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第3章 「再起」  1995年 P2

パーカ・ジョンストン、ポール獲得
ポール獲得と同時に泣き崩れたジョンストン。
そこへ次々とホンダのスタッフが訪れ、かたい握手が交わされる

その後、シリーズ後半はホンダ陣営にコンプテック・レーシングとパーカー・ジョンストンも加わり、再び迎えたスーパースピードウェイ、ミシガンではジョンストンがホンダに初めてのポールポジションをもたらす。オフシーズンからHRHエンジンのテストを担当していたジョンストンは、初めてのオーバルでの予選であるにも関わらず、唯一230マイルをオーバー。参戦2年目のジョンストンは、この日がじつに10戦目のレースだった。予算不足から全戦に出場できないコンプテックと、ジョンストンが見せた快挙にスタンドは大いに沸く。

決勝ではジョンストンの他にリベイロも加わり、インディ500同様ホンダ・エンジンがレースのほぼ半分をリードしたが、不運としか言いようがないメカニカルトラブルに見舞われ、ゴールを迎えることなく2台ともリタイアに終わってしまった。こうして、エンジンパワーの必用なオーバルコースではそのパワーを十分に発揮できるまでとなったホンダだったが、ロードコースやストリートコースとなると、チームやドライバーの経験不足が露呈して思うような結果が出せない状況が続く。

シリーズも残すところ3戦、とうとうシーズン最後のオーバルであるニュー・ハンプシャーのレースを迎える。勝てる可能性が残された最後のレースであり、本来ならば手堅い戦略を採るのが常だが、現場でチーフエンジニアを務めていた西澤一俊は、リベイロにアドバイスを持ちかける。西澤には昔からあるひとつの疑問があった。長い伝統故のことか、オーバルではシフトダウンをしないのが当たり前とされていたのである。そこでリベイロに、「ターンに入る手前でシフトダウンをしてみてはどうか」と提案、ルーキーのリベイロはすぐにそれに応じた。

まさに西澤の思惑どおり、シフトダウンすることによってタイムは飛躍的に伸び、リベイロはコースレコードをマークして初めてのポールポジションを獲得してしまう。決勝でもリベイロはベテランのマイケル・アンドレッティらと白熱したバトルを展開し、100周目にトップに立つと、その後はルーキーとは思えないほどの力強い走りを披露。もはやリベイロに追いつける者は皆無となり、そのままポールトゥウインを達成してしまったのだ。

それは、誰もが夢にまで見た瞬間だった。タスマンとリベイロ、そしてホンダにとっての初優勝である。「リベイロを迎えに行く途中で、色々な人に"コングラチュレーション"と言われる度に、涙が出そうになった。そこは、ライバルも何も関係なく純粋に勝者を祝福する世界でしたね。彼らは、我々がこの世界にやってきて、苦労していた様子を知っている。この勝利で我々がやっと市民権を得られたような、そんな気がしました」と朝香。参戦以来2度目の表彰台、31戦目にして初めて得ることができた勝利だった。 

アンドレ・リベイロ
全員にとって長い間待ちわびた初めての勝利、
ポディウムでシャンペンとともにうれしさが爆発した

 

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フッタ
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