2009年11月8日(日)
WGP 250ccクラス 青山博一 シリーズチャンピオン獲得
2009年11月8日(日)に開催された二輪ロードレース世界選手権(WGP)最終戦スペイン・バレンシアGPで、250ccクラスに参戦するScot Racing Team 250ccの青山博一(千葉県 28歳)は、2009年シーズンのシリーズチャンピオンを獲得しました。
日本人でのWGP 250ccクラスのチャンピオンは、2001年に加藤大治郎氏(埼玉県)が獲得して以来8年振りで、Hondaとしては現在MotoGPクラスに参戦するRepsol Honda Teamのダ二・ペドロサ(スペイン 24歳)が05年に獲得して以来の快挙となりました。
最終戦バレンシアGPでHonda RS250RWを駆る青山は、前日に行われた予選で5位となりましたが、当初ポールポジションを獲得していたアレックス・デボン(アプリリア/スペイン 33歳)がレース前にリタイア。その結果、青山は4番グリッド1列目へとポジションを上げました。決勝レースがスタートし、青山は第1コーナーを4番手で通過するも2周目には2番手に浮上。その間、タイトル争いをするマルコ・シモンセリ(ジレラ/イタリア 22歳)は青山の後方から徐々に順位を上げ、3番手に。ここからシモンセリが青山を猛追し、コーナーで抜きつ抜かれつの激しいレースを繰り広げました。
順位が激しく入れ替わる中で、青山は10周目1コーナーで痛恨のオーバーランを喫しましたが、転倒は免れ、グラベルから復帰するも、11番手まで大きく順位を後退。一方のシモンセリはトップに浮上、タイトル獲得に向けてレースを進めましたが、残り7周で転倒。この時点で、青山のタイトルが確定しました。残りのレースを確実に進めた青山は、7位でゴール。第16戦セパンGPまでに取得した252点にさらに9点を追加して、合計261ポイントを獲得。今季、合計7度表彰台に上がり、内4回の優勝を遂げてシーズンを終えました。
WGP250ccクラスは今シーズンを最後に廃止となり、2010年からはHondaの4ストローク600ccエンジンを搭載するMoto2クラスが新設となることから、青山は最後のチャンピオンとして250ccクラスの幕を閉じることとなりました。Hondaは1959年にWGP参戦を開始し、250ccクラスで初のタイトルを獲得したマイク・ヘイルウッド(イギリス)以降、今回で16度目のライダーズタイトル獲得となり、長い歴史を築いてきました。
青山は、03年全日本ロードレース選手権GP250ccクラスでシリーズチャンピオンを獲得した後、Hondaの人材育成の一環として設立した「Honda Racingスカラーシップ」(ライダー育成奨学制度)を受け、活躍の場を世界に移しました。青山は第1期生として、翌04年からWGP250ccクラスにフル参戦を開始し、ライダーとしての経験やスキルを高めてきました。10年シーズンからは、ロードレース世界選手権の最高峰クラスMotoGPにステップアップし、さらなる活躍が期待される日本人ライダーです。
青山博一 プロフィール
- 生年月日:1981年10月25日
出身地:千葉県
主な戦績 - 1999年
全日本ロードレース選手権 GP125ccクラス11位 | |
2000年 | 全日本ロードレース選手権 GP250ccクラス 2位 |
2001年 | 全日本ロードレース選手権 GP250ccクラス 8位 |
2002年 | 全日本ロードレース選手権 GP250ccクラス 2位 |
2003年 | 全日本ロードレース選手権 GP250ccクラス チャンピオン |
2004年 | WGP 250ccクラス 6位 |
2005年 | WGP 250ccクラス 4位 |
2006年 | WGP 250ccクラス 4位 |
2007年 | WGP 250ccクラス 6位 |
2008年 | WGP 250ccクラス 7位 |
WGP 250ccクラス Hondaチャンピオン
- 1961年
マイク・ヘイルウッド(イギリス) | |
1962年 | ジム・レッドマン(ローデシア) |
1963年 | ジム・レッドマン(ローデシア) |
1966年 | マイク・ヘイルウッド(イギリス) |
1967年 | マイク・ヘイルウッド(イギリス) |
1985年 | フレディ・スペンサー(アメリカ) |
1987年 | アントン・マンク(西ドイツ) |
1988年 | シート・ポンス(スペイン) |
1989年 | シート・ポンス(スペイン) |
1991年 | ルカ・カダローラ(イタリア) |
1992年 | ルカ・カダローラ(イタリア) |
1997年 | マックス・ビアッジ(イタリア) |
2001年 | 加藤 大治郎(埼玉県) |
2004年 | ダ二・ペドロサ(スペイン) |
2005年 | ダ二・ペドロサ(スペイン) |
2009年 | 青山 博一(千葉県) |
WGP 250ccクラス Honda優勝回数
- 1961年から2009年(最終戦)まで208回
青山博一
「今日は、本当に難しいレースでした。最後のレースだったので、優勝したくてプッシュしましたが、途中でオーバーランしてしまいました。転倒しないようリカバーしましたが、トップから大きく離れてしまい、順位を上げるのが難しかったです。終盤、シモンセリが残念ながら転倒したことで、7位でゴールと自分にとってはベストなレースではありませんでしたが、チャンピオンを獲得でき今日は忘れられない一日となりました。このすばらしい結果を得られたのも、チームが一緒に今シーズンを懸命に戦ってくれたからだと思います。支えてくれた皆さんに、心から感謝しています。今後も引き続き自分をプッシュしながら、皆さんの期待に応えられるレースをしていきたいと思います。ありがとうございました」