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AM 11:00
昭和初期の日光は野外の社交場だった

昭和初期の日光は野外の社交場だった

ロングドライブを楽しむ

都内を出た一行は、東北道を北上。

やがて、わが国クラシックホテルの代表でもある日光金谷ホテルに到着。ここで当時の日光の話や保管されている資料を見せてもらうという算段なのである。

昔の雰囲気を色濃く残すロビーの一角で、ふたりのレクチャーが始まった。ずらりと並べられた日光の歴史に関する書物を前に、三浦さんの話が続く。でも、ふたりの顔には"早く釣りしてぇなぁ…"という想いがありあり。ま、馬耳東風ってやつですかね。
日光金谷ホテル
日本を代表するクラシックホテル「日光金谷ホテル」に到着。スタッフにも釣り好きが多く、出迎えてくれた方も40年来のファンで最近はアユ釣りにどっぷりとか。家には鬼怒川の水を引き込んだイケスもあると聞いて、しばし釣り談義
【取材協力】日光金谷ホテル
〒321-1401 栃木県日光市上鉢石町1300 TEL:0288-54-0001
http://www.kanayahotel.co.jp/nkh/index.html
日光金谷ホテルの1階で、さっそく勉強会が開かれた。三浦さんが、日光の歴史やレジャーに関する様々な書物を開いて、日光ビギナーのふたりにレクチャーする。でも彼らの頭の中は奥日光のマスでいっぱい?
日光金谷ホテルの1階で、さっそく勉強会が開かれた。三浦さんが、日光の歴史やレジャーに関する様々な書物を開いて、日光ビギナーのふたりにレクチャーする。でも彼らの頭の中は奥日光のマスでいっぱい?
ロビーも往時の雰囲気を色濃く残した重厚な空間。窓際から臨む庭園の美しさも魅力のひとつだ。丸沼…湯川…中禅寺湖…1日の釣りから戻ってここで釣友と語り合うひとときはまさに至福の一語に尽きるだろう
ロビーも往時の雰囲気を色濃く残した重厚な空間。窓際から臨む庭園の美しさも魅力のひとつだ。丸沼…湯川…中禅寺湖…1日の釣りから戻ってここで釣友と語り合うひとときはまさに至福の一語に尽きるだろう
エントランスには、格子を多用した日本の風情あふれる意匠がこらされている。それは、かつてここを訪ねた欧米人にとって異国情緒そのものだったに違いない。かの池波正太郎もこの建物の素晴らしさとホスピタリティの高さを絶賛した
エントランスには、格子を多用した日本の風情あふれる意匠がこらされている。それは、かつてここを訪ねた欧米人にとって異国情緒そのものだったに違いない。かの池波正太郎もこの建物の素晴らしさとホスピタリティの高さを絶賛した
当時とほぼ変わらずに維持されている客室。やはり天井には格子が…。窓からは8月とは思えない爽やかな風が流れ込んできた。「このまま泊まっていきたいっすね」と落合さん。「…でも帰ったら机がないだろうな」と松邨さんが笑った
当時とほぼ変わらずに維持されている客室。やはり天井には格子が…。窓からは8月とは思えない爽やかな風が流れ込んできた。「このまま泊まっていきたいっすね」と落合さん。「…でも帰ったら机がないだろうな」と松邨さんが笑った
金谷ホテルには同ホテル2代目経営者の山口眞一社長の釣り姿が残っていた。ツイードのようなジャケットにアスコットタイ! 1923年7月5日、丸沼でのワンシーンで、手にはフライロッドと思しき釣り竿が握られているのである
金谷ホテルには同ホテル2代目経営者の山口眞一社長の釣り姿が残っていた。ツイードのようなジャケットにアスコットタイ! 1923年7月5日、丸沼でのワンシーンで、手にはフライロッドと思しき釣り竿が握られているのである
こちらもやはり丸沼での釣果。このサイズのニジマスが丸沼鱒釣会の紳士たちを驚喜させたのだろう。やがて、その想いは中禅寺湖へと運ばれ、ハンス・ハンター達の東京アングリング・エンド・カンツリークラブへと昇華していくのだ
こちらもやはり丸沼での釣果。このサイズのニジマスが丸沼鱒釣会の紳士たちを驚喜させたのだろう。やがて、その想いは中禅寺湖へと運ばれ、ハンス・ハンター達の東京アングリング・エンド・カンツリークラブへと昇華していくのだ

