初優勝をはたした、この第4戦ダッチTT(アッセン)で、Hondaは125(トム・フィリス)、250(ジム・レッドマン)、350cc(ジム・レッドマン)クラスの3クラスで優勝。これがHonda初のワンレース3クラス優勝となった。
 ロードレース世界選手権における50ccクラスにおける初優勝は、1962年9月23日。その年のシリーズ第10戦フィンランドGP(タンペラ)。ライダーはルイジ・タベリ。マシンはRC111。 
 1964年、第5戦ダッチTT(アッセン)で、Hondaは50(ラルフ・ブライアンズ)、125(ジム・レッドマン)、250(ジム・レッドマン)、350cc(ジム・レッドマン)クラスの4クラスで優勝。これがHonda初のワンレース4クラス優勝となった。
 ロードレース世界選手権における500ccクラスにおける初優勝は、1966年5月22日。その年のシリーズ第2戦西ドイツGP(ホッケンハイム)。ライダーはジム・レッドマン。マシンはRC181。詳しくは本稿「Vol.5「最高峰への挑戦。500ccクラス初優勝、そして全クラス制覇へ」〜1966年5月22日 第2戦 西ドイツGP〜を参照。
 1966年、Hondaは50、125、250、350、500cc全5クラスのメーカータイトルを世界で初めて獲得。ちなみに125ccクラスはルイジ・タベリ、250、350ccクラスはマイク・ヘイルウッドがライダータイトルを獲得している。詳しくは本稿「Vol.5「最高峰への挑戦。500ccクラス初優勝、そして全クラス制覇へ」〜1966年5月22日 第2戦 西ドイツGP〜を参照。
 1979年にグランプリに復帰したHondaは、1982年より2ストローク500ccマシンNS500を投入。そしてこの年の第7戦ベルギーGP/7月4日(スパ・フランコルシャン)において、フレディ・スペンサーの手によって復帰後/2ストロークマシンの初優勝を達成している。詳しくは本稿「Vol.6「新時代への独立記念日。GP復帰後初優勝・Honda2ストローク初優勝」〜1982年7月4日 第7戦 ベルギーGP〜を参照。また、この優勝はアメリカ人ライダーによる初優勝でもあった。
 1985年、250と500ccクラスにダブルエントリーを開始したフレディ・スペンサーは、その第1戦南アフリカGP/5月23日(キャラミ)にて2ストローク250ccの初優勝を達成。マシンはNSR250。そしてスペンサーはこの年両クラスのライダータイトルを獲得。Hondaも2クラスのメーカータイトルを手中にした。 
 1987年度から125ccクラスへの参戦を再開したHondaは、翌1988年の第3戦西ドイツGP/5月29日(ニュルブルクリンク)で2ストロークによる125ccの初優勝を達成。ライダーはエツィオ・ジャノーラ。マシンはRS125R。ちなみにこのレースでHondaは125ccクラス1.2.3位を独占している。
西ドイツ/アントン・マンク
1985年8月4日イギリスGP(シルバーストーン)
250ccクラス
スペイン/シト・ポンス
1986年6月15日ユーゴスラビアGP(リエカ)
250ccクラス
イタリア/エツィオ・ジャノーラ
1988年5月29日西ドイツGP(ニュルブルクリンク)
125ccクラス
オランダ/ハンス・スパーン
1989年6月4日オーストリアGP(ザルツブルクリンク)
125ccクラス
ブラジル/アレッサンドロ・バロス
2000年6月24日ダッチTT(アッセン)
500ccクラス

 そしてHondaは、2001年4月8日第1戦日本GP(鈴鹿)において、グランプリにおいて単一メーカーとして初めて500勝を達成。2001年度中にその記録を525勝まで伸ばし、そして2002年度より始まる「新生ロードレース世界選手権」に新たな挑戦を開始することになる。

 Hondaの飽くなき挑戦は、そのデータや数字そして記録を超えて、グランプリに足跡を残し続けることだろう。

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