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Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

自分の限界に自分で線を引かない。研究者志望だった男が生産領域で手に入れたもの

Hondaの小川エンジン組立モジュールでアシスタントチーフエンジニアを務める三宅 滋。工学部を卒業後、研究開発を志して新卒入社したものの、配属になったのは生産領域でした。その後、13年にわたり生産現場に関わり続け、新たな領域でも熱を絶やすことなく仕事に邁進し続けた彼の原動力をご紹介します。

三宅 滋Shigeru Miyake

埼玉製作所 エンジン工場 エンジン組立モジュール

2007年新卒入社。新入社員研修を経て、埼玉製作所エンジン工場エンジン組立モジュールに配属。
2013年に小川エンジン工場の立ち上げに携わる。
2017年よりホンダオブザU.K.Mfg.Ltd.(イギリス)駐在を経て、2019年より現職。

イメージしたものを実際に形にできる仕事に就いてみたい

埼玉製作所エンジン工場 小川エンジン組立モジュールでアシスタントチーフエンジニアを務める三宅 滋。彼は大学時代工学部に所属し、ものづくりに関わる企業で力を発揮したいという想いを持って就職活動を始めました。

三宅 「記憶をさかのぼれば物心ついたころから、メカ好きの父が電化製品の分解や修理をしていたり、ちょっとしたものを自分でつくっていたりするのを身近に見てきたんです。

その影響か、私も機械というものがどんな理屈で動くのかを考えることが純粋に好きで。ボタンを押して動く装置があれば、一体どんな作用が働いているんだろうと考える。そんな習慣がついていました」

元来のメカ好きな性格から、大学では工学部機械学科を専攻し、熱工学を研究した三宅。研究対象はバイオマスでしたが、大学院に進んで研究を極めるより、幅広く培ってきたロジカルな思考能力が生かせる業種を見つけ、早く仕事に生かしてみたいと考えました。いくつかの企業の説明会を回り、あるときHondaと出会います。

三宅 「正直、当時僕は車やバイクの熱狂的なファンではなかったんです。Hondaと聞いて当時の皆さんが想像していたのって、どちらかというと“マニア心を刺激するような車やバイクをつくっている会社“という印象が強かったと思うんですが、私はどちらかというと、逆のことをやってみたいと考えていました」

自分のように、車に対して特別強いこだわりのないユーザーにも受け入れられるような製品にも必ずニーズはあるはず。そんなニーズに応えられるような車の研究開発に携わってみたい。自分の頭で考えたものが形になるとしたら、きっと大きな達成感を得られるに違いない。そう考えたのです。

三宅 「また、企業説明会で社員の話すエピソードがまさに自分の理想通りで、共感を覚えました。街中で自社の車を見かけるたびに『あのドア、自分が開発したんだよな』と感動が湧き上がると」

あらためて車づくりという仕事に魅力を感じた三宅は、2007年、晴れてHondaへの就職を果たします。理系大学卒の新卒採用者の多くが目指す研究開発領域の部門を志望した三宅でしたが、その希望に反して配属先は生産領域でした。

そのときの気持ちを振り返ります。

三宅 「やはりショックはありました。なかなか気持ちが切り替えられないというのが、配属が決まった当時の正直な気持ちです。半年から一年くらいは劣等感に苛まれたりもしましたが、生産領域の仕事に深く携わっていくにつれ、徐々にその魅力がわかるようになっていきました」

新しい工場で、一から道筋をつくる楽しさに目覚める

新入社員研修を経て、埼玉製作所エンジン工場 エンジン組立モジュールに配属になった三宅。現場での経験を経た後に任された「保全」という仕事は、三宅のものづくりへの熱をあらためて思い出させるものになったと言います。

三宅 「保全は、生産ラインで使う設備をメンテナンスや修理復旧をする仕事です。そのためには、設備がどのようなしくみで動いているかをイチから理解する必要がありました。僕はそもそも、そういった好奇心からこの世界に飛び込んだわけですから、すごくその作業がしっくりきたんですね。自分でも驚くほどに仕事に対する楽しさを実感できたんです」

保全の仕事の中で、設備関連の業務のやりがいを感じるようになった三宅。2013年、新しい工場への異動に自ら手を挙げることを決めました。

三宅 「埼玉県の狭山工場から、新しい小川工場へと移ることにしたんです。当時小川工場は『国内最大の新工場』と呼ばれていて、そんな重要な工場を安定的に立ち上げて軌道に乗せるということが、とてもやりがいのある仕事に感じられました。

狭山工場には、先輩方がそれまでにつくり上げてきたノウハウやスキルが十分蓄積されていましたから、小川工場で自分が新しい道筋をイチから立てられることにも魅力を感じました」

狭山工場では使われていなかった技術を習得し、立ち上げ直後不安定だった小川工場を安定稼働させるというという任務を果たした三宅。その功績についてはこう謙遜します。

三宅 「私じゃなくても、努力すれば誰にでもできることだと思います。技術力というよりどちらかというと、自分の限界に自分で線を引かないこと。そのマインドが重要なのかな、と。『まだまだ頑張れる』と自分を信じ続けられれば、きっと多くの仕事は成し遂げられるんじゃないでしょうか」

その後、保全で培った知識を踏まえて「技術」と呼ばれる仕事に移り、必要な生産設備や技術、効率的な生産ラインなどをより実践的に考え、その企画から導入/改造まで推進する業務を担います。

実際にそれらを使う現場の人たちの業務を想像し、意見を聞き、協力し合うおもしろさに目覚めていった三宅。その後の小川工場の生産体質をさらに向上させることに貢献していきました。