夏の外務省と呼ばれた中禅寺湖

「さて、ちょっと中禅寺湖のほうにも足を延ばしてみるか?」

丸沼鱒釣会の発展形とも言うべき、野外の社交組織「東京アングリング・エンド・カンツリークラブ」が発足したのがこの中禅寺湖だ。湖畔のイタリア大使館別荘に行けば西欧列強の在日施設が林立して華やかな避暑シーンが繰り広げられた頃の薫りを楽しむことができるという。

中禅寺湖には夏になると、各国の大使館関係者などが大挙して避暑にやってきたらしい。欧米から来日した彼らにとって温帯モンスーンの高温高湿な夏は殺人的だったのだ。本国に向け日本の夏がいかに酷いものかを切々と訴える文書も残っているというから、もはや本来の業務云々の話ではなかったのだろう。そして彼らは日光の地で、ヨットレースやダンスパーティーなど、華やかな欧米流のライフスタイルを再現してみせた。
湖畔を走ると、細長い煙突のような物が目に入った。ここは、かつて西六番別荘と呼ばれた場所で、ハンス・ハンターが仕切った東京アングリング・エンド・カンツリークラブのクラブハウスがあったらしい。昭和15年、ダンスパーティーの後、漏電がもとで焼け落ちたそうだが、暖炉や氷室の跡が今もなお残っている。近年、整地され公園のようになり、往時を紹介するパネルも設置されたので、この地がもっとも華やかだった時代を誰でも知ることができるだろう。
イタリア大使館別荘記念公園
夏の外務省とまで呼ばれた日光には、西欧諸国の大使館別荘が数多く存在した。中禅寺湖畔には、イタリア大使館別荘が記念公園として公開され、当時の薫りを漂わせている。眼前に広がる静かな湖面を眺め、祖国を思い出していたのだろうか
【取材協力】イタリア大使館別荘記念公園
〒321-1661栃木県日光市中宮祠2482
TEL:0288-55-0388
さかなと森の観察園
かつて、日本のサケ・マス研究の中心でもあった宮内庁日光養魚場は、現在、(独)水産総合研究センターに受け継がれ各種資料や様々な魚の生態を観察できる資料館として公開されている。一見の価値あり!
【取材協力】さかなと森の観察園
〒321-1661 栃木県日光市中宮祠2482-3
TEL:0288-55-0055
http://www.fra.affrc.go.jp/nikko/
東京アングリング・エンド・カンツリークラブのクラブハウスとして機能した西六番別荘の跡。長崎のグラバー園で有名なトーマス・グラバーの別荘をハンス・ハンターが入手し、建て直した。現在ではそのマントルピース跡を中心に公園として整備されている
東京アングリング・エンド・カンツリークラブのクラブハウスとして機能した西六番別荘の跡。長崎のグラバー園で有名なトーマス・グラバーの別荘をハンス・ハンターが入手し、建て直した。現在ではそのマントルピース跡を中心に公園として整備されている
さかなと森の観察園資料館で落合さんが見たものは…巨大なニジマスやレイクトラウトの標本。女性の胴回りほどの巨体に腰が引けてます。「こんなのどうやって上げればいいんですかね?」自分で考えなさい!
さかなと森の観察園資料館で落合さんが見たものは…巨大なニジマスやレイクトラウトの標本。女性の胴回りほどの巨体に腰が引けてます。「こんなのどうやって上げればいいんですかね?」自分で考えなさい!
資料館には、当時の様々な文書が残されている。これはハンス・ハンターたちがマスの発眼卵の提供を依頼したもの。役所の対応などが鉛筆で細かく書き込まれ、当時のやりとりを生々しく伝えている
資料館には、当時の様々な文書が残されている。これはハンス・ハンターたちがマスの発眼卵の提供を依頼したもの。役所の対応などが鉛筆で細かく書き込まれ、当時のやりとりを生々しく伝えている
グラバーや、英国大使館員パーレットの尽力で、ブルックトラウトの発眼卵が日本にやってきた時の送り状も現存。卵の扱い方なども丁寧に記されている。こうして、ブルックトラウトは湯川の代名詞となった
グラバーや、英国大使館員パーレットの尽力で、ブルックトラウトの発眼卵が日本にやってきた時の送り状も現存。卵の扱い方なども丁寧に記されている。こうして、ブルックトラウトは湯川の代名詞となった
※撮影:浦壮一郎/文:三浦事務所
※このコンテンツは、2011年9月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。