最速の軽自動車エンジン搭載車!「S-Dream」乗るとどうなの?どうやって走るの?
ドライバーに聞いてみた

──ボンネビルを走るために、理に適っているんですか?

絶対的なスピードがものすごく速いから、万一のクラッシュのことを考えると、目の前に「何もない」というのは、ドライバーとしてすごく安心できますね。それに、「前に押す」「手前に引く」というのは握手をするとか、ものを押したり引き寄せたりするとか、人間がずっと行ってきた動作。体の動きとしてまったく無理がありません。
クルマはステアリングを両手で掴んで回転させるもの、とずっと思ってきましたが、それ以外の可能性というものに改めて気づかされましたね。

時速400kmのハンドリングって?

──時速400kmの領域でのハンドリングってどうなんでしょうか。

「S-Dream」のような「ストリームライナー」と呼ばれるタイプの車体は、空気抵抗を減らすためにトレッドが狭くなっているから、一度横を向きはじめてしまったら、鉛筆が転がるように転倒する、ペンシルロールと呼ばれる状態に陥ってしまいます。もうこうなるとステアリングを切っても修正は効かないし、停止用のパラシュートを使うにしても、レバーを引くまでに1秒、展開までに1秒かかるとすると、その間にざっと200メートルは進んでしまう計算。
絶対に失敗できないんです。だからヨーモーメントを極力出さないようにする、ということにはとにかく神経を使いましたね。

──すごくシビアなんですね。

ただ、さっき話したように道にはうねりも凹凸もあるので、ジャンプして着地したときのピッチングからヨーモーメントが発生することもあります。それを打ち消すようにステアリングで微修正を与えていく……というのが、このクルマを走らせるときのハンドリングということになりますね。
とは言え、ステアリング操作に対して即座に反応するわけではないから、前後の荷重がどうなっているのかを体感しつつ、路面を見て先読みで準備をしていく必要があります。

──でも、この姿勢だと地面は見えないのでは?

見えますよ。というか、見えるようにしてもらった、というのが正しいか。これが、最初の頃の視界。

──宮城さんからお話を聞く前だったら「まっすぐのコースなんだし、これで十分じゃないか」と思いますが……。

国内で見たときには「もしかしたら、あの広大な塩の上に持っていったら大丈夫かもしれない」とも思ったんですが、やっぱり厳しかったですね。800メートルおきに立つパイロンを目安に、3.2km先まで見て進路を決める必要があるというのは、現地で走ってみて初めてわかることでした。
なにしろ、こんなスケール感で走る場所、地球上でここ以外にないですからね……。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、開発陣は現地で「S-Dream」の大改修を実施。現場でイチからマシンを作り直したのです。

Hondaの開発陣の働きは見事の一言でしたね。このあたりは長くなるから、まだご覧になっていないという方は、ぜひこちらの「エンジニアトーク ボンネビルスピードウィーク編」で彼らの奮闘ぶりも知って欲しいですね。

前例のないレース、他の何にも似ていない!

──色々なレースがありますが、こんな世界もあるんですね。

ほかのレースは、だいたい相手がいるでしょう。前の年よりタイムが遅かったとしても、ライバルの中でいちばんなら優勝できます。ところが、このレースはもっと明快。風向きも路面も違うかもしれない。その上で、これまでの記録を破れるか、そうでないか。それだけなんです。

──シンプルですね。

地球という星が作ったこの地形をお借りして、人間の英知を結集して記録に挑むというのが、このレース。べつに人間同士では競っていないので、ライバル同士も一種独特の雰囲気で連帯感があるのが印象的でしたね。

私の被っている赤い帽子は、「レコードブレーカーの証」なんです。最初は似合うかどうか自信が無かったので被っていなかったんですが、どうしたわけか、他のチームの連中とすれ違うたびに、全員が「おい、あの帽子を何故被らないんだ」と聞いてくるんです。驚くことに、全員です。

──「おれたちのクラブへようこそ」ということなんでしょうか(笑)。

そうなんでしょうね。我々は時速200マイル以上を記録して、さらに過去の記録を更新した「200マイルクラブ」として認められたんです。(記録:261.966mph)
長年参戦し続けているエントラントが、面白いことを言っていましたね。「200マイルクラブはエベレスト登頂者より少ない、300マイルクラブは宇宙に行った人より少ない」。

──その上もあるんですか?

400マイルクラブは月に行った人より少ない。

──その上……に到達する日も来るんでしょうか。

記録は長い時間をかけて更新され続けてきたので、いつかそんな日が来るかもしれませんね。
今回のHondaの残したものは、マン島TTレースへの出場、F1参戦と並ぶ快挙だと言ったって言いすぎではないと思うんですよ。

──と言うと?

長年、独自のかたちで発展してきたレースということもあり、どんなレースなのか、どんなマシンが必要なのか、ほとんど日本では知られていなかったわけです。そこに、20代、30代の若いエンジニアが知恵を絞って果敢に挑み、記録まで達成したんですから、さながらかつてのHonda黎明期のチャレンジの再現ですよ。
そこにドライバーとして参加できたのは本当に光栄なことだし、できることなら、今度は「400マイルクラブ」入りを目指して挑戦を続けていきたいですね。

──独特のルールやドライビングのこと、それをつくったエンジニアのこと、よくわかりました。
ありがとうございました。

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