第1日目
フランス東部、ドイツとの国境近くにある、周囲わずか100メートルほどの小さなTroisfontanesが、第8戦フランス大会の会場となった。主催者は創意工夫をこらし、この町の中と、1km程離れた2ヵ所のエリアにセクションを設営した。
大会前日までは実に暖かな夏の気候が続いていた。しかし金曜日の晩になって突然天候が変わってしまった。土曜日の朝、雨のためにセクションコンディションが著しく変化し、実に難しいものに変わってしまっていた。
湿った泥が岩の表面にこびりつき、グリップは極端に悪い。これが、イギリス出身のジャービスにはおおいに有利となった。ジャービスは過去SSDT(スコティッシュ6日間トライアル)で3連勝する等、イギリス風のスリッパリーな難セクションを得意とするライダーだからである。
1ラップ目終了段階で、ジャービスの減点は11点。これは全ライダー中の、最少減点数だった。ランプキンはやや出遅れ、コロメ(GAS-GAS)と同じく15点で並んでいる。これに18点のカモッジ(GAS-GAS)、19点のコボス(Montesa-HRC)と続いた。
藤波貴久(Montesa-HRC)は、1ラップ目に26点と出足が悪い。このところ優勝を含んで表彰台の名を連ねているラガ(GAS-GAS)も、同じく26点である。
2ラップ目、セクションはあいかわらずスリッパリー。ジャービスの好調も変わらなかった。ジャービスの2ラップ目は17点。ジャービスを追うランプキンも、2ラップ目は同じく17点だった。これで、1ラップ目のリードを生かしたジャービスの世界選手権初優勝が決まった。
ジャービス、ランプキンと同じイギリス人のコリー(GAS-GAS)は、2ラップ目に18点の好スコアをマークするが、1ラップに33点と出遅れていて、2ラップ目の好成績を生かせなかった。
藤波貴久は、2ラップ目は21点と1ラップ目の不調から挽回していたものの、1分のタイムオーバーで1点減点を加算。このタイムオーバー減点によって順位を3つ落としてしまい、8位と表彰台を逃してしまった。
なお、前戦イタリアの最終セクションで転倒、ヘリコプターで病院に運ばれ心配されたマンザノ(SHERCO)は、検査の結果大事にはいたらず、今回も無事に参戦を果たしている。マンザノは、前回の結果で早くも2001年ジュニアカップのチャンピオンシップを決めている。
第2日目
藤波は、1日目のみずからの結果に、大きな怒りを持って2日目のスタートにのぞんだようだ。そこには、ライバルたちの存在も眼中にはなく、フジガス流トライアルを邁進することだけが、汚名挽回の手段だった。
主催者は、雨のためむずかしくなった前日の結果をふまえて4つのセクションに変更を加えたが、しかし夜半に降った雨は、結果的に、森の中のセクションをさらにむずかしくしてしまっていた。前日にも増すマッド地獄は、ライダーのチャレンジを、簡単には許さない。
第1セクション、ここでランプキンが5点を喫した。ジャービスも、前日の素晴らしい走りを再現することができない。一転、好調な滑り出しを見せたのが、M.フレイシャ(SHERCO)と藤波だった。しかしフレイシャは最終セクションとして用意された人工セクションでミスをおかして、ランプキンに激しく追撃されることになる。ランプキンはクリーンの山を築いて、第1セクションでの痛恨のミスをリカバーしてきたのだ。
第1ラップを終えたところで、藤波とランプキンが18点の同点でトップ。これにフレイシャが23点で続いていた。コボスが26点、前日の覇者ジャービスは、この日の1ラップ目は35点の減点を喫して6位に沈んでいる。
2ラップ目、ランプキンと藤波の好調は続いていた。ふたりはともに素晴らしいパフォーマンスを見せた。しかし、第8セクションで、不運な5点を食らってしまったのは、藤波のほうだった。この結果、ランプキンは3点のリードを持って、フランスの戦いを制することになった。ランプキンと藤波ががっぷり四つに組んだ素晴らしい戦いは、またしてもランプキンの勝利に終わったのだ。
素晴らしいトップ争いに続いては、シーズン序盤の活躍を思い出したようにコボスが3位に入った。コボスの3位入賞で、モンテッサチームは表彰台を独占することになった。4位は、フレイシャ。ジャービスは、この日はとうとう前日の勢いを発揮できぬまま、6位でコンペティションを終了している。
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