この年からMotoGPクラスでは再びレギュレーション変更があり、シーズンを通して使用できるエンジンが6基に制限されたことにより、各チームは冬季のテストでパフォーマンスと耐久性の両立に取り組んだ。Hondaは特に出力を落とさずに耐久性を向上させるという課題に挑み、ほぼ新設計ともいえるニューエンジンを完成させたのだった。
そのポテンシャルはシーズン序盤から発揮され、日本GPまでの13戦を終了した時点で、優勝4回、ポールポジション4回、ファステストラップが7回という、例年にない戦績を実現。Repsol Honda Teamのダニ・ペドロサ、アンドレア・ドヴィツィオーゾのどちらかが、常に表彰台に上るシーズンとなっていた。
特に第8戦で2勝目を挙げ、第11戦、第12戦で2連勝したペドロサはシーズン後半で高い安定感を実現しており、予選トップからファステストラップをたたき出して独走優勝というパターンに加え、トップを追い上げて優勝を奪うというパターンも実現。シリーズは、ほぼペドロサとヤマハのホルヘ・ロレンソが優勝を分け合う形で進んでいた。
第13戦終了時で、ペドロサはロレンソに56ポイントの差をつけられたランキング2位。転倒による2つのノーポイトが惜しまれるものの、残り5戦での逆転の可能性を追い続ける、さらにドヴィツィオーゾがランキング3位で後ろに控えている。これは、800cc4年目に訪れた好機だった──そんな、シチュエーションで、この年の第14戦日本GPは開催された。
本来は、4月の第2戦に予定されていた日本GPは、アイスランドの火山噴火の影響により、10月の第14戦に延期されていた。これによって、シーズン終盤にさしかかっての激しいチャンピオン争いが期待され、あるいはRC212Vの日本における初勝利も期待できると思われた。
だが、しかし。先が見えないのがレースの常である。注目を集めたペドロサは、なんと初日のフリー走行で転倒、鎖骨を骨折してしまいあっけなく戦列を去ってしまったのだ。
代わってRC212Vのポテンシャルを証明したのは、ポールポジションを獲得したドヴィツィオーゾだった。これが、MotoGPクラスで自身初のポールポジションであり、このあとにはヤマハのバレンティーノ・ロッシ、ドゥカティのケーシー・ストーナー、ロレンソが、0.205秒差に並ぶというまれに見る大接戦の結果だった。
決勝は、そのドヴィツィオーゾとストーナーが好スタートを切り、この2人が一気に後続のライダーを引き離すペースで周回を重ね、序盤にして早くも一騎打ちが展開されることになった。
逃げるストーナーを追うドヴィツィオーゾ。終盤まで続いた追走劇だったが、結果的にドヴィツィオーゾはタイヤの消耗もあってややペースを落としてしまい、ストーナーは一度もトップの座を譲ることなくそのまま逃げきりに成功したのである。ドヴィツィオーゾは約3秒8遅れての2位。
「序盤からプッシュしたが、今日のケーシーは速かった。タイヤの温度が十分に上がらず、ケーシーのペースが速かったので、今日は厳しい戦いになると思った。優勝を狙っていたし、2位という結果は少し残念だが、表彰台に立ててうれしい」と、日本で好結果を残したドヴィツィオーゾ。
そこから、2秒ほど遅れての3位はロッシ。実はトップ争いの後方で、ロッシとロレンソのヤマハ同士による激しい3位争い展開された。序盤に先行するロレンソをロッシが捕えると、最終ラップまでテール・トゥ・ノーズの戦いを続け、最後はロッシがロレンソを抑え切ったのだった。
また、マルコ・シモンチェリ6位、MotoGPにステップアップした青山博一が10位となるなど、出場したHonda勢の5選手すべてがポイントを獲得した。
2戦連続で4位でゴールしたロレンソだったが、ペドロサの欠場でチャンピオン争いの状況はかなり有利になっていた。実質的にはここでタイトルの行方は決まったといってもいいだろう。
その後、第16戦までペドロサは欠場。ドヴィツィオーゾは上位を走り続け、ランキング5位でフィニッシュ。最終戦でケガを押して出場したペドロサは7位でフィニッシュし、シリーズランキング2位を死守した。
この年からスタートしたMoto2クラスは、Hondaの市販車であるCBR600RRをベースに開発した専用エンジンが全チームに供給され、タイヤもUKダンロップのみを使用するというワンメイクのレースとなった。
これにより、日欧の多くのフレームビルダーやマシンコンストラクターが参戦。日本からはモリワキとTSR、ヨーロッパからはスッターやFTR、Tech3が、さらにはビモータやハリスもマシンを投入するなど、このクラスの見どころの1つとなっている。
