2001年1月号

新春インタビュー
吉野浩行(本田技研工業社長)
インタビューアー
吉村秀實(NHK解説委員)

夢のあるクルマ社会
  “21世紀へのチャレンジ”

20世紀初め、アメリカの大都市に発したモータリゼーションは、 世紀末には全世界を覆い尽くして21世紀を迎えた。 科学技術あるいは文明の象徴ともいえるクルマとモータリゼーションは、21世紀の世界を どのような姿をもって発展していくのだろうか。 21世紀に向けたクルマ社会の夢とチャレンジを、 NHK解説委員の吉村秀實さんのインタビューで、 吉野浩行・本田技研工業社長が語る。

時代の先端を走り続ける企業であるために

吉村 新年あけましておめでとうございます。いよいよ21世紀に入りましたが、改めて20世紀がどんな時代だったのか考えますと、ひとつ言えることはまぎれもなく科学技術万能といわれる時代だったということです。その科学技術を礎として人間は多くの夢を実現し、それによって高度経済成長を成し遂げたのです。とりわけ自動車産業は高度経済成長のシンボル的な存在でした。その一方で、都市への人口集中や交通事故、あるいは大気汚染、水質汚濁など、よく歪みと言いますが、この歪みに総称されるような弊害を生み出してきたのも20世紀だったと思います。20世紀をどのように評価され、21世紀をどのような時代にすべきだとお考えですか。
吉野 私が実際に生きたのは20世紀後半の半世紀です。最近、社内の集まりで今から30年前の1970年を振り返ってみました。ちょうどこの年は安全運転普及本部ができた年です。実はこの年はアメリカで大気清浄法、つまりマスキー法が制定された年で、たまたま私はアメリカに駐在していました。マスキー法が当時衝撃を与えたのは、自動車の排出ガス中の有害成分を5年間で10分の1に削減するという法律だったからです。「10分の1なんてとてもできない」というのが業界の大半の反応で、ホンダがCVCCエンジンでできますと宣言をしたのが72年です。結局、マスキー法の実施は5年間延期され1980年になりましたが、今は排出ガス中の有害成分が1970年の1000分の1になっています。また、1970年はホンダがアメリカで自動車の販売をはじめた年です。当時1年間の販売台数は約4000台でした。昨年はアメリカだけで116万台販売しました。
 したがって、この30年という歳月は、排出ガス中の有害成分が1000分の1になり、ホンダのアメリカでの販売台数が約300倍になったという時代です。しかも思い出すのは、1972年にわれわれがCVCCの開発に大わらわになっているときに、ローマクラブが『成長の限界』という本を出して、全世界に大変な衝撃を与えた。これはMIT(マサチューセッツ工科大学)が世界の数学モデルをつくって人類の将来予想をしたもので、汚染や資源の減少などにより、21世紀の半ば前後に人類は人口が大きく減って、その未来は先細りだというレポートだったわけです。われわれが30歳を越えたぐらいの頃で、みんなでまわし読みをして、これはすごいことになると衝撃を受け、CVCCの開発に拍車がかかったことを覚えています。昨年の11月末に名古屋南部の国道23号線沿いの大気汚染訴訟の一審判決が出て、排出ガスについて国と企業の責任を認めて注目されましたが、国道23号線が開通したのが72年です。この30年のツケがあのような判決に出てきて、ようやく「何とかしなきゃいけない」という話になってきたわけです。
吉村 30年というキーワードを提示されましたが、20世紀の科学技術が生んだ巨大システムの中で、たとえば原子力発電所や人工衛星などはなぜか30年を経過して大事故に見舞われています。日本でも安全神話とまでいわれた東海道新幹線が30年を経過して、初めて乗客の死亡事故が起きました。動力炉核燃料開発事業団も30年後に組織が破綻した。30年というのは組織や企業を考えるうえでの一つのキーワードかもしれませんね。
吉野 それでは2030年はどうなるかと思いを馳せてみると、その頃には間違いなく石油が枯渇とまではいかなくても、かなり高騰して石油時代の終焉のような様相が出てくると思います。サウジアラビアのヤマニ石油相もある本で、2030年ごろに石油時代が終わるだろうと言っています。これは石器時代が石がなくなったから終わったわけではなくて、他のものを使い始めるようになって終わったことと同じで、石油が欠乏するのではないが、石油がメジャープレーヤーとしての役割を終えるのが2030年頃。それに関連して将来の自動車用の内燃機関の主役と目されている燃料電池が、相応の競争力をもって本当の実用化の段階に入ってくるのが、やはり2030年頃だろうと思います。

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