2001年全日本GT選手権第3戦が、改装なった宮城県スポーツランドSUGOで開催された。木曜の練習走行は雨に見舞われたものの、金曜の公式練習、土曜の公式予選、そして日曜の決勝レースと、さわやかな快晴に恵まれ、東北近県から熱心なレースファンが会場に詰めかけた。アップダウンに富みトリッキーなコーナーが各所に設けられたSUGOは、軽快なフットワークを持ち味とするNSXにとっては得意なコース。しかし、一方でコースの性格上、ウェイトハンディが他のコース以上の重荷になる。
今回はNSX勢のうち道上龍/光貞秀俊が乗る1号車が50kg、土屋圭市/金石勝智組の8号車が10kg、加藤寛規/セバスチャン・フィリップの18号車とドミニク・シュワガー/松田次生組の64号車はハンディなし、飯田章/伊藤大輔組の100号車が10kgというハンディを抱えてレースに臨んだ。予選では、100号車の飯田が土壇場で8号車の金石が記録したタイムを破ってポールポジションを奪取、NSXはフロントローに並ぶ一方、18号車が6位、1号車が7位、64号車が9位につけた。
ポールポシジョンをもぎとった100号車には、心配事がひとつあった。飯田のパートナー、伊藤が体調を崩し公式予選は規定周回数をこなすのが精一杯の状態だったのだ。本人は決勝レースには必ず出場すると決意を表明、土曜日は早々に宿舎へ引き上げ身体を休めることになった。
決勝では、伊藤がステアリングを握る100号車と土屋が乗る8号車が飛び出しレースを引っ張り始めたが、伊藤の体調は万全ではなく100号車は少しずつ遅れ始めた。10周をすぎた時点で首位は8号車、それをスープラ36号車、GT-R23号車、スープラ37号車が追い、100号車がなんとか5位を守り、スープラ38号車をはさんで18号車、64号車、1号車が続くという展開となった。
20周をすぎて周回遅れを追い抜くうちに8号車は36号車に追いつかれ一旦は首位を譲り渡したが再び追い上げ30周をすぎたところで再びトップへ立った。一方、伊藤は体力の限りを尽くして頑張り、5位を守って34周を走りきり早めのピットイン、マシンを飯田に引き継いだ。ところが追い上げにかかった飯田は46周目にコースオフ、レースを終えることになってしまった。
首位の8号車はピットインのタイミングをうまく選び、迅速な作業にも助けられて、他のライバルが給油を終えると、2位の37号車に6秒以上の差をつけて土屋からマシンを引き継いだ金石の首位の座は安泰となっていた。しかし50周目、トラブルを起こした競技車両が火災を起こし、その消火作業のためセーフティーカーが入って事態は急変してしまった。徐行の間に8号車と2位のマシンとの間隔は縮まり、58周終了時点でレースが再開されると、2台はテールトゥノーズの状態になってしまったのだ。結局、金石は64周目の第1コーナーで37号車のアタックを受けて2位へ後退、必死に食い下がったものの逆転は成らず2位で81周のレースを終えた。
1号車はレース終了直前まで3位に続いていたが結局4位、18号車は6位に入賞。64号車はレース後半、スピンして順位を落とし2周遅れの14位でフィニッシュした。この結果、シリーズのドライバーポイントランキングでは、土屋/金石組が36点で首位に立ち、道上/光貞組が33点で2位と、NSX勢が1-2体制を築くこととなった。
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