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中嶋悟の世界アピール車

1986/Ralt Honda RT20(ラルト・ホンダ RT20[4輪/レーサー])

F1進級前に中嶋悟を鍛えた国際F3000のマシン最後のステップで快走し、翌年からF1デビューへ

Text/Akihiko Ouchi  Photos/Hidenobu Tanaka, i-dea

1986/Ralt Honda RT20(ラルト・ホンダ RT20[4輪/レーサー])

1986年国際F3000シリーズ出場車 No.5 中嶋悟

ラルト初のF3000シャシーは左右のサイドポンツーン高が異なるという珍しい設計で、ニールセンが主戦ドライバー。チームメイトは7戦で中嶋、それ以外をサックウェルが務めた。なおサックウェルが1勝している。

ラルト初のF3000シャシーは左右のサイドポンツーン高が異なるという珍しい設計で、ニールセンが主戦ドライバー。チームメイトは7戦で中嶋、それ以外をサックウェルが務めた。なおサックウェルが1勝している。

F3000用の3000ccエンジンは回転数の上限が9000回転で切られるため、9000回転時に最大性能が発揮される特性が必要不可欠となる。このため出自がF1用だったDFVエンジンには余剰も多く、無駄を削って性能につなげるチューニング手法が数多く採られていた。一方、F3000で要求される性能にほぼ白紙状態から対応できたHondaのアドバンテージは大きく、数年後には欧州の国際F3000、全日本F3000シリーズともにシェアを拡大していく。

88年からは無限に生産と開発が委託され、コードネーム「MF308」として生まれ変わった。MF308はその後も活躍を続け、実に2005年までという長きにわたって日欧のレースシーンを支え続けることになるのである。

日本のレースファンにとってRT20/Honda RA386Eというマシンは、特に中嶋悟の「最終ステップボード」となったマシンとして知られている。84、85年の全日本F2を連覇してきていた中嶋は、並行してF1エンジンに関するHondaの国内テストドライバーも務め、F1で急伸していたHondaが供給チーム数を拡大すると決めた時にも真っ先にレギュラードライバー候補となった。そうして86年、翌年からロータスへのエンジン供給開始と中嶋の起用が公表され、中嶋の動向と戦績は世界中から注目を集めることとなったのだ。

F1デビュー当確となった86年の中嶋は、全日本F2で3連覇を目指す傍ら、上記のとおり始まったばかりの国際F3000へもスケジュールの許す限り参戦を続けた。結果は7戦に出場し、最高位はF1オーストリアGP併催のエステルライヒリンク戦での4位であった(このレースでは翌年からチームメイトとなるアイルトン・セナもグリッドへ姿を見せた)。表彰台こそ獲得できなかったが、シリーズランキングでは10位と健闘。群雄割拠の世界の舞台でも中嶋の実力が劣っていないことを証明してみせた。

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Ralt Honda RT20

1986/Ralt Honda RT20(ラルト・ホンダ RT20[4輪/レーサー])

1986/Ralt Honda RT20(ラルト・ホンダ RT20[4輪/レーサー])

SPEC

シャシー

型番 Ralt Honda RT20
デザイナー ロン・トーラナック
車体構造 カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高 3710×1625×800mm
ホイールベース 非公表
トレッド(前後とも) 非公表
サスペンション
(前後とも)
ダブルウイッシュボーン+インボードスプリング
タイヤ(前/後) 225/600R13/330/620R13
燃料タンク 非公表
トランスミッション 縦置き6MT
車体重量 540kg

エンジン

型式 Honda RA386E
排気量 2997cc
形式 水冷90度V8DOHC
ボア×ストローク 86.0mm×64.5mm
圧縮比 12.0:1
最高出力 400ps以上/9000rpm

その他

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