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成田さん親子に聞く世界制覇までの30年

Part.2 世界を目指せ

全日本チャンピオンの挑戦

ルジャーン・ショックに日本のトライアル界が襲われたころの全日本チャンピオンは、山本昌也だ。山本は82年〜86年まで5年連続で全日本を制覇するなど、圧倒的な強さを発揮していた。特に、垂直にそびえ立つ高さ1m以上の壁を昇るためのテクニックとして自らが編み出した“真直角”は、多くのライダーが習得しようとした画期的な存在だった。「ライダーが独自にオリジナルのテクニックを開発していた時期だった」と成田さんは、スタジアムトライアル以前を振り返る。

誰もが息を呑んだルジャーンのエアターンに対して、一発お見舞いしたのはこの“真直角”だったと言ってもいいだろう。壁面に刺さるような角度で強く前輪を当て、直後の引き上げ動作でフロントの反発力とマシンの慣性を上昇するベクトルに合成するような“真直角”は、力とタイミングが生む美しい技だ。マシンのホイールベースに近いような高さの壁面でも、エンジンガードをぶつけることもなく、マシンは伸び上がる。

生駒では、ルジャーンの前で“真直角”を生んだコンクリートウォールを上り、多摩テックではルジャーンと同時に来日したテリー・ミショー(その後85〜86、88年に世界チャンピオンになる)がてこずるようなステアケース(段差上り)を、山本はスパッと上って見せた。後年のスタジアムイベントなどでも、しばらくの間は“真直角”の優位性が話題になった。ステアケースに関していえば、山本の走りは世界を上回るレベルにあったといってもいいだろう。

ゼッケン5を付けて、ホームグラウンドの生駒で行われた全日本を走る82年の山本昌也。5年連続全日本チャンピオンの記録はいまだ破られていない。

ただし、ルジャーンも負けていなかった。生駒で“真直角”を見ると、その場でルジャーンは“真直角”にトライ、数回の失敗の後、あっさりとこれを習得してしまう──そして、山本はその2週間後にエアターンを演じて見せたのである。同じようなレベルを見ている2人には相通じる物があったのか、あるいは山本の才能を認めたのか、ルジャーンはスタジアムトライアルの競技を終えた会場で“世界選手権に出場してみないか?”と、語りかけた。

この年のオフシーズン、山本はベルギーのルジャーン家に逗留し、フランスやベルギーで開催されたインドアの大会に出場した。その直前に出場した日本GPでは優勝した服部に大差を付けられたものの、誰もが足をつきながらのフローティングターンで1点通過するセクションで、ただひとりルジャーンばりのリア振りを見せてクリーンを獲得していた山本だったが、ベルギー選手権では3位に入った。優勝したのはもちろんルジャーンだった。

ヨーロッパで盛んに開催されていたインドアトライアル(スタジアムトライアル)にも挑戦している。ルジャーンがラップ平均9点の減点だったところを、山本は平均29.5点という結果となった。アウトドアではリバースなどのトリッキーなテクニックをあまり使わなかったルジャーンだが、インドアでは使わなければセクションを抜けられない。ルジャーンはインドアイベントに年間50戦も出場していた。同時に、それだけで数千万円を稼いでいることを山本は知ったという。

明けた1984年の1月、再びスタジアムトライアルが日本で開催された。この時は、2年連続世界チャンピオンとなったルジャーンを筆頭に、フィリップ・ベラティエ、ジョン・ランプキン、そして日本人ライダー11人が出場した。多摩テックで行われた2ラップ×2日間の大会でルジャーンは2日目1ラップ目にオールクリーンを叩き出し、日本人最高位は2日目に4位となったヤマハの工藤靖幸の2ラップ目・減点8。山本は工藤に続く3位、1ラップ目・減点15が最高だった。また、新たに鈴鹿サーキットでもこのイベントは開催され、珍しくルジャーンがセクションから転落するというハプニングはあったものの、結果は大きく変わることがなかった。

この年、3度目の全日本チャンピオンに輝いた山本は世界選手権の2戦にスポット参戦。フィンランド大会で服部の記録を上回る6位入賞を果たし12ポイントを獲得、さらに85年の開幕戦にも出場して10位入賞・5ポイントを獲得。アウトドアでの日本人のレベルは確実に向上していたように思えた半面、トリッキーな技に特化したスタジアムイベントにおける世界と日本の差は、依然として大きかった。それが、世界の頂点に到達するための隔たりだったように思える。

85年の世界選手権開幕戦を走る山本昌也。マシンはこの年発売されたニューモデル・RTL250のワークス仕様。86年からはルジャーンも乗った。

 

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