Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

Hondaへの熱き想いで歩んできた20年―次は恩返しを

中学生時代に本田宗一郎の書籍と出会い、Hondaに魅せられた本間 博之。四輪の企画や営業などを長きにわたり経験した後、2019年よりライフクリエーション事業本部へ異動しました。Hondaらしさをベースにマネジメントとして多様な人材とともに新たな事業の展開に挑戦する本間の想いに迫ります。

本間 博之Hiroyuki Homma

ライフクリエーション事業本部 新事業推進部 エネルギー事業課

2001年新卒入社。長らく国内外における四輪事業の戦略企画や卸営業などに携わった後、新事業推進部エネルギー事業課の課長に。様々なバックグラウンドを持つ仲間と共に、新規ビジネスであるエネルギー事業を推進する。

模索しかない新規事業。マネジメントのキーワードは“誰のために”

未来を紡ぐ新しいサービスには、必勝法も近道もありません。

ただ、手探りで試行錯誤していくしかない。

それが新規事業の宿命です。

では、そんな事業を率いていくマネジメントは、何をよりどころにすれば良いのでしょう?

やはり、そこにも答えはないのです。

仲間とまっすぐに向き合い、地道に想いと視線のベクトル合わせを積み重ねていくだけ。

但し、何をよりどころとするかは人それぞれが定めるものであり、個性が表れる部分になります。

本間は、2019年4月からこの新たな事業に参画しています。

本間「今後、自動車は電動化がますます加速していくと見込まれています。それは、自動車が主として“輸送手段”としての“モノ”とは異なる価値にフォーカスしていくことに他なりません。これからの時代、自動車は単なる“モノ”ではなく、多様なサービスを取り込んだ“コト”とセットの価値を顧客に提案する存在になるはずです。

私たちも、お客様もまだ知らない付加価値を提案する未来のために、新たなビジネスの可能性を模索していくのが、我々の部署の役割なんです」

新規事業を軌道に乗せるのは、模索の連続でしかありません。

短期的な成果を見出すのが難しいからこそ、ともすればどこへ向かうのかを見失いそうになることもしばしば起こりえます。

それでも、想いをひとつに束ねて進んでいくために、本間は常日頃から“誰のために”というキーワードを掲げています。

本間「ビジネスの文脈で言えば、“何のために”を考えるのはそこまで難しくないと思っています。広く言えば、世の中のため、社会のため。Hondaとしては、利益をあげて企業活動を営んでいくため、となるでしょう。

でも、私が大切にしているのは“誰のために”ということ。たとえば子どもや親、あるいは友人や恋人など身近な存在。自分が大事に思う人なら誰でもいいんです。その人の顔を思い浮かべながら『この人のために何ができるか』と考えると、大変な仕事でもがんばれると思いますから」

理屈よりも、感情、本能。

苦しい時に乗り越えるための力をくれるのは、大切な誰かのためにがんばりたいと思う気持ちなんだ、と本間は考えているのです。

そんな熱き想いがあふれる本間の原点は、いったいどこにあるのでしょうか?

人生を変える一冊との出会いで、Hondaへの情熱に火がついた

ある日、中学生になった本間に母親が手渡した一冊の本。

それが本田宗一郎の著作『わが友 本田宗一郎』でした。

本間「とりあえずページをめくってみて『文字が大きいから読めるかも』と思い(笑)読んでみたら心底感動したんです。こんなに素敵な大人がいるんだ、と。また、Hondaという大企業の創業社長といえば、子ども心にも硬いイメージを抱いていたんですよね。でも、やんちゃなで人間味溢れる逸話にすごく親近感を覚えました。

その後、大学で教員免許を取るんですが、卒業後の進路としては、Honda・教員・起業、全てが第一志望でした(笑)そして、最終的にHondaに決めた理由は、本田宗一郎に心惹かれたからに他なりません。

なぜ、本間はそこまでHondaに、そして本田 宗一郎に心惹かれたのでしょうか?

