Hondaの多気筒化戦略は成功し、1964年の125ccでは好成績を収めスズキからライダー、メーカーともにタイトルを奪還した。しかし、ライバルの進化も著しく、125ccではスズキが水冷化したRT63改を、ヤマハも水冷2気筒のRA75を投入しており、Hondaの4気筒は序盤のマン島T.T.で2位を得た以外は最終戦の日本GPまで上位入賞さえ困難な状況で、1961年の第1戦の優勝以来、初めてシーズンを通じて優勝がないという屈辱のシーズンとなった。この年の125ccのライダー&メーカータイトルは早々とスズキが獲得している。
そして、1965年10月23日~24日。最終戦・日本GPのパドックに現われたHondaの新型125ccマシンは、誰をも驚愕させた。RC148と呼ばれたそのマシンは、それまで二輪で使われたことのない空冷4ストローク5気筒DOHCエンジンを搭載していたのだ。
このエンジンは前年に登場した250cc6気筒同様、Hondaの独創的なアイデアであり、直接には50cc2気筒をベースにそれを2.5倍した発想から生まれていた。高性能化する2ストロークへの対抗策として一層の出力向上と多気筒化を具現化したものであり、最高出力は34ps/20,500rpm、リッターあたり270psに到達していた。
このRC148を駆ったルイジ・タベリは、9段ミッションの新型マシン、RT95をこの日本GPで投入してきたスズキ勢を退け予選でポールポジションを獲得。決勝でも序盤からトップを快走し、一時は2位のスズキに7秒もの差を築き上げた。
結果的にはガスケットの吹き抜けが起こり、徐々にスピードを鈍らせてしまい2位に終わったものの、ライバルのスズキも最高出力30psを超えたとされていた中、新型マシンのポテンシャルは十分である事を証明した。
前年に6気筒マシンをデビューさせた250ccでも、Hondaは苦戦していた。熟成された2気筒のRD56、そして水冷V型4気筒のRD05を投入したヤマハ勢に対し、Hondaの6気筒は13戦中4勝にとどまり、2年連続でタイトルをヤマハにあけ渡していたのだ。
2シーズン目の6気筒、当初は不調が続いた2RC165の性能も安定した後は決してライバルに劣らなかったが、シーズン後半でHondaのエースライダーだったレッドマンが転倒・負傷し数戦を欠場してしまった事が大きく響き、この年はヤマハとリードのコンビが250ccで2連覇を達成している。
鈴鹿における1960年代最後のGPとなったこの日本GPでは、Hondaは天才ライダーの呼び名も高いマイク・ヘイルウッドを250ccで再び起用。決勝は、予選でそのスピードを見せつけたヤマハ勢が転倒やトラブルで戦列を去り、2位に2分近い差をつけたヘイルウッドをトップにHonda勢が上位を完走する展開となり、前年同様に6気筒マシンの完全制覇となった。
レッドマンの転倒とヘイルウッドの存在は350ccクラスにも影響していた。この年の西ドイツGPで新型3気筒DOHC4バルブマシンをデビューさせたMV Agustaが、レッドマンが欠場した間にポイントを重ね、日本GPにチャンピオン決定を持ち込んだのである。しかもヘイルウッドは、350ccではジャコモ・アゴスチーニに続くMVのライダーだった。
このレースでアゴスチーニが優勝しへイルウッドが2位、レッドマンが3位以下になるとメーカー&ライダーチャンピオンはMVに、レッドマンが2位に入ればタイトルはHondaのものにという際どい状況の中、アルトロ・マーニに率いるMVチームは4台の350ccレーサーを鈴鹿に空輸し万全の体勢で臨む。予選からMVの速さは圧倒的だった。
しかし、決勝はスタートから飛ばしたアゴスチーニが電気系トラブルで後退。それまでレッドマンを牽制していたへイルウッドが代ってトップに立つと、そのままゴールまで走り切って優勝。2位となったHondaとレッドマンはポイント上でMVと同点、優勝回数の多さで辛くもタイトルを獲得したのである。
もうひとつ、50ccクラスでもチャンピオン争いがこの日本GPに持ち込まれていた。このシーズン用に熟成されたRC115=2気筒DOHC4バルブは、13.6ps/20,500rpmというスペックを誇り、このクラスの王者・スズキの水冷2気筒=RK65を凌ぐほどのポテンシャルを実現していた。
シリーズ8戦目となるこの日本GPで、Hondaのラルフ・ブラインズは4位以上になればライダーチャンピオン獲得、メーカーチャンピオンはこのレースで優勝したメーカーのものになるという状況だった。
ここで、スズキはHondaのタイトル獲得を阻止するためもあって、エースのアンダーソンを筆頭に、伊藤光夫、藤井敏男、市野三千雄、そしてこのレースでクライドラーから乗り換えてきたハンス・ゲオルグ・アンシャイトの5台体勢でエントリー。対するHondaはタベリ、ブライアンズ、谷口尚己、伊藤晶の4台、これに水冷2気筒のBridgestone3台が加わった計12台という、シーズン最多のエントリー台数を記録した。
予選ではタベリを僅差で下したアンダーソンがポールポジション獲得。決勝は序盤にタベリ、ブライアンズ、藤井がトップ争いを展開。途中で藤井が転倒すると、その後最速ラップを叩き出しながらアンダーソンがトップグループに追いつき、トップ争いを演じるも最終ラップで転倒。Hondaはタベリとブライアンズの1-2フィニッシュという完ぺきな形で、初の50ccライダー&メーカーチャンピオンを獲得した。
1位 | ルイジ・タベリ | Honda | 39分23秒3 |
2位 | ラルフ・ブライアンズ | Honda | 39分23秒4 |
3位 | 伊藤 光夫 | スズキ | 39分45秒5 |
4位 | ハンス・ゲオルグ・アンシャイト | スズキ | 40分01秒2 |
5位 | 市野三千雄 | スズキ | 40分32秒7 |
6位 | 伊藤 晶 | Honda | 41分04秒7 |
最速ラップ 2分46秒2 ヒュー・アンダーソン スズキ
1位 | ヒュー・アンダーソン | スズキ | 52分19秒2 |
2位 | ルイジ・タベリ | Honda | 52分33秒7 |
3位 | ラルフ・ブライアンズ | Honda | 53分01秒9 |
4位 | ビル・アイビー | ヤマハ | 53分07秒1 |
5位 | 矢沢 康晴 | Honda | 53分09秒2 |
6位 | 松島 宏典 | ヤマハ | 54分37秒7 |
最速ラップ 2分34秒3 ルイジ・タベリ Honda
1位 | マイク・ヘイルウッド | Honda | 1時間01分49秒1 |
2位 | 粕谷 勇 | Honda | 1時間03分21秒9 |
3位 | ビル・アイビー | ヤマハ | 1時間03分35秒6 |
4位 | 山下 護祐 | Honda | 1時間04分16秒6 |
5位 | 長谷川 弘 | ヤマハ | 1周遅れ |
最速ラップ 2分31秒2 マイク・ヘイルウッド Honda
1位 | マイク・ヘイルウッド | MV Agusta | 1時間03分33秒2 |
2位 | ジム・レッドマン | Honda | 1時間03分42秒3 |
3位 | 粕谷 勇 | Honda | 1時間05分33秒0 |
4位 | 山下 護祐 | Honda | 1周遅れ |
5位 | ジャコモ・アゴスチーニ | MV Agusta | 1周遅れ |
6位 | ビル・スミス | Honda | 1周遅れ |
最速ラップ 2分34秒3 ルイジ・タベリ Honda