MENU

HONDA

検索

2002年からNSX-GTプロジェクトに携わり、2004年のターボエンジン採用の苦労、
翌2005年はターボエンジンからシーズン序盤で自然吸気エンジンに戻してシーズン2位を獲得するなど波乱を経験。
それを経て、2007年にはダブルタイトル獲得を経験する。そのプロジェクトリーダーが得たものとは。

「2009年のレギュレーションが、NSXに対してはかなり厳しい内容でした。特に空力面が厳しく、ダウンフォースがトータルで3割くらい2008年より減ってしまうことになったのです。そこを何とかリカバリーすることがまずひとつあったんですね。それと同時に、リカバリーするにしても30%は厳しいので、不足の部分をメカニカルグリップを上げて対応していきました。あと、エンジンについてもレギュレーションでリストリクターの径が2008年より絞られました。それに対し、いかにパワーアップしていくかという2点が主な開発目標でした」

「歴代のNSX-GTの強さは、やはりコーナリングスピードの高さです。レギュレーション的にパワーが出しにくい状況だとしても、コーナーの速さで勝つというのがNSXの勝利のパターンでした。それがレギュレーションの変更により安全性を高めるために速度を落とす目的でダウンフォースが削られるわけですから、ダウンフォースを活かしてコーナリングするNSXの強さが削がれる方向にありましたね。しかし、今年の前半は苦労しましたが、後半になるとクルマも仕上がってきて、最終戦までチャンピオン争いに絡める強さを発揮できたかと思います」

「シーズンでいうと、やはり目標としていたチャンピオンが獲れた2007年ですね。NSXの良さが際立ったシーズンだったと思います。ポールポジションを6回獲得しましたし。その中でも開幕戦では、NSXが予選でトップ4を独占しました。決勝は残念ながら2台のマシンがエンジンを壊して勝てませんでしたけど。まあ結果として究極のNSX-GTだったと思います」
「2番目は、ターボエンジンにしてからですね。非常に苦労した2004年のあと、翌2005年にNA(自然吸気)にもう一度戻したのです。なおかつベースとなるクルマを大幅に変えましたよね。NSX-R GTです。そこまでやらなければだめだという判断があって変更したわけですが、その結果2005年はポールポジションを5回くらい獲れ、優勝1回でシーズン2位になることができた。3番目は、2004年、そのターボエンジンで苦労した年ですね。レーシングマシンも人がコントロールするののですから、ヒューマンフィット、人に対する扱いやすさが重要だとあらためて再認識した年でした」

「一番最初のは僕ももともとエンジン屋なんですけど、まったく個人的に言うと、エンジンと車体というトータルでつくり上げられるいわゆるクルマというものをあらためて勉強できました。その中で核となるエンジンについて、奥の深さを学びました。GT選手権はリストリクターの装着などいろいろな制約が多いなかで、ウエイトハンディもあって難しいのですが、やっていくとどんどんターゲットが上がっていくんです。技術には限界がないと感じましたね。はじめは「GT500」といっても500馬力は出ていませんでしたが、今では当時と比べてかなり上がっていると思います。これだけレギュレーションがきつくても、まだまだ進化させられることはあるんです」

「Hondaという会社が走る道具であるクルマをつくるわけで、そうであれば1番をめざそうというのがHondaの本能である、それが原点だと思うんですね。たとえクルマ変わったとしてもそれは受け継がれていきます。当然駆動方式も変わることになりますが、そこは自信がありますし問題ないと思いますね。ただ走りたい、勝ちたいという部分が原点にあってということですから。 レースは厳しい現場です。すぐに結果が出ますから、短い期間で目標に向かって努力しなければならない。だから、若い技術者が鍛えられるんですね。ここで力を付けた彼らが、3〜4年後には量産車の開発に携わり、さらなるチャレンジをしていくというのもHondaらしさだと思います」

「1997年の富士でデビューして13年間NSX-GTが走り続けてこられたというのはファンの方々の声援があってのことだと思います。Hondaの、少し大げさに言うと生き様みたいなものに共感し、支援していただいたみなさんのおかげだと思っています。NSXは最後ですが来年は新しい形でスタートしようと思ってますので、引き続き大きな声援を送っていただければ幸いです。ひとつの機種で13年走ったのはNSXだけです。本当に感謝しています。ありがとうございました」