Into The World
1959年から

1954年、創業者である本田宗一郎のマン島TTレース出場宣言から始まったHondaの世界への挑戦。その歴史の中では、数多の日本人ライダーが最高峰の舞台に挑み、栄光の時を刻んできた。そして今なお、“夢”をつかみ取ろうと日本人ライダーが世界を駆け抜けている。

1959
日本人ライダーの軌跡

Hondaが初めて世界に挑戦したマン島TTレース(125cc)で谷口尚己が6位入賞。日本人ライダーが世界の扉を開いた瞬間だった。

1961
日本人ライダーの軌跡

5月14日、西ドイツ大会で高橋国光が日本人ライダーとして世界選手権(250cc)初優勝の快挙。続く、フランス大会では3位表彰台に登壇し、日本人ライダーの実力を示す。この年のチャンピオンシップでは4位。

1962

高橋国光が世界選手権(125cc)でスペイン大会、フランス大会と連勝。また、田中楨助がイタリア大会で日本人2人目の勝利を挙げる。

1966

Hondaが最高峰クラス(当時500cc)に初挑戦。

1968

2月、Hondaがロードレース世界選手権の活動から撤退。

1979

11年ぶりにHondaがロードレース世界選手権の活動を再開。

1982

8月7日、スウェーデン大会の500ccクラスに出場した片山敬済がHonda NS500で予選3番手からトップでチェッカーを受ける。

1987
日本人ライダーの軌跡

3月29日、20年ぶりに日本GPが開催。鈴鹿での開催は1965年以来22年ぶりとなった。250ccクラスで、Honda NSR250を駆る小林大がワイルドカード参戦で勝利を挙げる。

1991
日本人ライダーの軌跡

初投入から4年“GP125はRSじゃないと勝てない”と言われるほどの圧倒的な成績を残したRS125Rは、日本人ライダーが世界選手権の参戦の足がかり的な存在となっていた。そして、1991年開幕戦日本GP(125cc)にワイルドカードで出場した上田昇がRS125Rを駆り、ポール・トゥ・ウインという衝撃的なデビューを果たす。速さを認められた上田はフル参戦を決める。5月12日のスペイン大会では2度目のポール・トゥ・ウイン。シーズン中のポール獲得は4度というルーキーらしからぬ活躍をみせる。

1992

日本GP(250cc)にTeam HRCよりスポット参戦した岡田忠之が2位、カップヌードル・ホンダの青木宣篤が3位と表彰台に登壇。

1994
日本人ライダーの軌跡

4月24日に開催された鈴鹿での日本GP(250cc)でカネモト・ホンダの岡田忠之が優勝。宇川徹が3位入賞と日本人ライダーが活躍をみせる。

1995
日本人ライダーの軌跡

「青木三兄弟」の三男である青木治親が全13戦中7勝という圧倒的な速さで125ccクラスのチャンピオンに輝く。青木治親は翌96年も125ccクラスに参戦し、2年連続でのタイトル獲得を果たす。また、95年日本GPの125ccでは、1位から6位までが日本人ライダーとなり話題となった。

1997

日本GP250ccクラスに加藤大治郎がスポット参戦で勝利。世界戦デビューとなった前年の3位から大きな躍進を遂げる。加藤大治郎はこの年の全日本ロードレースGP250クラスでチャンピオンに輝く。

1998
日本人ライダーの軌跡

加藤大治郎が2年連続で日本GP250ccクラスを制する。この大会では、中野真矢(ヤマハ)、松戸直樹(ヤマハ)、原田哲也(アプリリア)といった日本人ライダーとのし烈なトップ争いを繰り広げ、会場を盛り上げる。

2000
日本人ライダーの軌跡

日本人ライダーによる日本GP全クラス制覇を達成。
・125cc 1位:宇井陽一(デルビ)、2位:上田昇(Honda)、3位:東雅雄(Honda)
・250cc 1位:加藤大治郎(Honda)、2位:宇川徹(Honda)、3位:中野真矢(ヤマハ)
・500cc 1位:阿部典史(ヤマハ)、3位:岡田忠之(Honda)

3クラス合計9人の表彰者の内8人が日本人ライダー、1日に3度の“君が代”が流れた。この大会の結果は、その当時の世界選手権における日本人ライダーの躍進を象徴していた。

2001
日本人ライダーの軌跡

この年の250ccクラスを世界選手権フル参戦2年目の加藤大治郎が席巻する。開幕戦をポールスタートから独走状態でトップチェッカーを受けると、続く第2戦、第3戦、第4戦と勝利を挙げ、開幕4連勝。第5戦は優勝逃すも、勢いは止まらず、シーズン終了時には2桁優勝を挙げており、参戦2年目にしてチャンピオンに輝く。

2004
日本人ライダーの軌跡

この年、Hondaは前シーズンに16戦中15勝を挙げた「RC211V」を、MotoGPクラスに3チーム6台を投入した。そのうちの1台を駆る日本人ライダー玉田誠が第7戦ブラジル・リオでMotoGP初優勝。その手土産を片手に凱旋した日本GPでは悲願の地元Vを達成する。チャンピオンシップでは6位につけた。

2009
日本人ライダーの軌跡

昨シーズンまでに所属していたチームが解散となり、逆境に立たされた青山博一。Scot Racing Team 250ccに加入が決まり、最小限の人数でチームを立ち上げ、スペアマシンのない一台体制という厳しい状況中で始まったシーズンだったが、青山は終始トップ争いを披露し、250ccラストイヤーとなったこの年でチャンピオンを決める。

2010
日本人ライダーの軌跡

この年から中排気量クラスが「Moto2」と改められ、4ストローク600ccのエンジンを搭載したマシンでの戦いへと変ぼうを遂げた。このMoto2初のレースを制したのは、前年、全日本からステップアップをした富沢祥也だった。

2016
日本人ライダーの軌跡

2012年に全日本から再び世界へ挑戦を始めた中上貴晶(IDEMITSU Honda Team Asia)がオランダ大会で自身初となる世界選手権初勝利(Moto2)を挙げる。日本人ライダーとしては実に6年ぶりの快挙。この年は前年のランキング8位を上回る、6位でシーズンを終える。

2017
日本人ライダーの軌跡

前年に引き続き、Moto2クラスに参戦する中上貴晶が、第12戦イギリスGPでキャリア2勝目を挙げる。8月にはMotoGPクラスへステップアップを発表。Moto3クラスには佐々木歩夢、鳥羽海渡、鈴木竜生と若手が台頭しはじめるなど、日本人ライダーの活躍に注目が集まる。

2018
日本人ライダーの軌跡

中上貴晶がMoto2クラスから最高峰クラスにステップアップを果たし、日本人として4年ぶりのMotoGPライダーが誕生。ルーキーイヤーながらも、第2戦アルゼンチンGPから第5戦フランスGPで4戦連続入賞を果たす。最終戦のバレンシアGPでは自己ベストの6位となり、開幕から掲げていた目標の一つのシングルフィニッシュを達成した。

2019
日本人ライダーの軌跡

前年に引き続き中上貴晶がMotoGPクラスに参戦し、第6戦イタリアGPでは自己ベスト更新の5位入賞。チームのホームグランプリで好走をみせた。Moto3クラスでは、開幕戦のカタールGPで鳥羽海渡が初優勝を飾り、第14戦アラゴンGPではルーキーイヤーの小椋藍が2位を獲得するなど、日本人若手ライダーが好結果をつかんだ。

モータースポーツ > ロードレース世界選手権 > Into The World -日本人ライダーの軌跡-