そのマスは空中高く跳ねて…
岬の先端で出会った1尾
2日め。朝食の前に岸から挑戦してみることになった。明け方の湖畔はひんやりとしていて心地いい。いや、少し肌寒さを感じるくらいだ。昨日の朝で、気温が15℃とか言ってたから、東京なら完全に晩秋の雰囲気。どこかで魚の跳ねる音が聞こえる。
前夜、井上さんに湖の状況を尋ねるとうれしい答えが返ってきた。
「この夏は水温が上がらなかったんです。いちばん暑かった日でも18℃くらいでしたからね。おかげで真夏でも
ドライフライで釣れるってことで、たくさんお客様が見えました」
……ということは、表層を回遊しているわけだから、沖に出て深場を探らなくても釣れそうだ。
「インターネットでみたら
ミノーなんかでも食ってきてるらしいよ」と、三浦さん。
この時期、丸沼では
ワカサギも釣れている。まだ
タナは10m以深だというが、この清らかな湖水で育ったワカサギは多くのファンに愛されてきた。しかし、この魚は同時に
ニジマスや
ブラウントラウト、
イワナなど、この湖のゲームフィッシュからも愛されている。つまり、彼らの大好物なのである。普段の餌である水生昆虫や小さな魚と比べ、栄養価も高く、群れで行動しているワカサギは、大型のサケ・マス類にとって格好の餌だ。 だから、ワカサギが成長して群れを作り活発に行動するようになると、ニジマスなどもその動きに大きく影響されるようになる。芦ノ湖が好例で、この時期は沖めでワカサギの群れの周りをウロウロするようになり、それ以外の場所では釣れにくくなる。
丸沼でもその可能性は大きく、ニジマスがワカサギの動きに追従するようになっていると、それを捜してボートで動かなければならないかもしれない。
とはいえ、まずは岸から
キャスト。松邨さんと落合さんは
ウエーダーを履いて、環湖荘前の大きく開いた浅場に立ちこんでいく。三浦さんはニーブーツで岸辺を足早に移動。少し先の岬に向かうようだ。
ゆっくりとテイクバック。弓のようにロッドがしなってルアーが放物線を描いていく。着水音が小さくこだました。
沼を囲む山々から下りてきた霧が湖面をうっすらと覆っている。そこを滑るように現れたトンボの群れ。ゆっくりと、そしてたおやかに流れる時間。まさに極上の朝だ。時おり、魚が餌を獲る波紋が広がる。
それからほどなくして、丸沼が歓迎の挨拶をしてくれた。岬の先端で
カケアガリに沿ってラパラのカウントダウンを
リトリーブしていた三浦さんに待望のヒット!
「きましたよ!」と叫ぶ声に振り返ってみると、大きな弧を描いたロッドが何度もお辞儀をしている。大小の岩が散在する急な斜面からキャスティングを繰り返していた三浦さんは、慎重に足場を確保しながら水辺へと降りていった。すると、それまで右に左にと走っていたラインが急に水面に向かって上がり出した。次の瞬間、湖面を割って大きく跳躍。空中で大きく身をくねらせると、ロッドとラインは張りを失った。ルアーのハリが外れ、魚は悠々と湖底へ帰っていってしまった。
マスの勝ちである。
「あぁぁ……」松邨さんたちのため息が聞こえる。離れてはいたが、その瞬間を目撃してしまったようだ。
「やられちゃった……」今度は三浦さんが苦笑い。
「だめだなぁ。万全を期そうと足元のランディングネットに気をとられた隙にやられちゃった。まだまだ修行が足りないね。やるねぇ……丸沼」
しかし、あとが続かない。「ちょっと変ですねぇ。あんまり生命感がないんだよなぁ。岸辺にしても、夜明け直後って、もっとざわざわしてるんだけどな……」と三浦さん。落合さんも、松邨さんも「魚っ気がないんです。浅場に回遊してきてる感じもしないし……」
前夜の話では、水温もちょうどよくて、活性の高いマスたちが表層で食ってくるという話だったが、どうもようすがおかしい。
気がつけば山の稜線からすっかり日があがっていた。一旦、朝食に戻ろう。宿の旨い飯を食べて朝風呂というのも悪くない。丸沼はそんな楽しみ方が似合う場所だ。
先行のボート軍団も全滅?