「当たり前」を疑う姿勢が、駐在での成功につながった

小川工場の立ち上げプロジェクトで、飛躍のファーストステップを踏んだ三宅。

2017年には再び大きなチャンスを迎えることになりました。設備領域での専門性の高さと、精神力の強さ・忍耐力を見込まれ、イギリス工場Honda of the UK Manufacturing Ltd.への駐在を打診され、渡英することになったのです。

三宅 「当時のイギリスの工場には、組織間に壁が見受けられました。そこでは生産現場の人たちは『人による作業』を管理し、別の部門が『生産設備』を管理するように明確に分かれていました。

そのために生産現場は生産設備の知識が乏しく、設備改造や導入時に現場の意見を十分に入れられずにいたのです。その足りない部分をフォローするために、新たなしくみや設備を導入していきました」

言語も文化も異なるイギリスでの仕事では、一筋縄では行きませんでした。専門的知識を生かすだけにとどまらず、現場をみて、設備を見て、人を見て──専門外も含めたあらゆる業務を求められたといいます。それでも、期待されたことにはすべて応えていこうと三宅は覚悟を決めていました。

三宅 「駐在先での立場は日本にいたころより2ランクほど上でした。だからこそ守備範囲は広くなると聞かされていましたし、むしろそれはチャンスだと捉えることにしました。

ただ、根本的な問題として当時英語力はあまり高くありませんでしたし、専属の通訳がいるわけでもない。下手をすると、現場のメンバーからそっぽを向かれてしまうことになる。そんな中で目的をひとつにして新しいものをつくっていくことは、簡単ではありませんでした」

駐在開始当初、イギリス工場ではある新機種の導入が佳境に差し掛かっていました。しかし、既存設備の改造結果が目論見通りにいかず、エンジンの仕様を変えたいという提案が現地スタッフから出ていたのです。しかしそれを変えれば確かに生産は容易にできますが、コストや時間がかかり、量産化のスピードも滞ってしまう。顧客にも迷惑を掛けるという大きな問題がありました。

それに対し三宅はみずから手を動かしながら、なんとか期日内にエンジン仕様を変えることなく生産設備対応をやり遂げました。

三宅 「現地のメンバーに不可能だったものを可能にしたことで、それ以来少しずつ信頼を得られるようになり、業務が円滑に進むようになったと思います。

私が生まれたころから設備の仕事をしてきたような現地のベテランからすれば、『なぜ外国からやってきた若輩者の言うことを聞き入れなくてはならないのか?』という反抗心もあったはずです。仕事にプライドを持っている方ばかりでしたし。

そういう環境下で唯一私にできることは、実力をつけて認めてもらうこと。そのために技術力だけではなく、考える力を駆使し、それまで現地になかった新しいアイデアをどんどん提案していきました」

お国柄や常識の違いを逆手に取り、これまで行われてきたルーティンに「はたしてそれは本当に当たり前のことなのか?」と疑問を投げかけ続けました。すると徐々にメンバーたちも、従来の業務についてあらためて考え始め、結果的に効率化につながったこともありました。

三宅 「彼らの考えを真っ向から否定することはしたくありませんでした。ただ、先を読みきれていないことや見落としているリスクに対しては、どんどん意見をぶつけていくようにしました。

それに対してメンバーが協力してくれたのは、やっぱり根っこにある製品に対する想い──『より良いものをつくってやろう』という貪欲な姿勢が共通していたからだと思います。だからこそ、カルチャーや言語が違っても、納得感を持って一緒に進んでくれたんだと思います」

こうして2年間にわたる駐在生活を成し遂げ、2019年に再び日本へ戻ることになったのです。

安定から挑戦へ。より大胆にプロジェクトに携わっていく

2020年6月現在、三宅は、パワーユニット組立「体質改革」アシスタントチーフエンジニアとして勤務しています。2年間の駐在を経て変わったことについてこう話します。

三宅 「成功体験と言えるかはわかりませんが、自分の領域に壁をつくるのをやめて、より広い領域を知りたいと思えるようになりました。

もともと私は安定志向が強く、得意な専門領域を守りたいという想いがあって。ただ一方で、本当はもっと成長したいという欲も持っていました。その二つが相反したときに、これまでは成長ではなく安定を選んでしまうことが多かったんです。海外でチャレンジをし、無事任務を終えて帰国できた今、成長欲が以前より増したと感じています」

不安を乗り越え、異国の地で持ち味を発揮しながら仕事を楽しむことができた三宅。その経験を生かしながら、再び狭山工場と小川工場を股に掛け、次々に新しいプロジェクトにも取り組み始めています。

固定概念にとらわれず、絶えず「なぜ?」を問いかけ続け、自身を持って答えを導き出すことの重要さを熟知している三宅。そんな現在の彼の姿からは、入社当時の劣等感は微塵も感じられません。

三宅 「今となっては就職当初志していた研究開発より、むしろ生産領域の仕事の方が向いているんじゃないかと思っています。研究、生産、物流、すべての制作過程に関わり合いながら、ひとつの機種を製造する。あるいは、体質改善という目的に向けて、一丸となって取り組んでいく。

最終的にそれが形になったときには非常に達成感がありますし、純粋に楽しみながら仕事ができると今は実感しています」

しくみを熟知し、構築する。あるときはジェネラリスト的立ち位置も求められるこの仕事に、大きな醍醐味を感じていると語る三宅。エンジニアとして、これからも走り続けます。

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