1999年の日本GPはツインリンクもてぎで初開催され、翌2000年から03年まではシーズン序盤は鈴鹿で日本GP、終盤にはもてぎでパシフィックGPと、ちょうど20世紀から21世紀をまたぐ形で、年2回のGPレースが日本で開催された(04年からはシーズン後半にもてぎで日本GPが開催される事となり、現在に至っている)。そんな時期に、GPの世界でも大きな変化があった。
最上位クラスのGP500(92~96年の名称はGP1)は、それまでの2ストローク500ccから、4ストローク990ccにエンジンを変更し、02年から新たにMotoGPというカテゴリーで行われることになったのだ。
環境問題やコスト削減、あるいは高出力の抑制という目論見を持って実施されたこの変更は、その後のGPにおける大きな変革につながっていく。変更当初は従来の2ストロークマシンとの混走となったが、予想以上にMotoGPマシンのポテンシャルは高く、結局2ストローク勢はHonda NSR500の加藤大治郎による02年の2位入賞を最高位にその役割を終えている。
実質的に2ストロークの最終年となった01年は、開幕戦日本GPでHondaが3度目の日本GP全クラス制覇を達成すると同時に、1959年のGPレース活動開始から通算でGPにおける500勝を達成した。125ccで優勝した東 雅雄が498勝目、250ccで優勝した加藤が499勝目、そして前年から500ccに乗り始めたバレンティーノ・ロッシがNSR500で優勝し、記念すべき500勝を日本の地でマークしたのである(このレースも、ライバルであるビアッジとの極めて激しいマッチレースとなった)。
そのロッシこそが、MotoGPによる新たな時代を築き上げるスーパースターとなる。ロッシは95年にイタリア選手権125でチャンピオン、ヨーロッパ選手権125ランキング3位の成績で、96年にGP125にデビューし早くも1勝を挙げた鳴り物入りのライダーだった。97年にGP125チャンピオン、99年にGP250チャンピオンを獲得し(ともにアプリリア)、2000年からHondaでGP500にステップアップした。
優れた学習能力や適応性を備えたライダーとして高い評価を得ていた彼は、125、250ccともに参戦2年でチャンピオンを獲得したように、500ccでも2000年を学習のシーズンとすると、HondaのGP500勝を決めた01年は年間11勝という快進撃を続け、2ストローク500ccマシン最後のチャンピオンを獲得したのである。
02年、MotoGP開幕戦の鈴鹿には、Honda、ヤマハ、スズキ、アプリリアの4ストロークマシンが登場した。中でもHondaはおおよそ2年を費やしてMotoGPマシン=RC211Vを開発し、V型5気筒という変則的なレイアウトのエンジンを核に高出力と扱いやすさの両立を目指してきた。
観客の興味は2ストローク500ccマシンとの性能差であったが、予選が始まってみるとMotoGPマシンが圧倒的なスピードを実現していたことはすぐに証明された。8位までが2分4秒台という驚異的なタイムを記録し、その上位8台に5台のMotoGPマシンが並んだのだ。
MotoGPマシンは1位ロッシ、3位伊藤真一(ともにRC211V)、4位カルロス・チェカ、5位ビアッジ(ともにヤマハYZR-M1)、7位スズキGSV-Rの梁 明。2ストロークでは、2位と6位にHonda NSR500のカピロッシと加藤が、8位にヤマハYZR500のジャックという結果だ。
中でもロッシのスピードは群を抜いており、予選一回目以外の全ての走行セッションでトップタイムをマーク。2回の予選セッションでともに転倒していながらもニューマシンでトップを奪ったロッシは、誰をも驚かすに十分な才能を証明した。
そして決勝レースはコースに水が流れるほどの雨模様となり、2ストロークよりグリップ性能で有利といえる4ストロークのMotoGPマシンでも、その高出力の扱いに微妙なコントロールを求められる条件となったのである。
