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ジェンソン・バトンのF1ダイアリー
 メルボルンに到着した時のジェンソンの体調は最悪だった。顔はやつれ、鼻水をすすり、声はガラガラ、F1シーズンを迎えるための理想的なフィジカルコンディションとはとても言えなかった。

 この風邪のせいで、ジェンソンはその前週にイモラで予定されていたB・A・R Hondaのテストをキャンセルせざるを得なかった。
「体調を壊したのは本当に痛かった」
ジェンソンは言う。
「でも、僕にとって何よりも辛かったのは、イモラのテストに参加できなかったことなんだ。あれは今年のマシン、BAR005の、燃料を少なくして軽量にしたものを初めてサーキットで試す冬の間の最も重要なテストのひとつだったんだよ。ジャック(・ビルヌーブ)はテストできたが僕はできなかった。だから僕はマシンが軽い状態での走行をテストしないまま、シーズンに突入することになるんだ。今年からレギュレーションが変わって、新しい1ラップ方式の予選、つまり一発勝負になったこともあって、いま僕はますます厳しい状態におかれたということを痛感している」

 オーストラリアGPは、ジェンソンにとって極めて重要な一戦であった。新しいチームでの緒戦で、ジェンソンは強烈な印象を残しておきたかった。チームメイトであり、最大のライバルでもあるジャックにも劣らないことを証明して見せたかった。

2003年3月6日 木曜日

 クラウン・タワーズ・ホテルで午前8時半に起床したジェンソンは、彼のレースエンジニアであるクレイグ・ウィルソンとの打ち合わせまでの午前中、近くの店をのぞいたりしてリラックスに努める。クレイグからは、イモラでのテストについて、つまり軽量時のマシンの走行について、出来る限りたくさんの情報収集をしたかった。ジャックはどれだけブレーキを我慢できたのか?ブレーキ時にマシンはどのくらい安定していたのか?ジャックはどれほどフロントウィングに頼っていたのか?『知識=パワー』。正確で詳細な情報こそが翌日の一発勝負の予選に勝ち抜く鍵だということを知っているだけに、ジェンソンは真剣だった。

 打ち合わせのあと、ジェンソンは5.3キロのアルバートパークをゆっくり歩きながら、頭の中で自分の走りをイメージする。アルバートパークはその路面がグリップの低いこともあって、低速から中速型のサーキットである。市街地コースであるがゆえに、当然レース時以外は一般道路となる。ウォールはモナコなどよりはるかにコースから離れて立てられていて、ランオフ・エリアが広くとってある。その結果、自らのミスをカバーできるアルバートパークでは、ドライバーはよりハードにマシンを攻め、アタックを試みる。

 最もチャレンジングなポイントは高速シケインで、ハードなブレーキングによるオーバーテーキングが可能なポイントだ。去年と違い、コースのあちこちに新しくキャッチフェンスが追加されたことにジェンソンは注目した。
「ウォールのいくつかはコースのとても近くに設定されていて、その上に装着されたキャッチフェンスは、クラッシュ時に部品が飛び散らないよう、コース側に湾曲しているんだ。これがやっかいな代物で、そのフェンスの下は走行中にトンネル状態になるから、おそらくレース中ドライバーはその影響に悩まされることになるだろう」
とジェンソンは言った。

 アルバートパークでの打ち合わせとイメージウォーキングを終えたジェンソンは、ホテルに戻り、トレーナーのフィル・ヤングのメニューにしたがってジムで軽く汗を流す。その夜は、フィルとマネージャーのジョン・バイフィールド、そして父親のジョンとともに食事をし、午後10時半就寝。
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