
朝香(中央)と西沢(右)はレイホールの期待に応えようと努力したが、報われることはなかった | 「この一件でレイホールとの関係がおかしくなり始めたのは事実」と朝香。次の第5戦から復帰したHondaは第7戦まで連続で入賞圏内に入り、7月17日にカナダ・トロントで行われた第9戦では、初の表彰台である2位を獲得したものの、祝福しようと駆け寄った朝香に「I
need more power !」とレイホールはひとこと。そして、8月9日に突然、衝撃的なファックスがHPDに届く。
「今年いっぱいで、Hondaとの関係を解消する」と記されたそのファクスの送り主は、レイホールのチームからだった。それは、いっさいの話し合いの余地も無い一方的なもので、Hondaはレイホールのファクトリー2階に設営していた開発基地をすぐに引き上げるしかなかった。その作業がすべて終わり、最後に朝香と二人だけで話し合った席でレイホールは「もう、これ以上不振が続けばスポンサーが降りてしまう。それだけは避けたかった」と初めてその胸のうちを語る。
それに対して朝香は、「スポンサーがいなくなったら、俺たちがなんとかしてやる。なぜ相談してくれなかったんだ」とひとこと。レイホールはその言葉に一瞬驚き、複雑な表情のまま何も言えなくなってしまう。Hondaがそれほどまで自分たちを信用し、必要としていることを、この時になって初めて知ったのだ。しかし、時すでに遅し。転がりだした石は止まる事を許されず、もう、お互いに別の道を行くしかない。朝香は黙ってしまったレイホールに背を向け、その部屋を後にした。
「このままじゃダメだ」。信頼性優先という保守的な考えに縛られていた朝香は、日本にパワーを重視したまったく別の新エンジンを開発するよう依頼。研究所はこの一件があったことで夏休みを返上し、早速作業に取り掛かる。だが、今使用しているエンジンもシーズンが残っており、そのままでいいというわけにもいかない。研究所内には急遽新エンジン開発と、従来のエンジンの熟成を担当する二つのグループが出来上がり、それこそ寝る間を惜しんでの開発が始まった。
「Hondaはどんな時でも苦しさをバネにがんばってきたから、今のHondaがある」といって朝香はアメリカのスタッフを勇気付けながら残りのレースに挑む。そして、レイホールと最初に交わした約束どおり、終盤は壊れなくてパワーのあるエンジンを用意したのだが……。数々の栄光を引っさげてアメリカでレースを始めたHondaの、これが紛れも無い1年目の姿だった。
 初年度から結果を求めたレイホール。Hondaとの関係は参戦1年目で終わりを告げる |
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