黒山一郎さんは大阪府警の白バイ隊員を務めながら全日本トライアルに参戦、1979年と1981年にビーミッシュスズキでチャンピオンに輝いたライダーだ。非常に探求心が旺盛で熱心にトライアルを研究、当時存在していたトライアル専門誌にテクニック解説を寄稿するほどだった。その黒山さんはライダー人生を賭け、私財をなげうって世界選手権に挑戦した。服部聖輝に次ぐ、日本人2人目のフル参戦だった。87年、37歳の時だ。
残念ながら自身の入賞は果たせなかったが、同行させた長男・健一さんがBTR世界選手権プッシンクラス(10歳児クラス)でチャンピオンになったのだ。83年初春の生駒でエディ・ルジャーンの走りを見た黒山さんは“ルジャーンの走りは我々の考えていることの延長にある。しかし、それを実際に実現するのは、息子の代にならないと無理だ”という感想を述べていた。そして、幼かった長男・健一さんにBTRを教え込んでいたのである。
日本に戻った黒山さんは87年からBTRの大会や、50ccマシンによるトライアル大会を主催するなど、子供たちの養成に乗り出す。やがて“ブラック団”という小学生チームを結成、見込みのある少年たちを世界の舞台へ引率していった。長男・健一、藤波貴久、田中太一、野崎史高、小川友幸の各選手がそのメンバーであり、彼らはBTR世界選手権のタイトルを総なめにした健一選手を筆頭に自転車で活躍したあと、モーターサイクルのトライアルに相次いでデビュー。あっという間にトップレベルへ駆け上がっていった。中でも、黒山健一選手と藤波は匠さんと入れ替わるように世界参戦し、ともに1997年に世界選手権初優勝を実現したのだ。マシンはともにベータだった。
黒山健一
93年トライアルデビュー。ジュニアから国際A級へ特別昇格(15歳)
94年全日本トライアル国際A級ランキング2位
95年世界選手権に本格参戦、ランキング4位
96年トライアル世界選手権ランキング4位、全日本トライアル国際A級チャンピオン
97年世界選手権で日本人として初優勝、ランキング3位(2勝。19歳)。全日本トライアル選手権国際A級スーパークラスチャンピオン
藤波貴久
91年全日本トライアル国内B級デビュー(11歳)。93年国際B級ランキング2位
95年全日本トライアル選手権国際A級チャンピオン(史上最年少15歳)
96年世界選手権に本格参戦、ランキング7位
97年世界選手権ランキング4位(1勝。17歳)。
98年世界選手権ランキング5位
全日本トライアル選手権国際A級スーパークラスチャンピオン(02年まで4年連続)。
99〜03年世界選手権ランキング2位
匠さんと、彼に続いて登場したBTR育ちのいわば第三世代の彼らの活躍によって、日本のトライアルは再び活気づいたといってもよかった。そして、Hondaは改良されたアルミツインチューブフレームをはじめとして、ヨーロッパ製マシンとのアドバンテージを埋めるべく徹底的作り込んだRTL250R(COTA315R)を96年にデビューさせた。そして、今度は藤波がベータからHondaに乗り換えることになる。