Vol.1

10年の熱狂世界への宣戦布告

向後 貴晴 TAKAHARU KOUGO

  • 2022年第40回大会 サービスエンジニアコース最優秀賞
  • 南関東ブロック Honda Cars東京中央

2022年10月、賛嘆のまなざしを浴びながら、威勢よく表彰台へと上がる一人の男がいた。
Honda Carsで日本一のサービススタッフ、向後貴晴(31)。10年間追い続けた夢に手が届いた瞬間、彼にはどんな景色が見えたのか ──

ただ、ただ、熱い夢を見続けた

向後貴晴が初めてホンダ四輪サービス技術コンクール(以下、技コン)を観たのは、ホンダ学園の在学中。ほんの見学のつもりだったが、自分より遥かにレベルの高いことに取り組んでいるサービススタッフの姿に衝撃を受けた。「自分もいつかこの舞台で日本一になりたい」と夢を抱く。就職活動は「入社するなら大会入賞者を多く輩出している会社がいい」とHonda Cars東京中央への入社を決意。入社当時は、全国大会へ進むことすら遠い存在に思えたが、入社4年目の2017年、ついに自らの夢に挑む。初年度で地区予選の優良賞、次ぐ2018年大会では全国で優秀賞を獲得する快進撃を見せた。20代後半という若さでの快挙。向後の挑戦はここで終わるかに思えた。「全国2位。正直、満足して終えてもいいと思ったこともありました。まだ、日本一というのは雲の上の存在で、自分がなれるとは思っていませんでしたから」

しかし、挑戦は終わらなかった。周りから「全国2位のお前ができなかったら誰ができるんだ」と言われ、日本一を目指す自覚が芽生える。それは 19歳の自分が強く憧れていた遠い存在。そして2020年、10年間の集大成を迎えたいという想いが原動力となり、熱いドラマが幕を開けた。

幾度となく重ねたトレーニング

2020年8月。地区予選となる南関東大会を2位で通過し、全国への切符をつかんだ。同大会の1位通過は同じHonda Cars東京中央の前田陽平(※Vol.2『日々の心がけを世界につなぐ』を参照)。地区1位通過を目指した向後の胸に、負けたくないという気持ちが湧く。悔しさを貯め込んだ分、向後の勢いも強くなる。「全国大会では最優秀賞を取った自分の姿だけをイメージして、最優秀賞を取るための勉強に励みました」
言葉通り向後に一切の妥協はなく、無我夢中で技コンの勉強に取り組んだ。さらに直前の1、2か月は技コンのみに全集中する生活を送った。実技試験の空気感や会場の雰囲気に慣れるため、競技のイメージトレーニングも欠かさなかった。

そして迎えた本番。向後はこの日を振り返り、自分でも信じられないくらいリラックスし、最大の壁とした「緊張との闘い」を耐え抜いたと語っている。「思いつく限りの勉強とイメージトレーニングを重ねたからなのか、なるようになれと腹をくくったからなのか、理由は自分でもわかりませんが、最高のパフォーマンスで大会を楽しめました」

次の目標が決まった日

向後は表彰会場で結果を待っていた。残るは優秀賞か最優秀賞のみ。優秀賞の発表でも自分の名が呼ばれず、代わりに地区予選では敗れてしまった前田の名前を耳にする。前田が表彰台に上がりざま、向後の肩にポンと手を置くと「よっしゃー」という気持ちが湧いた。そして、最優秀賞の発表。向後の名前が呼ばれる。表彰台に上がるときには向後の目には涙があふれていた。
「正直、やっと終わったかという気持ちと、数か月をすべて技コンに費やしたので、結果が実ってよかったという安堵感。これで世界大会にも出るのか、勉強がまだ続くのか、という気持ちもあり、さまざまな感情が入り混じっていました」
こうして学生時代に向後が抱いた夢は現実となった。共に挑戦した仲間からは「自分が最優秀賞を取ったくらいうれしい。本当におめでとう」と言われた。涙をのんだライバルたちからは、「俺たちの代表として頑張ってくれ」と声を掛けられた。そんな思いを背負った向後は、次なる目標を見据え気迫のこもった目で語る。「自分だけの問題ではなくなってしまい、たくさんの期待を背負って挑戦することになる、というのをすごく感じました。日本代表として世界一を目指し戦うのが自分の責任。人生一度のチャンス、一点集中で本気を出して挑みます」
最後に、未来の挑戦者に向けてメッセージをもらった。「技コンはできる人が成績を残す場ではなく、誰もがチャレンジでき成長できる場だと思います。まずは挑戦すること。一歩踏み出せば、次に見える景色が違ってきます。私自身、最初からなんでもできる整備士ではなく、技コンを通して自分自身が大きく成長できました。皆さんの挑戦を待っています!」

向後 貴晴 TAKAHARU KOUGO

  • 2022年第40回大会 サービスエンジニアコース最優秀賞
  • 南関東ブロック Honda Cars東京中央

※掲載している内容は2023年2月取材当時のものです