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世のため人のため、自分に何ができるか。コロナ禍でもHondaらしさを追求した男の奮闘記

Hondaは、新型コロナウイルス感染防止にむけた支援活動を行なっています。そのひとつである軽症者を搬送するための車両(仕立て車)の提供は、生産技術研究開発部部長の越後 隆治たちの行動がきっかけで実現しました。自身の体験談を交えながら、仕立て車提供にまつわるエピソードやそこから見えた今後のHondaのあるべき姿を語ります。

越後 隆治Takaharu Echigo

四輪事業本部ものづくりセンター 生産技術統括部 生産技術研究開発部

1998年新卒で入社以降、ホンダエンジニアリング株式会社にて生産技術の研究開発に従事。
現在は四輪事業本部ものづくりセンター 生産技術統括部 生産技術研究開発部の部長に就任。

悔しさをバネに新たな技術を持ち帰り、高品質な製品の安定生産に貢献

生産技術研究開発部で部長を務める越後は、Hondaらしい自発的な行動を大切に開発に取り組んできました。2020年のコロナ禍において、Hondaが軽症者を搬送するための仕立て車を提供することになったのも、越後たちの行動がきっかけでした。

そんな越後は大学で金属材料について学び、Honda入社直後は自動車の金属材料に関わる生産技術開発を担当しました。特に最初の5年は、鉄で作られているものをアルミに置き換えて車体やエンジンを軽量化する新素材の開発に従事しましたが、さまざまな技術ハードルがあり、結果的に商品化には至りませんでした。

越後 「Hondaに入社してから、先輩方が開発してきた技術を進化させ量産化するために精一杯仕事をしていました。しかし、当時のアイデアだけでは量産化できず、数年間開発に費やしたものをお客様に届けられなかったのがとても悔しかったんです。会社に対して借金を背負ったような感覚に陥りましたね」

そんなとき、越後はヨーロッパへ駐在することになりました。ヨーロッパの先端技術を見つけてくるように言われ、必ずお客様や会社に貢献できるものを持って帰ると意気込んだ越後は、ドイツの展示会で見つけた金属3Dプリンターに衝撃を受けたのです。

越後 「金属3Dプリンターを使うときは、金属を溶かすためにレーザーを活用します。材料とレーザー両方の技術が必要になるので、これまで材料を専門にやっていたところから1歩も2歩も進んだ、レーザーを学ぼうと考えました。ドイツの研究機関に入り込みながら、ゼロからレーザーについて勉強させてもらいました」

その後越後は金属3Dプリンターを日本へ持ち帰ってプロジェクト化し、量産につなげました。

越後 「3Dプリンターを使えばいろいろな形が作れますが、どうしても作る時間がかかるというデメリットがありました。そこで我々は様々なアイデアを詰め込んで世界一早い3Dプリンターを作り、工場で品質やコストを左右する金型に使うことにしたんです。多くの技術ハードルの中、メンバーとともになんとか量産化にこぎつけ、まだ一部の工場だけではありますが高品質な製品を安定して生産することに貢献することができました」

駐在時代に変わった考え方。それはコロナ禍でも自発的に動き出す

エンジン担当である越後と同時期にヨーロッパに駐在していたのは、車体担当の堀でした。堀とは、駐在以降日本へ帰任しても同じ職場に在籍し、様々な困難を協力して解決に導く仲になります。越後は駐在期間中に触れた堀の考え方に、大きな影響を受けました。

越後 「私は精密部品を作っているエンジン領域の担当ということもあり、何事も細かく考えがちなんです。何かやりたいことがあったときでも、お金や日程について細かく確認して、それが自分にできるかできないかを考えていました。

でも、堀は“できるかできないか”で物事を判断せず、常に“やるかやらないか”で考えている人でした。自分とはまったく異なる考え方に触れられたことは、私にとって大きなターニングポイントになりましたね」

ある課題を見つけたとき“できるかできないか”で考えると難しい点ばかりを並べることになります。一方“やるかやらないか”だと最初に決めていれば、同じ課題でもどのように良いところを伸ばして悪いところを潰せるか考えるようになるのです。どちらの考え方を前提とするかで、その後の進め方が大きく変わることに気づかされました。

越後 「ネガティブなところをたくさん見つけるのではなく、あえてポジティブなところを見つけて何とかやる方法がないか考えなければ、ブレイクスルーはできません。現在、部長としてメンバーたちが課題にぶつかったときも『それでもやるならどうする?』と投げかけるようにしています」

そして、駐在期間も含めたこれまでの経験や考え方は、仕立て車を提供するプロジェクトで活かされたのです。仕立て車のプロジェクトは、2020年3月28日に越後が堀へ送った1通のメールが口火を切りました。

越後 「『なんかモヤモヤしています』という旨のメールを送ったんですよね。コロナの影響で、働きたいけど働けない。ニュースを見ると複数の会社がマスクなどを作って医療機関に提供している。だから僕たちもHondaらしい何かをしませんか、と提案しました。

狭山の完成車工場で工場長をしている堀からも、『俺も同じことを考えていた』とすぐに返信がありました。そこから、Hondaのインフラを使って世の中に貢献できないか、今それをやらなければHondaじゃないんじゃないかと話し、一緒にプロジェクトを行なうことになったんです」

これまでにも多数の課題解決に取り組んできた名物コンビが動き出したことで、事態は急速に変化していきました。

自発的に集まった社員の協力と生産技術の使い分けが肝となったプロジェクト

越後と堀は、各々のリーダークラスの人材に声をかけ、オンラインミーティングを行ないました。マスクや人工呼吸器を提供する案も出たものの、モビリティの会社であるHondaだからこそ、まずは移動手段を提供するのが良いのではないかと話がまとまります。

