NSX

NSXトップ

  • NSX 2010 vol.35 NSX 20th Anniversary

    press top
  • Happy Anniversary! ジョンラム
  • 20th Anniversary NSX fiesta 2010
  • NSX メモリアルトーク
  • Fact of NSX NSX ミュージアム
  • NSX、そしてHonda。〜終わらない物語〜 高平高輝
  • News&Topics

NSX メモリアルトーク

20年経てもなお、輝き続けるNSX。
まさに、歴史は証明するという言葉が合致するといっていいだろう。
世界のスポーツカーを「変えた」NSXは、そのずば抜けた耐久性で
いまなおサーキットでさえも問題なく走り、数多くのクルマが現存する
前代未聞のヒストリックカーとも言うべき存在となっている。
そのNSXの足跡をたどりながら、関係者から伺った思い出話をご紹介したい。

  • 1990 NSX
  • 1992 NSX TYPE R
  • 1995 NSX TYPE T
1997 NSX TYPE S
  • 2001 New Design NSX
  • 2002 NSX TYPE R
  • 2005 NSX 生産終了
VTEC化を川本に進言した鈴木久雄 本田研究所専務(当時)

本田技術研究所社長のときにNSXの開発を決断し
本田技研工業社長となりNSXを発表した川本信彦(当時)

1990 NSX 川本信彦/鈴木久雄/黒澤元治

NSXは、つくりたくてつくった
スポーツカー。

バイク屋だったHondaが自動車を手掛けたとき、最初の製品はS500やS600というスポーツカーでした。ちょうど私がHondaに入社した年です。それ以来スポーツカーをやってなかった。でもHondaの連中は、スポーツカーをやりたくてしょうがなかったわけです。
だけど、本田技研からはやろうと声がかからない。研究所は幸い別会社でしたから、じゃあやっちゃおうじゃないかと。研究所で内密にスポーツカーへとつながる研究をはじめちゃったんです。あとで認めてもらうのは大変でしたけど。(川本信彦)

外堀を埋めて、
スポーツカーづくりに着手。

1981年からヨーロッパF2で、5年連続チャンピオンを獲得したエンジンがレギュレーション変更で余った。それで、本田技研には言わずに、ピニンファリーナに持って行って、ミッドシップのスポーツプロトタイプをつくってくれと頼んだんです。研究所として技術を学べるかなという気持ちもありまして。そして、できてきたプロトを、イタリアのトリノショーに出しちゃった。そしたら、大統領が見にきて、僕が握手している写真が外電で本田技研に伝わったんです。こんなスポーツカーがつくれるのかということになり、これがきっかけでNSXにつながるプロジェクトが動き出した。当時は、レジェンド用の2.5Lで中くらいのエンジンでしたので、世界最速は無理だから、ベストハンドリングカーをつくれって言ったんです。でもF1は勝つし、そうはいかなくなった。(川本信彦)

NSXにはもう少し華がいる。

1989年にVTECエンジンを搭載したインテグラを出しちゃったわけです。それで、当然NSXもVTECですよね、といったことを言われるようになった。しかし現実は違う。これは困ったねと。このままだと、NSXを出しても技術を出し惜しみしたことになるわけです。それで、できるならVTEC化した方がいいと、川本さんに直訴しに行ったんです。川本さんも、F1で勝ってるし市場でもHondaのポジションが上がっているから、NSXにはもっと華が欲しいから、それがVTECならいいなと即断してくれました。チームにとっては大設計変更なので大変だったでしょう。しかし、あのとき苦労してVTECにしてよかったと、チームの誰もが今は思っているはずです。苦労しても結果がよければ、お客様にとってベストですから。技術者としてこんなに嬉しいことはないですね。(鈴木久雄)

