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 1961年、Hondaの世界GP挑戦3年目。初優勝の達成とともに125ccクラス11戦8勝、250ccクラスに至っては11戦10勝で両クラスのメーカー/ライダーチャンピオンを獲得したこの'61年シーズンのHondaチームは、あたかも楽勝ムードに包まれていたかのように思われがちだが、シーズンの滑り出しは決して易々としたものではなかった。
 全くの新設計マシンを投入した250ccクラスに対し、125ccクラスのマシンは決定的な改善策が見い出せていなかった。すでに1961年型の125cc用新型マシンRC144は実戦投入の準備を整えてはいたが、思うような性能向上がもたらされず、Hondaチームのエース格となるトム・フィリスが緒戦スペインGPで駆ったのは、前年1960年型のマシンであるRC143だった。
 前年の1960年、コンスタントに入賞こそ果たせる実力を見せていたHonda RC143ではあったが、まだまだ表彰台を狙えるまでのポテンシャルを発揮しているとは言えない状態だった。'60年の125ccクラスにおけるHonda最高位はジム・レッドマンの4位。
いまだ表彰台は遠い存在だった。
1960年度メーカータイトル・ランキング
1位 MVアグスタ 36ポイント
2位 MZ 23ポイント
3位 Honda 7ポイント
4位 Ducati 1ポイント
 当時の125ccクラスの勢力は、まさに4ストvs2ストの過渡期にあった。MVアグスタのワークス活動撤退と、王者カルロ・ウッビアリの引退。これにかわってMZ、モンテッサ、ブルタコなどの2ストメーカーがめきめきと頭角をあらわし始めていた。軽量級の未来は、まさに2ストロークのものであるとの認識は、確実に定着しようとしていた。

 中でも'59年にGPデビューを果たしたイギリスのEMC(Ehrlich Motorcycle)は、現在では当たり前の水冷エンジンやポート・デバイスなどの新機軸を盛り込んだ画期的なマシンとして注目を集める存在だった。マシンの設計者は、イギリスの名門航空機企業デ・ハビランド社の技術者であるジョセフ・エーリッヒ博士。一時はMZの開発にも携わったエーリッヒ博士は、気鋭の2スト・レーシングマシンをもって世界GPに挑んだ天才技術者だった。

 1961年シーズン緒戦、スペインGP125ccクラス。一斉にスタートした14台のマシンをリードしてレースの主導権を握ったのは、このEMCを駆るマイク・ヘイルウッドだった。追走するトム・フィリス(Honda RC143)に大差をつけ、コースレコードを更新しながら15周目には38秒というアドバンテージを築いていた。誰もがEMCとマイク・ヘイルウッドの、新時代の到来を感じていた。

しかし18周目。EMCの排気音が、変わった。

 EMCのマシン左サイドに出されたエキスパンションチャンバーの破損。事態は致命的だった。エキスパンションチャンバーは、2ストエンジンの最重要パーツのひとつ。これが中央部分で完全に破断し、脈動効果は失われていた。
 23周目、車速を失ったEMCを抜き去ったフィリスは、その後快調にラップを重ね、27周のレースを走りきった。ヘイルウッドは、MZのエルンスト・デグナー、Hondaのジム・レッドマンにも抜かれ、辛うじて4位を得るのが精一杯だった。

 2位デグナーに20秒以上の差をつけたといっても、フィリスの勝利は完全に棚ぼた式に転がり込んだものだった。確実に表彰台が狙える実力を発揮したとは言うものの、125ccクラスにおける2スト勢との厳しい戦いが、この後もHondaを待ち受けていることは確かだった。

1961年スペインGP125ccクラス決勝結果(27周102.33km、出走14台/完走9台)
1位 T・フィリス Honda 57分12秒8
2位 E・デグナー MZ 57分33秒4
3位 J・レッドマン Honda 57分46秒3
4位 M・ヘイルウッド EMC 57分51秒7
5位 J・グレイス ブルタコ 58分07秒7
6位 R・クインタニラ ブルタコ 59分09秒1
7位 J・ファルグアス ドゥカティ 26周
8位 R・エイバリ EMC 26周
9位 C・ガルシア モンテッサ 26周
ファステストラップ=M・ヘイルウッド(EMC)2分04秒3
 1961年の125ccクラスは、その後Honda対2ストローク勢の戦いとなった。最終的にMZを辛うじて破ったものの、マシンは'60年型をモディファイした2RC143を主力機としたこのシーズンは、Hondaにとって決して楽勝といえる展開ばかりではなかった。
1961年度メーカータイトル・ランキング
1位 Honda 48ポイント
2位 MZ 42ポイント
3位 EMC 10ポイント
4位 Bultaco 4ポイント
5位 Ducati 2ポイント
 Hondaに記念すべき初優勝をもたらしたフィリスは、この年4勝をあげて見事125ccクラスのタイトルを手中にしている。彼は250ccクラスでも2勝をあげてランキング2位となり、そのキャリアの中で最高のシーズンを過ごした。フィリスは、翌'62年もHondaライダーとしてその活躍を期待されたが、第3戦マン島TTレースの350ccクラスレース中に転倒。帰らぬ人となった。
 MZでHondaを苦しめたデグナー(東ドイツ)は、'61年の第10戦スウェーデンGP終了後に西ドイツに亡命。その後スズキと契約し、以後も屈指の2ストロークライダーとして名を馳せるとともに、後の鈴鹿サーキットにおける転倒でその名をコースに残すこととなる。
 チャンバー破損で惜しくも緒戦の優勝を逃したヘイルウッドは、第3戦フランスGPまでEMCに乗ったが、続く第4戦マン島TTからHondaと契約を交わし、125、250cc両クラスを制覇するとともに、500ccクラスでもノートンを駆って優勝。マン島TT史上初の3クラス制覇をなし遂げた。また、カルロ・ウッビアリ、ゲイリー・ホッキング、ジョン・サーティースなどの50年代のGPシーンを華々しく彩ったトップライダーにかわって、その後'60年代グランプリの先頭をひた走ることになる。
 様々な縁(えにし)によって絡み合ったライダーとメーカー。1961年4月23日のスペインGPにおけるHonda初優勝の光景は、まさにその後のグランプリシーンの流れを大きく描き換えていく、壮絶なオープニングシーンそのものでもあった。
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