そんな状況下でスタートから飛び出したのは、スズキGSV-Rの開発ライダーを担っていた梁であり、やはりRC211Vの開発ライダーだった伊藤だった。これにジャック、ロッシ、チェカ、GSV-Rのセテ・ジベルノーらが続く。雨の鈴鹿で、日本人開発ライダーを外国のライダーが追う展開は、1987年の日本GPを思い出させる光景だったが、この時も日本人が逃げきって優勝することへの期待も膨らんだ。
しかし、レース中盤にはロッシは伊藤をパス、さらに雨とは思えない勢いで追い上げるジベルノーも伊藤を抜き去り、梁とロッシを追う。が、ジベルノーはその後大転倒し、代わってチェカが伊藤を追い上げる。結局、逃げきろうとする梁を後方から冷静に観察し、レース終盤でこれを抜き去ったロッシは、徐々に差を広げながら記念すべきMotoGPでの最初の優勝を記録した。2位は梁、3位には伊藤をかわしたチェカと、表彰台は4ストロークが独占。2ストローク最上位はヤマハYZR500に乗る阿部典史の5位となった。
雨になったニューマシンのデビューレースでも狙いすましたようにトップを奪い、その才能とプロフェッショナルらしさを見せつけたロッシは、この勝利で国内外の評価を不動のものとしたといってもいいだろう。
しかも、後に分かったのは、ロッシは雨のテストをしていなかったどころか、日本GPではRC211Vの雨用制御プログラムが未完成のままで、ドライ用プログラムで走っていたということだった。そんなロッシは、この年、タイヤトラブルで1戦のみリタイアしたものの、全16戦中優勝11回・2位4回という圧倒的な結果で初代MotoGPチャンピオンに輝き、03年、04年 (この年からヤマハ)、05年、08年、09年にもチャンピオンとなり、今日までGPの王座に君臨し続けている。
1位 | アルノー・バンサン | アプリリア | 46分22秒971 |
2位 | ミルコ・ジャンサンティ | Honda | 46分24秒135 |
3位 | マニュエル・ポッジアリ | ジレラ | 46分25秒529 |
4位 | 上田 昇 | Honda | 46分26秒450 |
5位 | シモーネ・サンナ | アプリリア | 46分33秒159 |
6位 | 青山周平 | Honda | 46分46秒027 |
7位 | アンヘル・ロドリゲス | アプリリア | 46分56秒459 |
8位 | ダニ・ペドロサ | Honda | 46分57秒256 |
9位 | ルーチョ・チェッキネロ | アプリリア | 47分10秒275 |
10位 | ジーノ・ボルゾイ | アプリリア | 47分24秒741 |
1位 | 宮崎 敦 | ヤマハ | 47分09秒454 |
2位 | 酒井大作 | Honda | 47分16秒395 |
3位 | ランディ・デ・ピュニエ | アプリリア | 47分38秒474 |
4位 | エミリオ・アルツァモーラ | Honda | 47分54秒754 |
5位 | セバンスチャン・ポルト | ヤマハ | 48分04秒179 |
6位 | 松戸直樹 | ヤマハ | 48分10秒026 |
7位 | 亀谷長純 | Honda | 48分11秒741 |
8位 | ロベルト・ロルフォ | Honda | 48分27秒736 |
9位 | アレックス・デボン | アプリリア | 48分28秒831 |
10位 | フランコ・バッタイニ | アプリリア | 48分40秒935 |
1位 | バレンティーノ・ロッシ | Honda | 49分32秒766 |
2位 | 梁 明 | スズキ | 49分34秒316 |
3位 | カルロス・チェカ | ヤマハ | 49分41秒119 |
4位 | 伊藤真一 | Honda | 49分43秒595 |
5位 | 阿部典史 | ヤマハ | 50分05秒025 |
6位 | アレックス・バロス | Honda | 50分12秒399 |
7位 | 青木宣篤 | プロトンKR | 1Lap遅れ |
8位 | レジス・ラコーニ | アプリリア | 1Lap遅れ |
9位 | ロリス・カピロッシ | Honda | 1Lap遅れ |
10位 | 加藤大治郎 | Honda | 1Lap遅れ |