History

1946年、無線機用の小型エンジンが人々の暮らしに役立つ道具に変わった。
困っている人を見たら放っておけない。
人を少しでも楽にする。
常に人間中心に、技術で人々の生活に役立ちたい。
こうして、数々のHondaパワープロダクツが生まれていった――。

1960 – 1970年代

 1950年代半ば、急激な高度経済成長の担い手として、20〜30代の働き盛りの人々が都会へと流失。女性や高齢者が主体の農業が一般化していた。このような状況を踏まえHondaは、女性や高齢者でも簡単に扱える耕うん機の開発に取り組んだ。「世の中にない革新的なものを作ろう」「10年先取りしたものを作ろう」という思想の元、1959年にHonda初の耕うん機「F150」を送り出した。

F150シリーズは農村にホンダ旋風を巻き起こした

 従来の耕うん機に対して、「F150」は軽量・コンパクトで扱いやすく、高い機能性や耐久性も実現していた。スタイリングについても機械部分をフルカバーし、カラーリングは斬新な真紅のボディを採用した。

 当時の耕うん機市場の規模は年間数千台程度だったが、「F150」は発売と同時に爆発的な販売を記録、農機具業界では「ホンダ旋風」と呼ばれた。年間2万台を販売し、その後も改良を重ね13年間生産が継続された。労働力不足に悩んでいた農家の人々にとって、小さな赤い耕うん機は、労働環境を一変させた革新作な農業機械であった。

 耕うん機に続き、完成機として開発したのは携帯発電機だった。きっかけは、SONYが開発したポータブルテレビだった。SONYはポータブルテレビのために携帯型の電源を求めて、Hondaに開発を依頼。携帯型発電機の開発に着手した。試作機は完成したが、商品化には至らなかった。しかし、携帯型発電機の開発ノウハウが将来活かされることになる。

小型携帯発電機E300はあらゆるシーンで活躍

 そして、試作機開発から3年後の1965年、Hondaは小型携帯発電機「E300」を発売する。当時から発電機は存在していたが、取り扱いが難しかった。しかし、「E300」は小型・軽量で扱いが容易な赤い発電機だった。今日では当たり前の、場所を選ばず手軽に使用可能な小型電源の発売に至った。「E300」は建設現場の照明、停電時のバックアップなどに加え、屋外照明や屋台電源などで爆発的に広がった。

 1960年代、Hondaは二輪でWGPを制覇、二輪車の輸出も増加した。四輪では初の市販車T360を販売、F-1参戦も開始した。耕うん機や発電機の発売と時を同じくして汎用製品も世界へ目を向け始め、グローバル化へのターニングポイントとなった。

 当時の東南アジアの国々では、安価で耐久性のある動力源が求められていた。欧米製のディーゼルや2ストロークエンジンが主流だった東南アジアにおいて、Hondaは耐久性に優れた4ストロークエンジンの供給に可能性があると判断した。

本格的な汎用エンジンGシリーズは日本国内だけでなく世界で活躍

 そこで1963年、小型軽量の「G20」型エンジンと、幅広い用途の「G30型」エンジンの販売を開始した。「G20型」エンジンと「G30型」エンジンは実用に徹した合理的で耐久性や信頼性も維持した汎用エンジンだった。使い勝手との良さで高く評価された「G20/G30型」エンジンは、船外機、発電機、ポンプなど幅広い生活シーンで活躍した。

 一方、欧米、豪州、アフリカなどにも耕うん機や発電機の輸出を開始。1967年にはHonda全輸出の70%を汎用エンジンと完成品が占めるに至った。

 1968年、Hondaは汎用部門の急成長に対応するため、研究開発、企画設計から生産販売まで一環して行う汎用機事業部に体制を変更。1969年には汎用製品の生産累計が100万台を越えた。生産数は増加を続け、多様化する世界中のユーザーの要望に応えるため、多彩なラインアップ展開を図り拡大期となる1970年代を迎える。