成田さん親子に聞く世界制覇までの30年

Part.3 30年目の金字塔

“全開野郎”と日本GP開催

藤波は世界デビュー戦(=96年のスペイン大会)で、誰もが上りきれずに転落する断崖絶壁セクションをいきなりスロットル全開で上りきった。ところが、勢い余ってセクションを飛び出してしまい、減点5を喫する。この無名ライダーの闘志あふれるパフォーマンスにギャラリーは熱狂、ついたあだ名が「Fuji Gas」=「開けろ、藤波」だ。全開野郎・藤波は、ヨーロッパでも注目の的となった。

黒山選手とともに世界選手権で表彰台の常連となった藤波は、やがて、インドア大会で両手首に重傷を負った黒山選手に代わってチャンピオンを狙う位置についた。そんな状況が、日本での世界選手権開催への機運を高めていったといってもいいだろう。

匠さんの世界参戦時に「FIMのトライアル委員長から“何で日本で大会を開催しないんだ?”とたずねられた際に、冗談半分で“Hondaが勝てばできるかもしれない”と答えたことがあるんですけどね……」と、成田省造さんは笑う。日本人と日本製マシンの活躍で、関係者のモチベーションが高まったのは想像に難くない。多くの人々の尽力で、ついに日本GPが開催されることになった。

「1年間かけて、ツインリンクもてぎの地形を変えていったんですよ。トライアルの場合、オフィシャルがいればできるというものではなく、地形の把握と改良やセクションの設定など、下準備に非常に手間がかかるわけです」と省造さんは言う。そして匠さんとともに大会のコーディネータとして、親子2代にわたって重ねてきた経験を存分に反映した会場が出来上がった。

2000年6月10日〜11日。1973年に第1回トライアル全日本選手権が行われてから28年、ついに日本でトライアルの世界選手権大会が開催される。あいにくの雨という天候にも関わらず、2日間で2万3500人の観客が集まった。注目は“Hondaで世界の頂点に日の丸をかかげたい”という子どものころからの夢があった藤波と、同じモンテッサHondaチームの世界チャンピオン、ドギー・ランプキンとの対決だった。

2000年に開催された第1回日本GP(正式名称:ウイダー日本グランプリ FIMトライアル選手権)には、雨模様にも関わらず多くの観客が詰めかけた。

結局、藤波は大会2日目に急斜面から転落、降ってきたマシンに直撃され、レース後に救急車で運ばれるほどのケガを負ったが、応急処置をして競技に復帰し、ランプキンに続く2位を獲得。その気迫と執念のライディングは、新たなファンを生んだ。また、雨でぬかるんだ路面がセクションの難易度を上げ、場所によってはセクションアウトに苦戦するライダーも少なくなかったのだが、そんな時にライダーを応援する観客の大声援が沸き起こった。

第1回の日本GPで圧倒的な強さを見せつけ完全優勝をさらったドギー・ランプキン。

「ヨーロッパのライダーはそれに感動したと言っていましたね。特にそのころは、ライダーだけではなく、マインダー(通称お助けマン)や関係者も顔見知りが多かったので、率直な意見交換ができたわけです。雨で悪条件になってしまいましたが、初開催にもかかわらず決して評判は悪くなかった。あっちの連中も“日本の大会はいい内容になっている”と言ってくれましたので、お世辞半分にしても不評ではなかったと思います」と省造さん。

その後、省造さんは08年まで地形改良作業に直接携わり、匠さんは11回目となる今年もセクションコーディネーターとして腕を振るう。そして藤波は毎年のように、トップ争いを展開。日本のファンを熱狂させている──圧巻だったのは04年の大会だ。01年2位、02年2位(1日目優勝)、03年2位(1日目優勝)と、どうしても総合優勝に手が届かなかった藤波だった。

しかし、04年の大会では1日目の1ラップ目をわずか減点2で終えた藤波は、2ラップ目に減点を増やしたものの、追い上げるランプキンから1点差で逃げきって優勝。雨となった2日目、再び1ラップ目から単独トップに立ったフジガスを、2ラップ目オールクリーンを叩き出したランプキンが同点に追いすがる。わずか2つ多いクリーン数で藤波が逃げきり、ついに母国の大会で初の完全優勝を達成した。

04年の日本GP。5回目となった母国の大会で念願の完全優勝を実現し、そのままトップを走り続けた藤波はこの年世界チャンピオンを獲得した。
04年日本GPの表彰台。うれしそうな藤波と、悔しさをにじませるランプキン。まさにこのふたりこそが90年代前半における世界選手権の2強だった。

好調の波に乗った藤波は次のアメリカ大会でも完全優勝を記録し、この年日本人として初めての世界チャンピオンに輝いた。ツインリンクもてぎで、藤波の完全優勝に立ち会った観客は、まさに世界チャンピオンへ駆け上ろうとするライダーの貴重な一瞬を体験し、世界の頂点へ流れていく空気を呼吸することができたのだ。

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