本間「それは、彼の言葉がとてもストレートに響いたからです。世の中には偉大な創業者が他にも大勢います。だけど、本田 宗一郎の言葉は中学生の私にも心の芯に突き刺さるほどわかりやすく、ダイレクトな強さがある。その言葉は、つらいときの支えにもなってくれました。「自分の本当にやりたいことを思いきりやってみろ」など個を大切にするメッセージの数々や「自動車をつくる会社の経営者が、車の渋滞するような派手な社葬なんかしてはいけない」と人に迷惑を掛けないことの奥深さなど、大変なる感銘を受けました。」

もはやここまでくると理由があって好きなんじゃないんです。『想いが強すぎて、採用するかどうか最後まで悩んだ』と、入社してから言われたほどです」

本間にしてみれば、本田 宗一郎との出会いは人生を進む道しるべであり、その言葉に支えられながら前進してきたと言っても過言ではありません。だからこそ、Hondaへの志望動機を“自分をここまで導いてくれた本田宗一郎への「恩返し」″だと本間は言います。

本間「選考では『Hondaブランドを世界一にしたい』と夢を語りました。Hondaブランドを、日本でさらに磨きあげ、世界にその輝きを広めていきたい。そのために入社してがんばりたい、と」

ちょうど、ビジネスの世界でブランドの価値や重要性に注目が集まり始めた頃のこと。

Hondaにもブランド推進室が発足し、単なる“モノ”以上の価値を重視する潮流が生まれていました。

2001年4月、晴れてHondaに入社した本間はその念願を叶え、国内四輪事業の営業開発室に配属。その後、マーケティングや商品企画、卸営業といった業務に携わっていくことになったのです。

理想と現実のはざまで見つけたもの——40歳を迎え新たな挑戦へ

Hondaには、若手の挑戦を認め、後押しする懐の深さがある。

本間は入社2年目にして、その社風を実感する好機と出会い、体感することになります。

本間「自動車メーカーの業界団体である日本自動車工業会の統計を扱う分科会にHondaの代表として参画しました。従来の自動車統計は生産者視点で分類されており、世間一般から見ると違和感のあるものでした。統計情報は世の中の認識と合わせることが必要であると考え、業界の伝統的な統計基準を刷新することを提案しました。たかが“車の数え方のルール”なのですが、そのルール次第では、メーカー順位が入れ替わる程の影響力があり、長年に亘り手付かずな領域だったのです。

これだけ影響力の大きい取り組みにも関わらず、Hondaでは入社2年目の私が参画している訳ですから、自分よりも20歳近く年長である他社メンバーの方々から驚かれ、『Hondaさんは若手が活躍できていいですね』と言われるんです。

Hondaの自由な社風を客観的に知ると同時に、Hondaのカルチャーへのリスペクトや企業としての注目度、ブランドの重みも痛感しました。そして、改めてHondaを誇りに思い、好きな気持ちが増しました」

ところが、熱意を原動力に突き進む本間にも、挫折を味わう時がやってきます。

それは入社5年目、販売会社へ出向した際の経験です。

本間「実際の販売現場で、お客様にHondaの車を販売するわけですが、Hondaへの情熱だけでは売れない、と思い知らされました。もちろん、Hondaのブランドや商品を好きで買ってくださるお客様も大勢いらっしゃいます。でも、そんな方ばかりではありません。

どんなに情熱を込めて商談をしても、最後の一言は『で、いくら値引きしてくれるの?』なんです。自分の想いを押しつけても、そもそもお客様はそれを求めていない。独りよがりな熱意が販売につながるわけもなく、自分にとっては“現実”という超えられない壁にぶち当たった時期でした」

2000年代半ばの日本国内におけるHonda車の販売は年間60~70万台。
そのお客様のすべてが、私と同じ思いでいる訳ではなく、お客様それぞれに車を買う動機や気持ちは違う、今となっては、当たり前のことだと分かるんですけどね。笑

