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ジェンソン・バトンのF1ダイアリー
2003年3月7日 金曜日(公式予選1日目)

  午前7時半起床。パドックに9時前に入り、11時からのフリー走行に備える。ジェンソンがパドックに到着した時にはコース上ではすでに4チームがテスト走行していた。FIAが今年から導入したルールで、今まで通りのテストを行わない代わりに、予選当日の朝にコースで「オフィシャル・テスト」を行えるというものである。むろん、B・A・R Hondaはこのシステムを利用せず、午後からのセッションに向けて準備に勤しんでいた。

  ジェンソンにとって、コースインしたあとは文字通り時間との闘いだった。1時間という短い間に多くのことをこなさなければならなかったし、その中でも万全の状態で予選に臨むべくマシンセッティングを煮詰めることは最も重要な作業であった。

  マシンを慣らすために1ラップした後、走行開始10分後にジェンソンを悲劇が襲う。彼のマシンに搭載されていたオーストラリアGP仕様の最新型エンジンが突如止まってしまい、ジェンソンはコース上に取り残された。
「本当に突然だったよ」
とジェンソンは言った。
「何の予兆もなかったね」

  ピットにジェンソンのマシンが戻ってきた時点で、メカニックがエンジンを載せ換える時間は1時間しかなかった。エンジン停止の原因がはっきりしないため、新型エンジンをあきらめて、オフのテストに使っていたエンジンを積むことになった。
「現時点では何が原因でジェンソンのエンジンが止まったかわからない」
とHRD(Honda Racing Development/イギリスにあるHondaのF1活動の前線基地)の副社長、オットマー・サフナウアーは語った。
「今夜エンジンをばらして調べるつもりだが、今はとにかく、ウィンターテスト中に使用していたエンジンを使うことが午後の予選を闘う上で信頼性が高いと考えた」

  ジェンソンは窮地のどん底にいた。マシンのセッティングはおろか、ブレーキングポイントさえ見つけられてないのだ。ジェンソンはチームのトラックシミュレーターで得たデータだけを頼りに予選に臨まなければならなかった。

「ジェンソンは非常に困難な状態で予選に挑むことになるが、彼にプレッシャーを与えるつもりはない。彼には大事な予選の1ラップに集中して欲しい。重要なのは今日よりも明日なのだから」
と、デビッド・リチャーズB・A・R代表はコメントした。

  予選前の昼食はパスタで軽くすませた。予選は昨年のチャンピオンシップのポイント上位から順に行われるので、ジェンソンは7番手スタートと決まっていた。おかげで、ピット内のTVで最初にラップする去年のチャンピオン、ミハエル・シューマッハの走りをつぶさに研究することができた。

 無線を通じてジェンソンのレースエンジニアが声をかける、「グッドラック!」

 結果は予想以上のものであった。

  第1回目の予選ラップを終えて、ジェンソンは5位、ラップタイムは1分27秒159で、トップのルーベンス・バリチェロに0.7秒遅れ、チームメイトのジャック・ビルヌーブに0.3秒遅れという上々の出来であった。それよりも凄いのは、ジェンソンのエンジンがジャックのエンジンよりパワーが劣るものであったという事実だ。その上、彼にとって燃料を必要最低限に積んだ軽量マシンでの走りが今年初めてという事実を考慮に入れれば、彼のアルバートパークでの1ラップがいかにセンセーショナルなものであったかということがわかる。チーム全員がこの結果を喜んだ、特にジェンソンは。

「とてもいいラップだったと思う」
ジェンソンが言う。
「ただ、自分のマシンやコースを完全に把握できていなかったから、自分が思い描くレベルで充分に攻められなかった。マシン自体はグリップも素晴らしく、ブレーキング時にも非常に安定していて、よく仕上がっている。もっともっと走りこめばきっと結果が出せると思うよ」

  ホテルに戻ったのは午後5時。午後8時半に前夜同様、父親とマネージャー、トレーナーとともに夕食をとる。

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