Report rd.17
“Recapture the Championship on HONDA's 50th”
(ホンダの50周年に、チャンピオンシップを奪回しよう)
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表彰式の後、シャンペンを掛け合って喜んだ朝香充弘(写真右)と、HPDのディレクター、ロバート・クラーク
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アメリカでホンダ・インディカー・プロジェクトを行うHPD(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント)の内部に、このスローガンが掲げられたのは今シーズンの初めのことだった。
創立から50周年目を迎えた今年、昨年同様ドライバーズ・チャンピオンを獲得するのはもちろんのこと、1996年以来となる2度目のマニュファクチャラーズ・タイトルとルーキー・オブ・ザ・イヤーの3冠を達成したいというホンダの目標が、このテキサス州ヒューストンで実現したのである。
第17戦目となった今週末、日本ではちょうど50周年記念のセレモニーがツインリンクもてぎで行われていた。ドライバーズ・チャンピオンはすでに第15戦のバンクーバーで決定していたが、偶然にもセレモニーと同じ週末にマニュファクチャラーズとルーキー・オブ・ザ・イヤーが確定。ホンダのスタッフにとってうれしいタイトル決定の瞬間だった。
「今年は厳しかっただけに、ほんとうにうれしいですね」
HPDの副社長、朝香充弘はほっとした表情でそう語る。
「最初にマニュファクチャラーズ・タイトルを決定した1996年とは違い、今年はエンジンパワーのアドバンテージはほとんどありませんでした。そういった状況のなか、日本の研究所もがんばってくれたお陰で、シーズン途中に燃費が良くなったのが大きかったと言えます。ともかく、1戦1戦を大事に戦ってきたのが、タイトルの奪回につながったのではないでしょうか」
まるで50周年を祝うべく、ホンダ初のワン・ツー・スリー・フォー・フィニッシュを獲得(今までワンツーが最高)し、表彰台を独占した今回のレース。雨が降ったり止んだりという厳しい状況の中だっただけに、スタッフも喜びを隠せないといった様子だった。
今回の優勝で、トータル11勝目を挙げたことになるが、残り2戦でもう1勝挙げることができれば、1996年の記録を塗り替えることになる。果たして、50周年の今年、新記録は生まれるだろうか。
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