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Report rd.02


ホンダV8エンジンを製造・供給する
HPD(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント)の副社長、

朝香充弘が、日本初開催の「インディカーレース」を語る

我々のこの「インディカープロジェクト」は、アメリカン・ホンダの本格的なレース参戦による技術開発と、より広いマーケティングを狙ったことから始まりました。'93年にテストを開始し、翌年からボビー(レイホール)とともに参戦したのですが、我々が考えていた以上にこの世界は厳しく、当初は本当に大変な思いをしました。初勝利を獲得したのが31戦目ですからね。アンドレ(リベイロ)とともに勝ち取った'95年の初優勝は、今思い出しても、胸が熱くなってきます。
そして、翌年は一気に6台体制となり、若手を中心とするドライバー達が大活躍してくれたおかげで、参戦3年目にしてマニファクチャラーズ・タイトルを獲得することができました。しかもジミー(バッサー)がシリーズチャンピオン、アレックス(ザナルディ)はルーキー・オブ・ザ・イヤーとなって、それまでの苦労が一気に報われたような、そんな年でした。
昨年は、残念ながらマニファクチャラーズ・タイトルは逃したものの、アレックスがシリーズチャンピオン、ジル(ド・フェラン)がランキング2位、ジミーが3位と、うちのエンジンがトップ3を独占しました。
今回の「もてぎ」は我々にとって大事なレースであることはいうまでもありません。ですが、一番の目標は'96年の再現ともいうべき、完全制覇を狙うことであり、年間を通じて必ずこの目標を達成するために努力しています。今日のレースは、結果は3位でしたが、はっきり言って、全力を尽くしたと言っていいでしょう。今日ご覧になっておわかりのように、我々が参戦しているこのレースは、実にコンペテティブであり、ちょっとしたミスも許されないのです。
そういった意味で、初めての日本のファンの人たちにはいいレースが見せられたと思います。まずは面白いと思ってもらうことが大切ですから。「もてぎ」でのレースは、スピードも高かったし、序盤はずっとグリーンだったから、見ているほうも大変だったのではないでしょうか。勝つことはできませんでしたが、我々が作ったこの「もてぎ」で、インディカーレースのすばらしさをみなさんに感じとっていただけたと思います。(談)


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