ライダーも250と125の両クラスから流れ込んでおり、開幕戦から40台を超えるマシンがグリッドに並んだのである。その中で注目された日本人ライダーは高橋裕紀と富沢祥也だった。そして、開幕戦を制したのはGP参戦2年目の富沢であり、続く第2戦でも2位に入るという活躍を見せ、世界中のレースファンの注目を集めることになった。
中盤戦になると、ト二・エリアスが3連勝を飾るなど、チャンピオンシップを一歩リードする。だが、第12戦ではエリアスが4連勝目を挙げるものの、決勝レース中に転倒した富沢が後続車にひかれ帰らぬ人となってしまったのだ。
そこまで、優勝を含む2度の表彰台、2回のポールポジション、82ポイント獲得。シーズンの中心人物の一人と目された富沢は、わずか19歳だった。その、あまりにも早すぎる夭逝は大きな悲しみを生んだ。シリーズランキング13位、彼の着けたゼッケン48はこのクラスの永久欠番となった。
そして、悲劇を乗り越える形で開催された日本GP。マシン性能が拮抗しているこのクラス、予選はトップから1秒以内に16台が並ぶという大激戦となり、フリアン・シモンがポールポジション、2番手にはスコット・レディング、高橋が3番手に並んだ。
決勝では高橋が好スタートを切ったが、すぐにエリアスとシモンが高橋をかわす。この2台は、周回を重ねるごとに3番手以下との差は広げながら、テール・トゥ・ノーズのトップ争いを展開し、サーキットをわかせた。
なんとかエリアスをかわしたいシモンは執拗にチャージを続けるが、エリアスは最後までトップを譲ることなくゴールした。シモンは0.3秒差の2位でゴール。3位はそこから10秒近く遅れたカレル・アブラハム。序盤、3位を走っていた高橋は、15周目にアレックス・デ・アンジェリス、さらにアブラハム、スコット・レディングに抜かれての6位に終わる。
独走するトップ2台の後方では激しいポジション争いが展開され、4位のデ・アンジェリスから8位のトーマス・ルティまで、僅差でゴールになだれ込んでくるという見応えのあるレースとなった。
なお、日本GPでの7勝目を「富沢に捧げる」とコメントしたエリアスは、次のマレーシアGPで初代Moto2チャンピオンを獲得した。
1位 | マルク・マルケス | デルビ | 39分46秒937 |
2位 | 二コラス・テロール | アプリリア | 39分49秒549 |
3位 | ブラッドリー・スミス | アプリリア | 39分55秒333 |
4位 | ポル・エスパルガロ | デルビ | 40分05秒810 |
5位 | アルベルト・モンカヨ | アプリリア | 40分18秒910 |
6位 | エステベ・ラバト | アプリリア | 40分19秒076 |
7位 | ダニー・ウェッブ | アプリリア | 40分33秒653 |
8位 | ルイス・サロン | アプリリア | 40分36秒381 |
9位 | アンドレア・マーティン | アプリリア | 40分36秒804 |
10位 | ヨハン・ザルコ | アプリリア | 40分42秒849 |
1位 | トニ・エリアス | モリワキ | 43分50秒930 |
2位 | フリアン・シモン | スーター | 43分51秒245 |
3位 | カレル・アブラハム | FTR | 44分00秒769 |
4位 | アレックス・デ・アンジェリス | モトビ | 44分01秒108 |
5位 | スコット・レディング | スーター | 44分02秒167 |
6位 | 高橋裕紀 | テック3 | 44分03秒708 |
7位 | ステファン・ブラドル | スーター | 44分08秒214 |
8位 | トーマス・ルティ | モリワキ | 44分08秒822 |
9位 | ロベルト・ロルフォ | スーター | 44分10秒165 |
10位 | アレックス・デボン | FTR | 44分10秒498 |
1位 | ケーシー・ストーナー | ドゥカティ | 43分12秒266 |
2位 | アンドレア・ドヴィツィオーゾ | Honda | 43分16秒134 |
3位 | バレンティーノ・ロッシ | ヤマハ | 43分17秒973 |
4位 | ホルヘ・ロレンソ | ヤマハ | 43分18秒487 |
5位 | コーリン・エドワース | ヤマハ | 43分39秒358 |
6位 | マルコ・シモンチェリ | Honda | 43分42秒287 |
7位 | アルバロ・バウティスタ | スズキ | 43分44秒092 |
8位 | ベン・スピーズ | ヤマハ | 43分47秒838 |
9位 | ランディ・デ・ピュニエ | Honda | 43分59秒830 |
10位 | 青山博一 | Honda | 44分01秒864 |