朝食を終えると、この日の作戦会議。と、そこにボートで出ていたふた組が戻ってきた。ボートで出ればバンバンだよ…と宿の方が言っていたのを思い出す。
「どうでした?」
「だめでした。1尾も釣れませんでした。仕方がないからワカサギを釣ってました」と苦笑い。
「1尾も?」と落合さんが聞き返した。もうひと組もまったくのノーフィッシュだという。どうしたことだろう。
「ボートで出てもポイントを絞り込めないと、結局時間を無駄にするみたいだな。風も強くなってきたし、とりあえず朝にヒットした岬回りで回遊を待ってる方がいいんじゃないか?」と三浦さん。ボート軍の不調を目の前に、3人とも少しがっかりモードだ。
そんなわけで、3人は朝の岬を目指すことにした。風が岸に向かって吹きつけていて水面をほどよく乱している。クリアな湖ではこれが魚の警戒心を解いてくれるのだ。しかし、朝に比べてますます魚の気配が薄くなっていた。
「おかしいですね。朝はマスが
ライズしていたのに、まったくなくなっちゃいました」と落合さん。
三浦さんが2度ほど大声をあげたが、どちらも
ニゴイを
バラしたらしい。やがてニヤニヤして持ってきたのはフックに下がった500円玉ほどの巨大な鱗。
コイが引っかかったみたいだと笑う。結局、ランチを挟んで日暮れまで粘ったのもの、マスたちは沈黙したままだった。ボートも含め、他の釣り人たちも同様。この日の丸沼は、あの朝のたった1度のジャンプがすべてだったことになる。
1日で4℃の水温上昇が丸沼を黙らせた
環湖荘のスタッフが気の毒そうに話しかけてきた。
「たった1日で4℃も水温が上がってました。22℃です。真夏でも18℃だったのに…。さらに水位がひと晩で1m減。これではちょっと…」
唖然とする3人。よりによって、なんでこの日に? といった表情だ。でも、あの朝霧の中の跳躍に、丸沼の魅力が凝縮していた気がする。幻想的な湖面に爆発する野生のパワー。本当の贅沢、本物の喜びを知る貴族も文豪も、みんなそれに魅了されて山を越えたのだ。この日彼らは、その片鱗を目にしたのである。
ここで松邨さんが不思議そうな顔をした。
「今回は
キャッチ&リリースの釣りだったはずなのに、なんでクーラーボックスが積んであるんですか?」
三浦さんがにやりとする。
「あ、それね。最近、自動車雑誌やレジャー雑誌上で提案してるんだけど、名付けて"1台にひとつ、クーラー作戦"。最近は、道の駅とか産直所とか、ドライブ先で土地の美味と出会えるチャンスがすごく増えたでしょ。山菜、魚介、米、漬物、味噌、地酒……。まさに味の一期一会。それに植木や苗木、切り花もあったりする。でも、ちょっとのトイレ駐車でも車内は暑くなっちゃうし、エアコンで乾燥したりもする。クーラーをひとつ放り込んでおけば、そんな美味珍味も新鮮なまま持ち帰れるんだよ。だから、釣りに限らずどこに出かけるにも必ず積んでおいてほしい。出先で"あぁ、持ってくればよかった"なんてことのないようにね。
三浦さんは、コールマンというメーカーのアドバイザーもしていて、最近、こんなクルマとクーラーボックスの新しい関係を提唱している。旅先の美味をそのまま持ち帰るのも、ちょっとした贅沢。大人の楽しみってものである。
落合&松邨コンビ、秋の訪れを感じる
大口をたたいたのが「凶」と出て、ふたりが丸沼で目にしたニジマスは、「玄関前の剥製」と「風呂場の水槽で泳いでいた大物」という、編集長にはとても報告しにくい結果に終わってしまった。
「松邨さん、Honda釣り倶楽部の撮影で、1尾も釣れなかったの僕らが初めてなんだけど! あまりにも格好悪いから、別の日に撮影し直しとかできないんだっけ?」
「これノンフィクションだから、釣れても釣れなくても、このまま掲載だよ」
「だよね…」と弱々しくつぶやく落合さんであった。
ふたりが抱いた「文豪、貴族を超える大物を釣ってやる!」という野望は、初秋の冷たい風と共にどこかに消え去ったのであった。
※撮影:浦壮一郎/文:三浦事務所
※このコンテンツは、2011年9月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。