大人のスポーツカーの
趣味の場としてのミーティング。

NSXオーナーズ・ミーティングを始めるにあたって、訓練とか堅苦しい言葉は使わないようにしようと話しました。鈴鹿の交通教育センターは、警察の訓練などをしていましたから、ともすると固くなりがちです。NSXというスーパースポーツを手にした大人が忙しい時間を割いて集まり、楽しむわけですから。スクールじゃないんです。ドライビングは、気合いなどでは上達せず、時間がかかるもの。プロの走りを教えても、タイヤとの対話ができずにまねすると却って危ない。楽しみながら、時間をかけて、フルブレーキさえ踏めない方が少しずつうまく走れるようになっていきました。20周年のNSX fiestaでも、みなさんいい走りをしていましたし、他のサーキットでもNSXオーナーは上手いという話を聞きます。これからも、じっくり楽しみ続けて欲しいですね。(黒澤元治)

NSXの主な進化とできごと ―20年のヒストリー

1990 NSX

1990年といえば、Honda F1が最強の時代。マクラーレンホンダに乗るアイルトン・セナ氏がドライバーズチャンピオンを獲得した年だ。そのHondaが満を持してリアルスポーツを発売するというニュースにHondaファンは狂喜し、世界は熱い視線を浴びせた。

デビュー前、1989年のシカゴショーに現NSXとほぼ同じモデルを登場させたのをご記憶の方もあるだろう。これは、その後に予定されていたドイツ・ニュルブルクリンクでのオープンなテストをやりやすくするための準備でもあった。つまり、テストで人目についてスクープという形で世の中に伝えられるより、堂々と発表しようという配慮だった。さらに鈴鹿でのアイルトン・セナ氏や中嶋悟氏のテストを経て、その年の夏にはジャーナリスト対象の公開試乗会も行っている。発表を前にNSXをこれほどオープンにしたのは、Hondaの自信のあらわれでもあった。

「発売までに新車を3台ぐらい開発した気がする」とは、NSXチームの誰もが口にする言葉だ。小誌の取材で伺ったあまたの部品メーカーでも、「発想が大胆すぎて最初は信じられなかった」「とにかく1g単位でNGをつきつけられた」という言葉を耳にした。

――多くの人々に、完成に漕ぎつけることはできないと思われたNSX。いま笑い話となるこうした言葉の裏にこそ、NSXの革新性が潜んでいる。世界初のオールアルミモノコックボディ、3.0Lで8,000回転も回る驚異的な自然吸気エンジン、「解放するスポーツ」とも謳った群を抜く操作性と視界のよさは、既成概念にとらわれない高度なエンジニアリングから生まれた。発売時に申し込みが殺到したことも話題となった。Hondaの情熱により、日本が世界に向かい胸を張れる芸術的スーパースポーツがデビューした。1990年9月、残暑厳しい初秋のことだ。

1989
シカゴオートショーでNS-X公開
  • F1のテストで来日したアイルトン・セナが鈴鹿でNS-X(プロトタイプ)に試乗
  • ニュルブルクリンクでNS-Xを鍛えるためシカゴオートショーで事前公開
  • ニュルブルクリンクと日本で時差を利用した24時間体制のテストを実施
1990
NSX誕生
  • ミッドシップ・リアドライブ
  • フォワードキャノピーデザイン
  • オールアルミボディで鋼板対比約200kg軽量化
  • リニアな加速感、V6 3.0L DOHC VTEC
  • 1名乗車時、42:58の前後重量配分
  • オールアルミ4輪ダブルウィッシュボーン・サスペンション
  • 前後異径タイヤ
  • トラクションコントロール、4チャンネルABS
  • 電動パワーステアリング
  • 運転席用SRSエアバッグシステム標準装着
デビュー当時の新聞広告。「Hondaの最初の4輪車であるS500から27年ぶりに、今日NSXがファクトリーを出て行く。スポーツカーが好きな人が集まってスポーツカーをつくる。Hondaはスタートからそういう会社でした」ということが熱く語られている。
1991
オーナーズ・ミーティング発足
  • 鈴鹿サーキットを中心に、NSXを思う存分解放させるステージ

NEXT 1992 NSX TYPE R
  • 1990 NSX
  • 1992 NSX TYPE R
  • 1995 NSX TYPE T
1997 NSX TYPE S
  • 2001 New Design NSX
  • 2002 NSX TYPE R
  • 2005 NSX 生産終了

NSX トップページへ

PAGETOP