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第5章 「油断」  1997年 P2

ジル・ド・フェラン
毎年勝利していたド・フェランは1勝もできず。
だが表彰台に7回も上がってランキング2位を得る

また、ホンダの中で唯一ローラ・シャシーを使うタスマンの二人、アンドレ・リベイロとアドリアン・フェルナンデスは、そのシャシーに苦悩する。ホンダとの初優勝に始まり、2年目に2勝するなど確実に成長してきたリベイロは、この年1勝もできず。皮肉にも、途中レイナードに変えて間もなく3位表彰台を獲得し、この年はそれが最高位だった。一方のフェルナンデスも前年にホンダで初優勝を記録していたが、シーズンを通してローラしか与えられなかったことで、最終戦で3位に入るのがやっとという状態。

チーム・グリーンのジョンストンは新しいチームに馴染めず、前年のように表彰台に上がることができなかった。同様に新チームとなったド・フェランも、それまで毎年勝っていたものが、このシーズンはついに最後まで勝利を挙げることができないまま終わってしまう。そのような中で、ただひとり健闘したのがザナルディだった。前半は第3戦ロングビーチの1勝だけで、その後は表彰台にも上がれなかったのだが、得意のストリートやロードコースが中心となるシリーズ後半は大躍進し、第11戦のクリーブランドで2勝目を記録。

第12戦のミシガン500でオーバルと500マイルの初優勝を経験したザナルディは、そのまま勢いに乗って第13戦ミド‐オハイオ、第14戦ロードアメリカと連覇し、いっきに3連勝をマークする。この年ホンダが記録した6勝のうち、5勝をマークしたザナルディは念願のチャンピオン獲得に成功。新天地を求めてイタリアからアメリカにやってきた男は、アレッサンドロからアレックスとなり、アメリカンドリームをその手でガッチリと掴んだのである。

ザナルディの大活躍で、見事2年連続のドライバーズ・チャンピオン獲得となったホンダだったが、肝心のマニュファクチャラーズタイトルは9勝を挙げたメルセデス・ベンツに奪われてしまった。「96年にチャンピオンが獲れて、どこかで気が緩んでいたのかもしれない。そういった意味で、この年は反省の年ですね」と、朝香はこの年の結果に対して、あまり多くを語りたがらない。

しかしながら、この年のホンダはチャンピオンとなったザナルディを筆頭に、勝てなくても堅実なレース運びで7回も表彰台に上がったド・フェランがランキング2位。終盤に1勝してチャンピオンの意地を見せたバッサーも3位と、ランキングのワンツースリーを獲得してシーズンを終えている。ホンダとともに育ってきたドライバーはしっかりと、確実にその実力を発揮し始めていたのだ。

バッサー、ザナルディ
ザナルディにとって初のチャンピオン獲得。
前年のバッサーに続き、2年連続でタイトルを獲得したチップ・ガナッシ・レーシングとホンダ。

 

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フッタ
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