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『最後の王者を目指して』青山博一の挑戦〜後編〜

2008年マレーシア。選手生命終了の危機

第16戦マレーシアGPは、オーストラリアから2週連続での開催となる。冬のような気候から灼熱の熱帯へ。正反対の気候へ一気に移動するため、体調を崩さないようにうまく身体を順応させることも、選手たちには重要な課題となる。とはいえ、オーストラリアとマレーシアは連続開催が通例になっているため、参戦年数の長い選手にしてみれば体調の維持はある意味で織り込み済みの事柄でもある。

青山にとっても、フィリップアイランドからセパンへの移動にともなうコンディション調整は、慣れ親しんだルーチンワークといっていい。ただ、昨年のマレーシアGPでは、気候変化うんぬんどころではない、青山の選手生活を揺るがす大きな出来事があった。レースを前に、所属していたチームが2008年シーズンいっぱいで250ccクラスから撤退すると決定したのだ。それはまさに、寝耳に水という言葉がふさわしい突然の発表だった。

青山が撤退の事実を知らされたのは、マレーシア入りする直前だったという。前戦のオーストラリアGPでは、レースはマシントラブルによるリタイアを余儀なくされたものの、翌09年の契約更改に向けてチームとの間で基本的な合意に達しており、安心した気持ちでサーキットを後にしていた。しかし、その数日後に急転直下の報せを受け、最悪の気分でマレーシア入りした、と青山は振り返る。

残るレースは、マレーシアとバレンシアの2戦。これからシート探しをしようにも、有力チームはすでに来季の選手を決定している。さらに悪いことには、顕在化しつつある世界不況の波がパドックにも押し寄せており、いくつものチームやスポンサーが09年の参戦を次々と断念しはじめていた。

3日間のレースを2回、つまりあと6日間でグランプリ生活が終わってしまうかもしれないという立場に追い込まれた青山は、「今の自分にできるのは、いいパフォーマンスを見せることだけ。走りで自分の存在をアピールし、来季のシートを獲得できるようにしたい」と悲壮な決意で走り、ポールポジションを獲得した。

「ダニ(ペドロサ)も、バレンティーノ(ロッシ)も、来シーズンはどうするんだと聞いてきてくれた。けれど、現状では何も決まっていない」そんな状況の中、決勝レースでは優勝を争い、2位で終えた。

「来年(09年)もここに残って、チャンピオン争いのできる態勢で走れるようにしたい。残りは1戦しかないけれど、何かが起こる可能性を願って最後まであきらめずに戦います」

そう言って、青山は最終戦のバレンシアへと向かった。スコット・レーシングチームからの参戦が決定したのは、それから約2カ月が経過した12月のことだった。

青山博一

パーフェクトウイン