今後感染者数が増えると患者を搬送する車が足りなくなってしまうという推測もあったので、搬送車両の提供を進めようと決めました。完成車工場の堀と生産技術開発の越後が先頭に立ち、社用車を改造して搬送用の車両を仕立てることにしたのです。

越後 「搬送車両において重要なのが、ドライバーの二次感染を防ぐことです。そのため、運転席と後部座席のあいだには隔壁を作る必要があります。ビニールを貼ったり金型から鉄板を抜いてはめたりするのが一般的ですが、私たちにはアルミの板をレーザーで切るという開発中の技術がありました。

レーザーで切ると金型は不要で、データを入力した5分後には板が切れます。車の形には個体差があるので、金型で同じものを量産すればOKというものではありません。金型を作る必要がないレーザーを使えば、個体差に合わせた微調整もすぐにできます。そうして、車に合った隔壁を作りました」

その結果、越後が堀にメールをした約2週間後の4月13日には、渋谷区に1台目の仕立て車を提供することができました。患者数が増え緊急事態宣言が出て、ホテルや病院と自宅を行き来する車両が逼迫していたときに、素早く仕立て車を提供できたのです。

仕立て車のスピーディな提供は、商品開発や工場および渉外部や広報などプロジェクトに必要な全領域の社員が自発的に動いてくれたからこそ実現できたと越後は振り返ります。

越後 「コロナ禍でいろいろな制約があるなか、何かしたいけれど何もできない自分に苛まれる人はたくさんいました。苦しい思いを抱えながらもアイデアに賛同してくれる人は多く、どんどん社員が集まってくる様子を見て、まだまだHondaも捨てたもんじゃないと思いましたね。笑

また今回の提案には上位層も含め様々な立場や部門のメンバーが、前向きに共感し応援してくれました。若手からトップまで、世のため人のために自分たちができることを実施するというHondaらしさは今も顕在だと、嬉しくなりました」

さらに、今回の社会貢献プロジェクトにおいては、Hondaが誇る生産技術の力を活かせたのもポイントでした。

越後 「仕立て車では、生産技術研究開発部でここ数年注力しているレーザーの技術が役に立ちました。金型を作らず車1台1台に対応するレーザー切断は、1点ものを素早く提供するのが得意な技術です。

一方、生産技術統括部 金型生産部で生産したフェイスシールドのバイザーは、医療機関にたくさん届けなければいけませんでした。こちらは金型を使って多数個生産する技術が活用されました。1日でも早く届けたい仕立て車はレーザー、たくさんの人に届けたいフェイスシールドは金型。目的に応じてHondaが持っている技術を活かせたのは、技術者として嬉しかったですね」

コロナ禍の特殊プロジェクトで終わらせず、普段の業務に活かしていく

部長職を担う者として、越後は最近のHondaはスピード感がなくなった、Hondaらしい商品が少なくなったといわれることを課題視しています。そこで、今回の仕立て車の1件をコロナ禍の特殊プロジェクトとして扱うのではなく、リアルなケーススタディとして普段の業務に活かしていく必要があると考えています。

越後 「ルールに則って仕立て車のプロジェクトを進めた場合、提供までに1〜2年かかっていた可能性があります。それが2週間でできたのは、できるかできないかではなく、やるかやらないかでスタートし、賛同してくれる仲間や上司に恵まれ、強い意志と行動力を各自が発揮できたからだと思うんです。

すべての年単位のプロジェクトを2週間でやるべきという話ではなく、普段の業務もやり方次第でブレイクスルーできると示すための事例にする必要があると感じています。普段の業務と照らし合わせる鏡のように使っていくことは、自分が今後やるべきことですね」

このプロジェクトでは、Hondaならではの価値提供を仕立て車という形で具体化しましたが、普段の業務でも自分たちが考え抜いて価値を形成しなければならないと越後は考えています。

越後 「人に価値を考えてもらうのではなく、自分たちで考えることが大切だと周りにも伝えるようにしています。今までの延長だけで考えた商品や技術だけではお客様や工場に喜んでもらえるブレークスルーは望めません。

私たち研究開発の部隊は、Hondaの将来を担っています。将来の価値そのものをしっかりと描き、それを実現する手段として技術があるという順番が大切。それを仕立て車のプロジェクトで自分自身が体感したので、ほかのメンバーにも伝えていきたいですね」

さらに、越後は部長として周りに問いかけるよう意識していることがあります。

越後 「本気で取り組んでいるか、そして本質を突いているか。そのふたつを間違えなければ必ず結果はついてくると、開発メンバーたちに対してよく話しています。Hondaは個々人の競争力の集合体なので、一人ひとりの競争力を最大限発揮するためには、それぞれが本気で本質を突いていなければならない。そうしないと、会社は良くなりません。

仕立て車のプロジェクトでは、本当に自発的に関わりたいと言ってくれたメンバーに恵まれました。そういう人たちの思いを部長である自分が無下にしないよう、今後も個々人の力を発揮させる投げかけをしていきたいと思います」

混乱する世の中でHondaらしいことができないかと越後たちが考えたことから、その思いに賛同する社員がどんどん集まり、仕立て車の提供が実現しました。

Hondaが創業以来大切にしている「世のため人のため、自分たちが何かできることはないか」という志は、今なお社員たちに受け継がれているのです。

YouTube動画 搬送車両プロジェクト(ものづくりセンター生産技術統括部編)

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