昭和初期の日光は野外の社交場だった
ロングドライブを楽しむ
都内を出た一行は、東北道を北上。
やがて、わが国クラシックホテルの代表でもある日光金谷ホテルに到着。ここで当時の日光の話や保管されている資料を見せてもらうという算段なのである。
昔の雰囲気を色濃く残すロビーの一角で、ふたりのレクチャーが始まった。ずらりと並べられた日光の歴史に関する書物を前に、三浦さんの話が続く。でも、ふたりの顔には"早く釣りしてぇなぁ…"という想いがありあり。ま、馬耳東風ってやつですかね。
夏の外務省と呼ばれた中禅寺湖
「さて、ちょっと中禅寺湖のほうにも足を延ばしてみるか?」
丸沼鱒釣会の発展形とも言うべき、野外の社交組織「東京アングリング・エンド・カンツリークラブ」が発足したのがこの中禅寺湖だ。湖畔のイタリア大使館別荘に行けば西欧列強の在日施設が林立して華やかな避暑シーンが繰り広げられた頃の薫りを楽しむことができるという。
中禅寺湖には夏になると、各国の大使館関係者などが大挙して避暑にやってきたらしい。欧米から来日した彼らにとって温帯モンスーンの高温高湿な夏は殺人的だったのだ。本国に向け日本の夏がいかに酷いものかを切々と訴える文書も残っているというから、もはや本来の業務云々の話ではなかったのだろう。そして彼らは日光の地で、ヨットレースやダンスパーティーなど、華やかな欧米流のライフスタイルを再現してみせた。
湖畔を走ると、細長い煙突のような物が目に入った。ここは、かつて西六番別荘と呼ばれた場所で、ハンス・ハンターが仕切った東京アングリング・エンド・カンツリークラブのクラブハウスがあったらしい。昭和15年、ダンスパーティーの後、漏電がもとで焼け落ちたそうだが、暖炉や氷室の跡が今もなお残っている。近年、整地され公園のようになり、往時を紹介するパネルも設置されたので、この地がもっとも華やかだった時代を誰でも知ることができるだろう。
※撮影:浦壮一郎/文:三浦事務所
※このコンテンツは、2011年9月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。
【取材協力】日光金谷ホテル
〒321-1401 栃木県日光市上鉢石町1300 TEL:0288-54-0001
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