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第1章 「宣言」 〜1993年P1

CARTへの参戦を発表、アメリカン・ホンダの夢が現実に

1993年1月7日午前9時、アメリカ自動車業界の1年の始まりを告げるデトロイト・ショーで、Hondaはその将来を担うであろうひとつの重大なプロジェクトの発表を行った。プレス・コンファレンスのステージに立ったアメリカンHonda社長、雨宮高一は真剣な面持ちでマイクに向かう。

「Hondaがこのアメリカで自動車の販売を開始してから、すでに22年の月日が経ちました。その間に現地生産を可能としただけでなく、現地での開発から輸出まで、困難と言われていた様々なことに取り組んできたのです。今日、我々は新たなチャレンジとして、アメリカで最も権威のあるモータースポーツ、インディカー・ワールド・シリーズの参戦に向け、テストを開始することを発表します」

それは、1959年にロサンゼルスに設立されて以来、アメリカにおける一自動車メーカーとして確たる地位を得たアメリカンHondaが、ついに本格的なレース参戦を目指すというアナウンスだった。現地に根付いた企業になることができたHondaは、長い間に渡ってアメリカで封印してきたレース活動を、やっと自らの手で紐解いたのである。

Honda ローラ
デトロイトショーの発表の際に展示されたテスト車両、Hondaローラ

アメリカ最高峰のフォーミュラ・カーのカテゴリーで、当時インディカー・ワールド・シリーズと呼ばれていたそのレースは、1909年に始まった由緒ある伝統を持つ。最高速が400キロにも達するオーバル・コースでのハイ・スピード・バトルが最も良く知られているが、それ以外にも市街地などに特設されたストリート・コースや、鈴鹿のような常設ロードコースといった3つの異なるサーキットを舞台にする。

その人気はアメリカにおいてF1をはるかに凌ぎ、世界中で大勢の観客を動員。CARTフェデックス・チャンピオンシップ・シリーズと呼ばれるようになった現在、全米以外にもカナダ、オーストラリア、ブラジル、日本、メキシコ、ドイツ、イギリスと8カ国を転戦し、年間350万人以上のファンが観戦に訪れる一大レース・イベントだ。

「このうれしさを、なんといって表現したらいいでしょう」。アメリカンHondaの副社長で、プロジェクトを運営するために創設されたHPD(Hondaパフォーマンス・デベロップメント)社長を兼任するトム・エリオットは、デトロイトの発表会場で、興奮しながらアメリカンHondaにおけるCART参戦の役割について語り始める。

「レースにチャレンジすることは、Hondaにとってとても重要なことです。これは従業員やディーラーなど、アメリカンHondaに関わる8万人ものHondaファミリーの長年の夢でした。CARTは挑戦し甲斐のある素晴らしいレースであるのは言うまでもなく、このアメリカでエンジニアを育てる場として、とても意味のあるプロジェクトです」

1979年に入社したエリオットをはじめ、レースをしたくてうずうずしていたアメリカ人社員が大勢いたという。彼らはヨーロッパや日本でHondaがF1などで活躍するのを横目に、ひたすら会社を築き上げることに邁進してきた。それは、“いつの日か、自分たちも”という思いが、ついに実った瞬間だったといっていい。

 

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