1959年、Hondaはイギリス・マン島に渡り、二輪ロードレース世界選手権(WGP)のマン島T.T.(ツーリストトロフィー)に初めて挑戦した。初出場を果たしたHondaチームは、河島喜好監督の下、谷口尚己や鈴木義一、鈴木淳三がライダーとして初のWGPマシン「RC142」を駆り、マン島の地を走った。初参戦にも関わらず、6、7、11位と3台が好タイムで完走し、メーカーチーム賞を獲得。田中髀浮ヘ、2バルブ仕様のRC141で8位の好成績を残した。世界の舞台に立ってから2年後の1961年、第2戦の西ドイツGPでは高橋国光が250ccマシンの「RC162」とともに挑戦し、日本人として初のGP優勝という快挙を達成。その後もHondaは世界の頂点を目指すべく、数多くのチャレンジを果たしながら栄光を手にしてきた。そして、1959年の初参戦から今年で50年を迎えた。
今年のWGPは、開幕戦カタールを経て第2戦が栃木県・ツインリンクもてぎで開催。決勝レースが行われた4月26日(日)、サーキットは雲に覆われる中、10時前に突然激しい雨が降り始めた。記念走行が心配されたが、それを祝うかのように30分後に雨は上がり、次第に空が明るくなってきた。しかし、路面は完全ウエットとなり、50周年記念走行はホームストレートで行われることとなった。
そして11時、ツインリンクもてぎのロードコースには50年前にマン島で初めてHondaが世界と戦ったレースマシンRC142の復元車、1963年WGP250ccクラスをフルシーズン戦ったRC164、そして1984年WGP500ccクラスのマシンNSR500がコースに並んだ。RC142のライダーは、このマシンで6位入賞を果たした谷口尚己、RC164にはWGP日本人初ウイナーの高橋国光、そして今でも多くのファンを抱えるフレディ・スペンサーがNSR500に乗った。RC142のエンジンがスタートし、会場全体に50年前のHondaサウンドが響き渡った。そして、RC164とNSR500のエンジンに火が入り、それぞれの時代でHondaのチャレンジングスピリットを持って世界と戦い、多くの感動と喜びを与えたライダーとそのマシンが再び多くのファンの前で咆哮を轟かせた。この記念走行を通して、長きにわたりWGPに挑戦できた喜びと感謝の意を、多くのモータースポーツファンに伝えた。
「50年前、マン島T.T.レースで本田宗一郎の夢を実現して、そして再びここツインリンクもてぎでRC142を走らせることができ、長年の夢を実現することができました。この日を迎えられ、また皆さんの前で走ることができ感無量です。協力してくれた皆さん、観戦しに来てくれたお客様に本当に感謝しています」
「Hondaの挑戦の歴史は、河島監督をはじめチームメカニックが作り上げた汗と涙の結晶です。今日は当時の250ccマシンRC164に再び乗ることができとても幸せです。このRC164はとても快調で今でも動態保存されていることに感謝しています。また、本日もてぎにお越しの皆さんにHondaサウンドを聞いてもらうことができ、いい一日となりました」
「記念すべき50年目を迎える今年、この日本グランプリでNSR500に乗ることができ、本当にうれしく、84年にこのマシンと一緒に戦っていたあのころを思い出すよ。そして、ここにはHondaのモータースポーツの歴史を築いた先輩ライダーの谷口さんと高橋さんがいる。それぞれ別の時代を戦ってきたが、ここに集まってもてぎのコースを走れる機会にめぐり会えて幸せに思うし、多くのファンの皆さんも喜んでくれたと思う。これまで多くのライダーやマシン、それを作るHondaスタッフが50年という誇りある長い歴史を作り上げてきた。そしてこれからは、今活躍しているライダーやそれを支えるチームはもちろん、これから世界の舞台へ挑戦していく若きライダーに次の50年の歴史を作ってもらいたいと思う」