
2002年の最終戦はメキシコシティの“アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲス”が舞台。午後3時8分にスタートした73周の決勝レースは、オープニング・ラップから4番手スタートのトニー・カナーンがトップに躍進する。最多リードラップを記録して40周目に2度目のピット・ストップを迎えたトニー・カナーンだったが、ピットから出る際に燃料に引火するアクシデントが発生し、後退を余儀なくされてしまう。代ってダリオ・フランキッティがトップに立ったが、52周目のフルコース・コーション下のピット・ストップで作業に手間取り、痛恨のタイムロス。レース全体の3分の2をリードしたHonda勢だったが、ダリオ・フランキッティの5位フィニッシュが最高となった。 |
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2002年のCART FedEx・チャンピオンシップ・シリーズ最終戦の舞台は、メキシコシティの“アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲス”の常設ロードコースで、1981年以来の開催。1965年にリッチー・ギンザーのドライブにより、F1初優勝を達成した思い出のサーキットで9年間のCART参戦に幕が降ろされることになった。
予選11月16日(土)
金曜日の第1予選は、来季よりHondaとともにIRLへ参戦するダリオ・フランキッティが3番手となる86.147秒を記録する。翌土曜日の最終予選では、アクシデントにより赤旗が相次いだため、トップ3のタイムが更新されずに終了。ダリオ・フランキッティがそのまま3番手のグリッドを手に入れ、来シーズンのIRLでダリオ・フランキッティのチームメイトとなるトニー・カナーンが86.394秒で総合4番手。揃って2列目からスタートすることになった。以下Honda勢はポール・トレイシーが86.971秒で8番グリッド、来年よりチーム・オーナーとしてHondaとともにIRLへ参戦するマイケル・アンドレッティは87.053秒、5列目10番手となった。初日11番手の中野信治は、朝のプラクティスで4番手のタイムを記録しながら、第2予選で17位に後退して総合13番グリッド。第17戦で負傷したエイドリアン・フェルナンデスの代役としてエントリーした地元メキシコ出身のルーキー、ルイス・ディアスは18番グリッドからのスタートととなる。
決勝11月17日(日)
抜けるような青空となったメキシコシティで、会場に詰め掛けた17万4866人(トータルでCART新記録となる35万1972人を記録)もの観客が見守る中、午後3時8分に73周の決勝がスタート。オープニング・ラップから抜群のスタートダッシュを見せた予選4番手のトニー・カナーンが、ポールポジションのB.ジュンケイラを交してトップに立った。
しかしその後方では、8番手スタートのポール・トレイシーがJ.バッサーに接触し、いきなりフルコース・コーションとなってしまう。ポール・トレイシーはオフィシャルに押しがけされて再スタートが可能となり、4周目にレースが再開。トップのトニー・カナーンは力強い走りでレースをリードし、最初のピット・ストップも難なくこなしてトップのままコースへ復帰した。
1998年以来となる念願の勝利を目指して快走していたトニー・カナーンだったが、迎えた40周目のピット・ストップでまさかのアクシデントに見舞われる。タイヤ交換直後にクラッチトラブルが発生し、クラッチが切れていない状態でエアジャッキが下りたため、燃料補給用のホースが外れる前にマシンがスタート。噴出したメタノールに引火して、4名のピットクルーが軽い火傷を負ってしまったのだ。
これによりトニー・カナーンはストップ・アンド・ゴー・ペナルティを受けて後退し、代わってダリオ・フランキッティがトップに浮上。そろそろ終盤に入ろうかとしていた51周目、マイケル・アンドレッティがバックストレート手前で単独スピンを喫し、ウォールに激突する。幸いドライバーにケガは無かったが、マイケル・アンドレッティは無念のリタイアとなってしまった。
この2度目のフルコース・コーション下でトップグループが一斉に最後のピット・インをする中、ダリオ・フランキッティはピット・ストップの位置をほんの少しオーバーしてしまい、痛恨のタイムロス。順位を5位まで下げてコースに復帰した。その後、ゴールに向けてポジションアップを狙ったダリオ・フランキッティだったが、挽回ならず5位のままゴール。
3年間に渡って参戦してきた中野信治は、朝のウォームアップ走行で自らの予選タイムを凌ぐ4番手のタイムをマークし、決勝での活躍に期待がかかる。序盤はアンダーステアに悩まされながらも22周にわたってトップ10圏内を走行しながら、2回目のピット・ストップで後退。その後70周目にはファステスト・ラップを叩き出したが、最終的に14位完走に終わった。
レースの約3分の2をリードしながら、度重なる不運に見舞われた最終戦のHonda勢。CART最後のレースで優勝を逃すことになったものの、1994年からのシリーズ参戦以来、165戦で65勝と65回のポールポジションを獲得。6年連続のドライバーズ・タイトルと4度のマニュファクチャラーズ・タイトルに輝いて、9年間のCART参戦に幕を下ろすことになった。
D.フランキッティ(5位)
マシンの状態は最高だったが、最後のピット・ストップでミスを犯してしまった。所定の位置でマシンを止めることが出来ず、5位まで後退したのは痛かった。これまでCARTの仲間とレースが出来て幸せだった。来季からの新しいチャレンジに向けて頑張るよ。
T.カナーン(8位)
(ピットでの火災で)皆に大きな怪我が無くてよかった。実際、何が起こったのかよく分からなかったよ。ルールブックにピットでの火災がペナルティに値すると書いてあるのか定かではないが、黒旗が振られるまでは優勝を狙える位置にいた。最後のCARTレースなのに残念な結果だ。
中野 信治(14位)
予選ではセットアップで失敗してしまいましたが、決勝までに変更を加えて大分良くなりました。特に終盤にはいって気温が下がったあとはファステスト・ラップも記録出来たのですが、結果が出せなかったのは残念です。これまで努力してくれたチームや、応援していただいたスポンサーに感謝の気持ちでいっぱいです。
P.トレイシー(16位)
スタートではブレーキミスでジミー(バッサー)に突っ込んでしまい、申し訳無かった。後半、ミシェル(ジョルダイン)をパスしようとして追いついたんだが、サスペンションが壊れてしまった。チーム・クール・グリーンとの最後のレースを、このような結果で終えるのはなんとも残念だよ。
M.アンドレッティ(17位)
これまでのレース人生で多くの思い出を残すことが出来たCART最後のレースを、このような結果で終えたことは非常に残念だ。右フロント・タイヤにフラット・スポットを作ってしまったあと、タイヤに無理をかけ過ぎてスピンしてしまった。チームには申し訳ないと思っている。
L.ディアス(19位)
チームに悪運が付きまとってしまったような結果だった。精一杯努力したチームのメンバーやスポンサーには残念なレースとなったよ。それでも今回、精神面とハード面で色々なことを学んだと思っている。この経験を与えてくれたフェルナンデス・レーシングに感謝したい。
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