成田さん親子に聞く世界制覇までの30年

Part.1 夜明け前の眠りの中で

1973

1973年。HondaバイアルスTL125とヤマハTY250Jが発売された年、11月には早戸川でMFJによる“第1回全日本トライアル選手権”が開催された。そして、成田さんはトライアル普及活動の見識を広げるためにHondaバイアルスTL125でSSDTに出場する。

SSDT=Scottish Six Days Trialは、トライアル発祥の地・スコットランドで毎年5月初頭の6日間にわたって行われるトライアル競技で、その始まりは1909年とも1911年とも言われている伝統と格式あるイベントだ。

トップライダーから一般のライダーまであらゆるライダーが参加でき、排気量別にクラスが設定されているのもSSDTの特徴だ。当時は一日平均約200km程度のコースの中に30のセクションが用意されていた(現在は走行距離が短くなっているが、セクションの難易度は逆に上がっている)。

6日間の総走行距離約1200kmのほとんどは岩と泥ばかりの荒涼たる荒野で、その競技内容はおしなべて厳しく、地形や天候、気温などが容赦なくライダーを攻め立てる。そこでは、テクニックはもとより気力や体力、知力や胆力と、人間としてのあらゆる要素が試されるといっても過言ではないだろう。

そのSSDTに、発売間もないバイアルスTL125を駆って日本から出場したのは3名、成田さんと万澤さん、そして70年に日本人として初のSSDT出場を果たしていたトシ西山こと西山俊樹さんだった。

「72年の大会を写した16mmフィルムの映写会を早戸川の旅館で開いてもらい、SSDTの様子を事前に見たわけですが、映っていたのは想像を超えたハードなセクションと、そこで展開されるスペクタクルシーンでした。正直、行く前から腰が引けました」と成田さんは苦笑いする。

1973年のSSDT参戦時の状態を復元したバイアルスTL125と、成田さん親子。

いってみれば、世界レベルの走りを知ったばかりで、当時すでに60年以上続いている頂点イベントに出ようというのだから、並大抵のことではない──結果は西山さんが100位でファーストクラス入り、成田さんと万澤さんはセカンドクラス入賞。ともかく完走は果たした。が、しかし。そこに存在する“世界”と自分たちのギャップを痛感したのも、また事実だった。

「SSDTを実際に走ってみて感じたのは、まず体力のなさですね。73年は4月末の開催でしたが、雪が降ったし、毎日雨が降りました。そういう天候のせいもありますが、とにかく体力が続かない。フラフラになっている私を見て、まだ若かったマーチン・ランプキン(70年代後半にSSDT3連覇、2度のヨーロッパチャンピオン)が“大丈夫か?”なんて声をかけてくるわけですよ。技術のなさも決定的でした。セクションに入ればまず5点で、そこら中でひっくり返っていました。実はその様子が映像に撮られていて、それが当時の東京モーターショーのヤマハブースで放映されてしまったんですよ」

その時はちょうど、ミック・アンドリュースの次にセクションインしたものだから、観客の注目さめやらぬ場面だった。そこで成田さんはひっくり返ったわけで、絶好の映像素材になってしまったということだ。

「『トライアルに向いていないバイクで苦戦しています』なんて勝手なナレーションまで付けられていて、非常に恥ずかしかったことを覚えています」

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