また、同時に販売現場の厳しさも本間は目の当たりにしました。

本間「確かに、ブランドの価値や世界観は大切です。一方で、販売の現場では1台でも多くのHonda車をお客様にお届けし、1円でも多くの利益を生み出すために日々取り組んでいます。1台、1円へのこだわりを肌で学び、それを現場で実践して頂いているHondaの仲間の努力を痛感しました。」

想いだけでビジネスは動かない。世の中はそんなに甘くない。
これらの経験は、若き日の本間に大いなる示唆を与えてくれました。

そんな経験を礎としながら長きにわたり四輪事業に携わった本間。
40歳を過ぎ、新規事業のマネジメントとして新たなチャレンジに踏み出したのには、ある大きな理由がありました。

多様な仲間が、志をひとつに、次世代に花を咲かせるための環境づくりが私の使命

本間にとって、新事業推進部 エネルギー事業課への異動はある種の恩返しと考えています。

本間「新事業推進部へ異動した2019年、私は41歳になる年でした。これは本田 宗一郎がHondaを創業した年齢なんです。私はそこに大きな意味を感じていて。私は入社以来、これまでHondaの諸先輩方が積み上げてこられた四輪事業に携わらせて頂きました。これからは、自分たちが次世代のために何か新しい事業を生み出し、後世に残す番ではないかと思っているんです。

言うまでもなく、地球レベルの環境や資源の問題。日本国内でも、人口問題や少子高齢化など社会課題は山積しています。これらに対し、Hondaはいかにお役に立つことが出来るか。

まったくの畑違いですが、自分のキャリアや経験、感性を生かし、マネジメントという立場から次世代につなげていきたい。そのために、この先の時間を使いたい。本田 宗一郎が創業したのと同じ年齢になった今こそ、新たな挑戦へ踏み出すときだ、と」

エネルギー事業はHondaにとってもチャレンジングな新規事業です。

本間「エネルギー事業に集うのは、高い志を掲げて多様なバックボーンを持つメンバーばかりです。営業出身もいれば技術出身や購買出身もいて、エネルギー分野からの中途採用者も多数います。年齢も性別も関係なく、唯一共通しているのは、ほとんどのメンバーが新しい社会とHondaをつくりたいという自らの意志で志望してこの部門に異動してきた、ということだけ。

でも、毎日大変なことばかりです。前例がない、誰も答えを知らない事業に挑戦するわけですから。特に、大きな企業の新規事業は既存事業の仕組みを前提として試行錯誤するので、なかなか厳しい見られ方をするのは否めません。

マネジメントとして意識しているのは、そんな日々の中で共に働く仲間が情熱や希望を見失わずモチベーション高く日々の業務を推し進めていけるよう環境をつくることですね。志が高いほどに、現実との落差は大きくなります。まさしく、私がかつて経験したようにね」

本間の持論として、モチベーションは他人から与えられるものではなく、ひとりひとりが自分自身の中で育むものだ、という発想があります。

花を咲かせる力は、ひとりひとりのうちにしかない。

でも、水や肥料をあげたり、光を当てたり環境をつくることは他人でもできる。

それこそがマネジメントの役割だと、本間は自認しています。

本間「単に10年後に利益を出せる新事業を企画したいなら、外部のコンサルタントを雇うという方法もあります。でもあえて我々がやるのはなぜか?それは、Hondaで働く仲間と共に、Hondaというフィールドのなかで、Hondaの文化を通じて新たな事業を育むことにこそ意味があるからだと思うんです。それが、私にとっては本田宗一郎への恩返しでもあるんです。」

だから、本間は仲間との日々のコミュニケーションでもHondaの理念をベースに定義を確認し、共通言語を育て、語り合える組織をめざしています。

その先に新たな事業を通じ、新たな価値が生まれ、やがて人々のお役に立てるサービスが実現出来るはずだと信じて。

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