「自分たちが感じてきたトライアル本来の楽しさを、もっと知ってもらいたい」そんな想いから成田さんと万澤さんは、岩手県で2日にわたるツーリングトライアルのイベントを企画した。1977年に始まり今なお続く“出光イーハトーブトライアル”だ。
普及活動の中で出会った、気概ある東北のライダーたちや販売店の協力、モーターレクの理解あるバックアップで実現したこのイベントは、まさに日本のトライアル界がどん底の時期にスタートした。
「すでに(TY250以外の)市販モデルもなく、トライアルというスポーツから人がいなくなっていたわけです。そういう状況の中で、もう一度モーターサイクルに乗る原点である“楽しさ”を追求したかったんです」
参加者のマシンは、くたびれかけていた国産モデルや希少だった輸入モデル、あるいはオフロードモデルの改造マシンだった。再び70年代の関トラの時代に戻ったような光景だったといってもいいだろう。
「当時発売されたばかりのXL250Sで参加したHondaの関係者もいましたが、さすがに前輪が大径23インチではトライアルには向いていなかった。途中でマシンが壊れてしまったのを覚えています。マシンがなかったので、オフロードモデルでの出場者は少なくなかったんです」
78年、ヤマハTY250がこの年をもって販売終了。同年、競技専用モデルTL200RがHonda RSCから発売され、唯一の市販トライアルモデルとなった。こんな時代の中で、イーハトーブで使えるようなトライアルモデルが欲しい──ごく限られたユーザーの願いに思えたかも知れないが、実は潜在的にトライアルモデルが渇望されていたことは1981年に証明された。
官公庁用にごく少数が生産され続けていたバイアルスTL125をベースに、改良が施されたニューモデルをHondaが発売。その名もイーハトーブTL125SB。予想に反してイーハトーブは人気モデルとなり、当初の販売計画3000台を大きく上回る7000台が販売されたのである。
そして、もうひとつ。このころ、日本のトライアルの歴史に足跡を残すチャンレンジがあった。早戸川で腕を磨き、全日本選手権に出場していた当時21歳の国際A級ライダー、服部聖輝がイギリスに活動拠点を置いて、世界選手権チェコスロバキア大会で9位、SSDTで16位という結果を記録したのだ。
その後数年に渡って彼は世界に挑み続け、このチャレンジによって日本のトライアルライダーの目は再び世界へと向いていった。イーハトーブと世界挑戦、いわば底辺と頂点の両極からトライアルが再び活性化しようとしていた。
そして、今度は宣教師ではなく、黒船が日本のトライアル界に襲来し、かつてないインパクトを与えることになる。