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NSX、そしてHonda。〜終わらない物語〜 モータージャーナリスト 高平高輝

ずいぶんと長い物語になった。

偉大なストーリーはある日突然、生まれるわけではない。それは音楽だろうが映画だろうが、あるいは日用品であっても同じこと。ある作品が世の中に生み出された後、人の目に触れ、話され、伝わり、称賛と批判と歓迎と無視とがないまぜになった風雨にさらされて、世の中に残る価値のあるものだけが変化しながら偉大な作品として出来上がっていくのだ。もちろん自動車も、それがベーシックカーであれスポーツカーであれ、例外ではない。フランスの女流作家の言葉を無理に借りれば、「どんなクルマもスポーツカーとして生まれるわけではない。スポーツカーになるのだ」といったところだろうか。

確かに、柔軟でチャレンジングな姿勢を特徴とするHondaでなければ難しかったに違いない。また、柔和だが実は頑固な上原繁というエンジニアがいなければ、そもそも生まれ育つことはなかっただろう。日本車が世界の第一線に躍り出ようとしていたあの時代背景も見逃すことはできない。だが何よりも多くのファンがこの骨太な物語をつくり上げた。いま改めて感じるのは、NSXの足どりすべてはHondaという自動車メーカーと、そしてその魅力に引き寄せられた人間の巡りあわせによって生まれた稀有なストーリーであるということだ。

もっとも、私自身デビュー当初は正直に言ってその価値や大いなる可能性を正しく理解してはいなかった。Honda初のミッドシップ・スポーツカーというハード面に驚くあまり、どうせならもっとピュアでスパルタンな車であってしかるべき、Hondaのスポーツカーならばゴルフバッグが入るラゲージスペースなど無用、などと今思えば的外れな考えにとらわれていたのである。
そんな私たちにNSXの真価をいち早く教えてくれたのは、今は亡きポール・フレールをはじめとする欧米の大先輩たちだった。レーシングドライバーとして、ジャーナリストとして、そしてなによりエンスージアストとして世界の自動車を知り尽くした彼は、これぞ革新的なスポーツカーであると明言し、さらにNSXの周囲で今起こっていることは、実は過去にもほとんど例がない幸運な"化学反応"であると指摘してくれたのだ。

繰り返しになるが、当時は高性能スポーツカーであれば、そのパフォーマンスの代わりに乗り手に我慢や不便を強いるのは当然と考えられていた。素晴らしいハンドリングを備えているのだから、ある程度粗野で実用性に欠けても文句を言うな、というエゴイスティックで原理主義的な論調がまかり通っていた。
それに対して、NSXはスポーツカーである前に自動車として十全であろうとした。言い訳なしに、まず自動車としての完成度や洗練度、信頼性すべてを追求したのである。
それを目の当たりにして驚き、慌てふためいたのはフェラーリやポルシェだけではない。結果的にその後の世界のスポーツカーすべてに決定的な影響を与えたことはご存じの通り。NSXはスポーツカーそれ自体を変えたのである。

1997年、鈴鹿サーキットのNSX fiestaを訪れたポール・フレールは、自分の予見の正しさを改めて確認することになった。すでにそこにはNSXを中心にしたある種のコミュニティ、あるいは引力に引きつけられたファンが集う小さな宇宙が生まれていたのである。
自動車メーカーが主体となってニューモデルの発売後にオーナーズイベントを派手にぶち上げて、顧客の囲い込みを図る手法は珍しくはない。そのブランドと縁もゆかりもない女性タレントをアンバサダーとして起用するプロモーションなどもよく目にする。
だがNSXを核とした世界はそんな安易で自画自賛的な販促活動とはわけがちがう。

つくり手としてのHondaはあくまでサポート役に徹し、ファンの自発的活動を後押しすることでNSXワールドを見守り育んだ。
さらに特筆すべきは開発担当者側とファンとの間に垣根がないことだ。何しろ、生みの親その人が伝道師として、アンバサダーとして日本各地のみならず、世界中に足を運んでいるのだ。そんな温かく濃密な関係を築いたクルマは古今東西に類を見ない。だからこそあの日のポールは、皆と語り合い、コース上で他のNSXに競争をしかけ、自分の車だけスピードリミッターが付いていると憤り、つまり心の底から楽しんでいたのだ。

もう伝説と言っていいのかもしれない。

考えてみてほしい。20年経ってなお、これほど多くの人が集うクルマがどれほど存在することか。さらには、日本国内で販売されたおよそ約7,000台のうちの約6,000台ものNSXが今なお走り続けているという。もしNSXが単なる高性能スポーツカー、あるいはHondaの先進技術をアピールするためだけの商品であったなら、そして生まれた後も見守り育てる人がいなかったならば、これほど愛されることはなかったはずだ。

やはり、伝説を呼ぶのは早すぎると思う。

NSXを愛する人たちも、そしてスポーツカーへの情熱を新しい形で生み出そうとしているHondaもそう呼ばれたいとは思わないだろう。この偉大なストーリーはまだ終わっていない。もしかすると題名はNSXではなくなるかもしれないが、書き継ぐ人がいる限り、語り継ぐ人がいる限り、物語は古びるどころかこれからも少しずつ新しくなり続けていくのだ。

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