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第7章 「衝撃」  1999年P2

US500、トニー・カナーン優勝
トニー・カナーンにとってCART初勝利となったミシガン
ホンダの500マイルレース通産5勝目が達成される

「このレースでは川さん(前社長の川本信彦)が初めてアメリカに観に来てたんだけど、最後の周までパピスがリードしていたから、もうダメだと思っていたらしい。でも、最後の周でそのパピスが燃料切れになって、うちがワンツースリーを達成したもんだから、すごい喜んでくれた。初めてうちが勝つところを見てもらえたんで、気持ち良かったね」と目を細める朝香。CARTプロジェクトの立ち上げから参戦まで、アメリカで奮闘していた朝香をずっとバックアップしていた川本の前で、絶対に勝ちたかったその夢がかなった瞬間だった。

シリーズは終盤に向けて、デトロイト、トロント、オーストラリアと3勝を挙げたダリオ・フランキッティが追い上げ、モントーヤとの激しいランキング首位争いの末に逆転。ポイントリーダーのフランキッティが9点もリードして迎えた最終戦だったが、二人はなんと前代未聞の同点(212点)フィニッシュとなり、7回の優勝回数で勝ったモントーヤがチャンピオンを確定する。ルーキーでのチャンピオンは1993年のナイジェル・マンセル以来の快挙。ホンダにとって4年連続のドライバーズ・チャンピオンに、3度目となるマニュファクチャラーズ・タイトルとルーキーオブザイヤーも獲得し、2年連続3度目の3冠が達成された。

ランキングもトレイシーが3位に入って3年連続のワンツースリーを獲得。かつてないほどの好成績を挙げたホンダだったが、この最終戦が行われたその初日、衝撃的なアナウンスがスピードウエイを駆け回る。ホンダと4年間一緒にチャンピオンに輝いたチップ・ガナッシ・レーシングが、トヨタへエンジンを変更するというショッキングな発表を行ったのだ。「我々としては残って欲しかったんで、ラグナ・セカで最後のオファーをしました。もう、これ以上はゆずれないという限界を提示したんですね。でも、結局はそれ以上を要求されて、諦めるしかないということになりました。最後はとてもビジネスライクというか、最初の頃の"一緒に勝とう"というのがもうなくなって、残念だった」(朝香)。

ところが衝撃はそれだけではなかった。この最終戦において、翌年からホンダ・ドライバーとなることが決まっていたグレッグ・ムーアがレース中のアクシデントにより他界。有望な若手人気ドライバーを突如襲った悲劇に、CARTは深い悲しみに包まれた。「彼はダリオ(フランキッティ)と仲が良かったこともあり、だいぶ前から色々なことを話して、かなり親しくなってたんですね。グレッグもずうっと"ホンダに乗りたい"って言ってくれていて、ペンスキーに移籍してやっとそれが実現する矢先のことだった。とても残念で、悲しかったね。レースが終わってチャンピオンが決まったものの、しばらくの間呆然としてた。翌日行われたバンケット(年間表彰式)にも行けず、モントーヤには悪いことをしたよ」(朝香)。タイトルの連覇に成功したホンダ、しかしその幕切れはあまりにも衝撃的だった。

ミド-オハイオ、Honda、表彰台独占
このミド-オハイオを含め、ホンダはこの年4回のワンツースリーを獲得
1999年のランキングもこの3人がワンツースリーを占めた

 

第8章 「記録」1999 ドライバー・ラインナップへ 第6章 「奪回」

フッタ
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