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『最後の王者を目指して』青山博一の挑戦〜後編〜

2009年11月8日。最後の王者、誕生

最終戦の第17戦バレンシアGPを前に、2009年のチャンピオン争いは青山博一とマルコ・シモンセリの2名に絞られた。2人のポイント差は21点。青山は、シモンセリのリザルトに関わらず11位以内でフィニッシュすればよい。シモンセリは、必ず優勝して、しかも青山が12位以下にならなければチャンピオンを獲得できない。青山の09年シーズンのワーストリザルトは第4戦フランスGPの8位。圧倒的に青山に有利な状況だ。

前戦のマレーシアGPが終了した段階で、シモンセリは「これで今シーズンのチャンピオン争いはほぼ終わったといっていいだろう」と事実上の白旗宣言をしていたが、やはり完全にあきらめたわけではない。ほんのわずかでも可能性があれば、それを狙いにいくのはスポーツマンとして当然の本能であり、義務でもあるだろう。最終戦のレースウイークに入って、シモンセリは「今回は優勝しか狙わない」と公言し、フリープラクティスから一貫して、本来の安定した速さを披露し続けた。

土曜午後の予選でシモンセリは2番手だったが、ポールタイムを記録した選手が負傷して日曜の走行をキャンセルしたために、グリッドは1つ繰り上がり、ポールポジションから決勝レースを迎えることになった。5番手タイムだった青山も、1つ上げてフロントロー4番グリッドからのスタートになった。

第17戦バレンシアGP
第17戦バレンシアGP

午後12時16分、レーススタート。スタート直後の混乱した状態を経て5〜6周が経過すると、トップグループはバルベラ、青山、バウティスタ、シモンセリといったいつもの顔ぶれが占めていた。

「明日は大事なレースだけど、ゴールを目指すよりも勝ちを目指して走りたい」レース前に青山が語った決意を、地元スペインの新聞はこんな見出しで飾った。<攻撃は最大の防御>。シモンセリについてもそれは同様だった。勝っても、チャンピオンにはなれないかもしれない。しかし、勝たなければチャンピオンの目がない。

シモンセリ、青山、バルベラ、バウティスタのトップグループがめまぐるしく順位を入れ替える。そして、10周目の1コーナーでアクシデントが発生した。

ブレーキング勝負でコーナー奥まで突っ込みすぎた青山が曲がりきれず、コースアウト。グラベルに突っ込んだバイクはフロントを大きく震わせる。

「絶対に転んじゃいけない」

必死にバイクをコントロールした青山は転倒をまぬがれ、コースに復帰。しかし、その頃トップ集団はすでに遠くに離れてしまっていた。

第17戦バレンシアGP

青山は11番手まで大きく順位を落としていた。自ら落ち着くように言い聞かせ、現状の位置を把握してからは少しずつペースを上げ、10位、9位、と順位を上げていった。

7番手まで順位を回復し、周回を重ねていく過程の21周目、もうひとつのアクシデントが発生した。シモンセリがトップグループから抜け出て独走態勢に入ろうとしていた矢先、2コーナーでフロントを切れこませて転倒。そのままリタイアとなった。

この瞬間、青山のチャンピオンが確定した。シモンセリが転倒する姿を見た青山は、100%チャンピオン獲得を確信したものの、それでもレースを終えてチェッカーを受けるまでリラックスはできなかったという。

「もし(自分が)転倒してもチャンピオンは確定だけれども、ここまで自分を支えてくれたみんなのためにも最後までしっかりと走りきらなければならないと思ったし、バイクを綺麗な形でピットボックスまで届けたかったから」

全27周のレースを終え、午後1時00分38秒、青山博一は2009年250ccクラスチャンピオンとしてチェッカーを受けた。原田哲也(1993)、加藤大治郎(2001)に次ぐ同クラス3人目の日本人チャンピオン誕生の瞬間だ。

第17戦バレンシアGP
第17戦バレンシアGP

第17戦バレンシアGPの決勝日は、1949年6月17日にマン島でロードレース世界選手権250ccクラスの最初のレースが行われてから716回目の決勝レースにあたる。そしてこの日、11月8日は、250ccクラスのレースが行われる最後の日でもあった。来シーズンからこのクラスは4ストローク600ccエンジンを搭載したMoto2クラスへ取って代わる。青山は、250ccクラスのレースが行われる最後の日に、史上最後のチャンピオンとしてチェッカーを受けたのだ。

「自分自身のコースアウトの衝撃やシモンセリの転倒などがあり、一度どん底を見てそこから戻ってきた今日のレースは一生忘れられない。チャンピオン獲得は簡単ではないんだぞ、と神様が僕たちにいたずらをしたのかもしれませんね」

レース後に安堵の笑みを浮かべる青山は、そんなふうに波瀾万丈のレースを振り返った。

「家族や友人、チーム、そして周囲の方々の支えがあったからこそ、自分はここまで走り続け、チャンピオンを獲得できた。昨年、所属していたチームの撤退でもう走れなくなるかもしれない状況になったときには、Hondaやグランプリ関係者の方の尽力で今のチームに入ることができ、今年も継続参戦するチャンスを与えてもらった。WGP参戦50周年という記念の年にチャンピオンを獲得できたのは、Hondaへの恩返しにもなったと思います」

第17戦バレンシアGP

09年シーズンも終盤に差しかかったある日、ダニ・ペドロサがこんなことを言っていた。

「ヒロには、チャンピオンを取ってMotoGPクラスへ上がってきてほしいんだ」

ペドロサと青山は、青山が「Honda Racingスカラーシップ」第1期生として04年にグランプリ参戦を開始したときのチームメートで、以来2人は公私ともに気の合う友人として親交を深めている。

「チャンピオンを獲得する選手ならきっと誰かがシートを提供してくれるし、それがフェアなありかただと僕は思う。歴代の250ccクラスチャンピオンは、そうやって最高峰に上がってきたんだ。僕を含めてね。ヒロがチャンピオンを獲得できる可能性は、かなり高いと思う。彼が勝てるよう、僕も指をクロスして祈っているよ」

ペドロサの祈りが通じ、250cc最後の王者となった青山は、来シーズンからMotoGPクラスに参戦することが決定している。所属チームは、インターウィッテン・ホンダ・MotoGP。04年に出会って互いに切磋琢磨してきた2人は、2010年、世界最高峰の場でライバルとして再び相まみえる。




青山博一 Hiroshi Aoyama 5歳からポケバイに乗り始め、15歳でミニバイク関東選手権チャンピオンを獲得。2000年から全日本選手権250ccクラスに参戦して、03年にシリーズチャンピオンを獲得した。翌04年からHondaの日本人若手ライダー育成制度「Honda Racing スカラーシップ」の第1期生として世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始。05年の日本GPではクラス初優勝を飾って総合4位となった。2年間のスカラーシップ卒業後も250ccクラスで活躍、09年は4年ぶりにHondaライダーに復帰して、念願のシリーズタイトル獲得に挑む。

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